第20話 私を守ってくれるのは右近君

 北川さんが有名な企業に勤めているという事は知っていたのだけれど、そこがこの地域で一番大きい新聞社だという事は知らなかった。もしかしたら店長や社員さんは知っていたのかもしれないけど、私達バイトは誰も知らなかったと思う。

 それに、北川さんが子持ちの既婚者だという事も知らなかった。

「慰謝料に養育費って、この人は結婚してるって事なのか?」

「結婚してなきゃ慰謝料も払うこと払う事もないだろうし、子供がいなければ養育費も必要ないだろ。そんな当たり前の事もお前はわかってないのか」

「いや、さすがにそんな事はわかってるけどさ、この人が子持ちの既婚者だって事を知らなかったんだよ。何で政虎がそんな事を知ってるんだよ」

「なんでって、こんなに堂々と名前を記事に載せてたら誰だって気付くだろ。新聞社のホームページには顔写真と経歴まで載ってるんだからな。個人ブログには家族の事も書いてあるし、ここだけ見たら仕事熱心ないいパパなんじゃないかなって思うぞ。やっている事はただのストーカーだもんな。でもさ、あんただったらもっと時間をかけてうまくやれば唯菜ちゃんの警戒心も解いて遊びに行くことくらいは出来たと思うんだけどな。そんなことが出来ない理由でもあったのか?」

「ちょっと待て、何で会った事も話したことも無いお前が僕の事をそんなに詳しく知ってるんだ。今こうして初めて会ってからの時間で調べたような事じゃないぞ。もしかして、お前が僕のストーカーなんじゃないか。いや、そうとしか考えられない。ついさっき初めて会ったとは思えない位に僕の事を調べてるなんて、完全にストーカーじゃないか」

 なんでだろう。私はさっきまでこの北川さんに無理やり車に乗せられそうになっていて、それを助けてくれたのが右近君と政虎君のはずなのに、政虎君の方が悪い人に思えて仕方ないのだ。北川さんの言っている事は完全に詭弁だと思うけれど、政虎君の方がやっている事がおかしいようにも思えた。私が知っている限りではあるが、政虎君と北川さんの接点なんて何もないはずなのに、この短時間にここまで調べることが出来るなんておかしいと思ってしまった。

「論点をすり替えて自分を正当化しようとしてんじゃないよ。どう思おうがお前の勝手だけどさ、唯菜ちゃんを無理やり車に乗せて拉致しようとした事実は変わらないわけだからな。もしかしたら、そんな事を日常的に不特定多数の人にやってたんじゃないかって思えるくらいにスムーズに動けてたけどさ、いろんな人にストーキングてたり拉致してたりするの?」

「バカを言うな。僕がそんな事をするわけないだろ。確かに僕には妻も子もいるが、僕が愛しているは唯菜だけだ。それに、唯菜だって僕の事を愛してくれているんだ。ストーカーなんかじゃない。僕はそう断言する」

「やたらと手慣れている感じだったから常習犯だと思ったけど、そう言うことなのね。でも、本当に愛し合っているのなら唯菜ちゃんは自分から車に乗ると思うんだよな。あんたがストーカーだったとしたら手足を拘束して逃げられないようにすると思うし、一体何がしたいのかさっぱりわからないんだよな。職場や家庭で何か嫌な事でもあるのか?」

 政虎君はなぜか急に今までの態度を変えて優しく北川さんに話しかけてきた。北川さんも警戒はしていたのだがこの場をどうやって切り抜けようか考えているようで、何かをブツブツと言いながら政虎君と右近君の事を交互に見ていたのだ。

「俺が唯菜と愛し合っているというのは信じて欲しい。そんな俺らの間に障害が二つ出来てしまったんだ。確かに、僕にはお前が言うように妻も子供もいる。だが、そんなのはどうとでもなることだ。妻の愛情はもう僕には向いていない。娘にしか向けられていないのだ。あんなに愛し合ったはずの妻はもう僕の事なんて興味も持っていないのだ。だから、僕は新しい愛を求めた。そんな時、僕の愛に答えてくれたのは唯菜だったんだ」

「待ってください。私は北川さんとそんな事をした覚えなんてないです。お店でしかあった事ないじゃないですか」

「そうだよ。僕たちはまだあのカフェでしかあったこともないんだ。でも、今日はそこから一歩先へ踏み出すチャンスじゃないか。さあ、そんな奴の後ろに隠れていないでこっちに戻っておいで。今なら僕もまだ怒ったりなんてしないからさ、こっちへ戻ってくるんだ」

 そんなことを言われても私が北川さんの方へ行くはずがない。それを右近君もわかってはいるのだろうけど、両手を広げて私の事を守ってくれている。やっぱり右近君に守ってもらえるという安心感は大きいんだな。

「あんたの家庭の事はどうでもいいけどさ、もう一つの障害ってなんなのさ。どうせあんたみたいなストーカー気質の人が思ってる障害なんだから大したことなんだろ」

「僕はストーカーじゃない。決してストーカーなんかじゃない。それだけは言っておく」

「そんなのはどうでもいいからさ、あんたが思ってる障害ってのを言ってみなよ。どうせ大したことない問題なんだろうし」

「大した問題じゃないだって。そんなはずないだろ。この世界は僕と唯菜に嫉妬しているんだ。そうでなければ僕が東京なんかに異動する事になるわけないだろ。なんで僕が唯菜のもとを離れて東京なんかに行かないといけないんだ。そうだ、僕が一人で東京に行くんじゃなくて、唯菜も僕と一緒に東京に行こう。それがいい」

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