第5話

 塚本家の元祖は、困っていた。

 知らせを受けてから数日、林家の周囲に集い、隙を見つけるべく見張っている獣達に、様々な手で説得を試みていたが、全く効果がない。

 昨夜もこちらにやってきて、何度目かの説得を試みたが、無駄足だった。

 最近、親しくなれた女に乗り移る形で、夜はここに来て、昼間は近くのホテルにて疲れを癒す生活に、学校教員である望月千里もちづきちさとや、その護衛としてついてくる二人の教え子より、ただ移動して雑談に近い説得をしているだけのシロの方が疲れ、うんざりとしてきていた。

「……脅した方が、手っ取り早いか?」

「物騒なことは、言うでない」

 欝々してつい、呟いた声を拾ったのは、昨夜より説得に参加してくれている者だ。

 こちらは、誰かに取り憑く形で移動する必要もない、正真正銘の幽霊だ。

「……」

 いや、旅行気分で、方々を転々と動く幽霊など、この人しかおるまい。

 身軽な和服姿の男は、未だ敵愾心むき出しの獣を見回し、護衛とは名ばかりの高校生たちに向く目を、静かに牽制し続けてくれている。

 本当は、護衛として雇いたい若者がいたのだが、話をどこから聞きつけたのか、その若者の弟子の少年が、待ったをかけたのだ。

「無茶して、変な具合に成長してほしくないんですっっ」

 金田健一かねだけんいちは、恩師となりつつある望月千里に連れられてやってきて、そんな意味不明の力説をしてから、師匠の代わりに護衛を買って出てくれたのだ。

 ここまで人を侍らせて、夜な夜な話し合いに赴いているのに、一向に靡いてくれない連中を前に、物騒な言葉を漏らしてしまうのは、致し方ない事だ。

 そろそろ、内側に動きがありこの一日で急転するはずと、そう聞いてしまったから尚更だ。

 その急転の原因は、壁が一気に破られることだ。

 今は、林家の面々に気付かれぬよう徐々に薄め、二月に一枚の割合で剝がしていた壁を、そろそろ派手に引き裂くと伝えられたのだ。

 セイの側近が、別な場所からこっそりと入り込み、堤の人間を連れ出すとも伝えられたから、恐らくはそれが実行され次第、速攻で破られるだろう。

 シロの役目は、後ろ黒いものの、人間の法では裁かれるほどではない事をやっていた林家の面々の命を、極力助ける方向に持っていくこと、だった。

 古谷家の僧侶や、他の人間の術師たちの言葉は、獣たちや人間とは言い難い連中の胸には響かなかった。

 混血であるシロが、やんわりと説得をしても、ここ数日聞く耳すら持ってもらえなかった。

 既に夜は明け、日も昇ってはいるが、今日が最後の機会と粘っていた女は、打つ手なしと困っていた。

 その様子を見守っていた千里が、日が昇り始めてからすぐ、傍で木から自分の肩や頭に降り立って、無邪気にじゃれついてくる野鳥たちの、止まり木と化していた速瀬伸はやせしんを振り返った。

「……先程の件は、返事が来たか?」

「あ、はい」

 野鳥を驚かさないように伸は小さく頷き、あっさりと返事をした。

 夜のうちにある場所に連絡し、手配してもらっていたのだが、今までその返事を知らせる間がなかったのだ。

「丁度、古谷先輩が戻っていたそうで、夜間列車に乗って、こちらに向わせたと、」

 その答えに頷き、千里はシロに言った。

「引継ぎが来るまで、もう少し粘ってくれないか? 恐らく、信用度の問題だ。こちら側の者で、信用を押し付けられる者を、古谷が送り込んでくれる」

「それは、瑪瑙殿の事か? あれも、混血だろう?」

 疑わし気な女に答える前に、千里の隣で止まり木として動かなかった少年が、びくりと体を震わせ、慌てて携帯機器を取り出した。

 その動作で、野鳥が一斉に飛び立ったが、すぐに同じように髪や方に戯れ始める様を、半分透けた男が、しみじみをした目で見守っている。

「……あ」

 画面を見た伸は小さく声を上げ、恩師に言った。

「駅に着きましたが、列車酔いしてしまって、すぐには歩けないそうです」

「……あの地に来るとき、乗って来たんじゃなかったのか? 駕籠の時代じゃなかったはずだ」

「兎に角、迎えに行ってみます。あの人一人くらい、抱きかかえてここまで走れます」

 首をかしげた千里に、健一が力強く頷き、頷く前に走り出していた。

「……酔う体質なら、使い道ないんじゃあ?」

「いや、そんなはずはないと思う」

 疑わし気なシロに、千里はしっかりと答えてから、少し考えた。

「……気楽に乗れていたものは、列車や辻駕籠よりも、乗り心地が悪かったはずだ。恐らく、ずっと普通の奴とのびのびと暮らしていた、弊害だろう」

「?」

 そんなことを話している女二人に、地の底を這うような声が、低く投げかけられた。

「まだ、無駄な話を、続ける気か? 人に共鳴し、共生しておる者が何人来ても、我らの考えは変わらんぞ」

「気の抜けるようなガキまで巻き込んで、いつまで無駄なことをする気だ?」

「何を言っている」

 比較的大きな体の二匹に、千里は真面目に返した。

「あなた方のために、うちの大事な生徒を連れて来たんじゃない。あなた方の説得で荒んだ心を、これ以上物騒な事態に持って行かれてはかなわないから、わざわざ春休みも返上させて、連れて来ているんだ。初めは護衛としての役もあったが。あなた方が、気抜けになるのは勝手だが、あなた方のためだと思われるのは、大変心外だ」

「大体、お前らもせこいんじゃないのか? 途中からは、この子に山林の野生の生き物が、たむろす様を見たいがために、頑固に信じてないようにしか、見えなかったぞ」

「何だと。恨むなら、お前らがこんな奴を連れてきたことを、恨むんだな。こんな面白おかしい奴、我らの中にもおらんぞ」

「……変な喧嘩の売り買いは、やめてください。金田は今、いないんですから」

 険悪とは言い難い睨み合いの中、伸が困惑して双方を交互に見る。

 どうも、話の中心に据えられているような気がするが、なぜそうなっているのか分からず、そう宥めるしかない。

 そんな様子を見守っていた半透明の男が、しみじみと言った。

「よもや、こんな子がまた、現れるとはな。蘇ってみるものだ」

「蘇るなら、もう少ししっかりと蘇ってほしかったですけど、それは同感です。昔を思い出しますね」

 シロも同調してしみじみと返し、居心地悪そうな伸を見つめた。

 困惑したままの薄い色の目を向けられ、千里は首を振る。

「……すまない、私にも、半分ほどしか、意味が分からない」

 だが、この少年を連れて来たのは、正解だった。

 初めは、健一一人では心もとないと、その友人も巻き込もうと、そう思った程度だった。

 丁度、春休みに入った頃で、教師である自分は兎も角、成人に近い年齢の生徒たちは、多少の夜更かしぐらいは、障りないだろうという判断だ。

 千里は相変わらず事務作業や、新年度の準備であまり休めないが、昔はもっと厳しい環境の中で生活していたから、苦ではない。

 寧ろ、余りいないこの手の知り合いの頼みは、極力叶えたいと思い、ここまで一緒に来た。

 初めの夜、この集落の隅に群がる彼らを見て、総毛だった。

 人の目から、極力隠れて暮らしているはずの者が、ここに集結していたのだ。

 その中には、人の形をとれず、異形の姿で睨んで来る者もいる。

 その威圧も半端ではなく、その手と対峙することがほとんどない千里は、内心身が縮む思いで、シロの後ろに立っていた。

 変化があったのは、すぐだった。

 敵愾心露わな連中が、シロと一歩も引かない言葉のやり取りを続ける中、睨むようにこちらを見回した異形の目が、露骨に丸くなったのだ。

 何事と、そのすぐ傍に立ち、人の形を取って女と言い合っていた者もそちらを見、同じように目を丸くする。

 その顔から、一瞬で気が抜けていた。

 後ろには、生徒二人が警戒心最大限で立っているはずと振り返ると、目の前に梟がいた。

 いや、正確には生徒の顔より、その羽毛で覆われた小ぶりな体が目に留まり、目線を上げたらその丸い顔があったのだ。

 瞳孔が真ん丸になった目で、振り返った千里を見返し、くるりと頭を反転させる。

「……」

「? どうしました? 先生?」

 その下から、生徒の一人の声が自分を呼んだ。

 目線を少し下に落とし、千里は平穏の声で問う。

「首、痛くないのか?」

「首より、頭がチクチクします。爪が、鋭いんですね」

 言った伸の肩に、もう一羽、同じ梟が飛び乗った。

 更にもう一羽乗ろうとしているのに気づき、隣に立っていた健一が、真顔で言った。

「店員オーバーだ。ほれ、順番順番」

 手慣れた様子で梟を追い払う生徒に、千里はようやく尋ねた。

「……普通に、流せる事態じゃないんだが、どういうことだ?」

「え? 知りませんか? こいつ無茶苦茶、生き物に好かれるんです。昆虫にも好かれていると知った時は、驚きましたよ」

「初耳だ」

「あ、これ、こいつの内申に響きますか? なら、内密でお願いします」

「ああ……」

 狸にだけ、好かれているのではなかったのか。

 そんな疑問を思い浮かべながら、気の抜けた返事をしてしまった教師は、そこで我に返って姿勢を戻した。

 そこに、気の抜けた面々の顔がある。

「……すまない、話を進めよう」

「ああ」

 異形の者が我に返り、シロの笑いをこらえるような引きつった顔を睨み、真剣な話し合いを再開しようと口を開いたが。

「あ、こらっ。お前は、流石に駄目だっ。銃殺案件が人に馴染んだらっ。人里に下りて来られたら、不味いんだ。しっしっ」

「……おいっ」

 流石に気になってしまったようで、つい生徒の方に声を投げた。

 健一が追い払った手を止めて、こちらを見る。

「何を、やってるんだ」

 地の這うような声で問われ、健一はきょとんとしたまま答えた。

「何って、月の輪熊が……」

「月の輪熊は駄目で、猪はいいのか? お前の感覚では?」

 隣で冷静に言う伸だが、それに異形が鋭く答えた。

「それで、正解だろうがっっ」

「そうだぞ。熊はな、人里に下りる様になったら、大変なんだ。人間のルールを極力守らせるんだから、こっちも考慮しなくちゃいけない。餌付けは厳禁だ」

 恐らく、師匠の教えだろう言葉をしたり顔で言う友人に、伸は不思議そうだ。

「餌付けは、してないが」

「羆がいる地域じゃないのが、幸いだよな。見てみたい気はするけど」

「ふざけるなっ。我らですら、羆相手は手こずると言うのにっっ」

「おい、落ち着けっっ」

 つい流されて言い切った異形の者に、人の形をした異形の者が、慌てて同胞を窘める。

 その顔も、少し気が抜けているように見えるが、身を引き締めるために敢て、自分たちと対峙している女を見据えた。

「前に来た奴にも言ったが、兎に角、邪魔はするな。お前たち人間たちの弁は、信じられない。本当だと言うのなら、この目で確かめさせろ」

「今は、それは出来ないんだって、こっちも何度も言ってるだろう」

 平行線のまま夜が明けてしまい、手ごたえがないことを嘆きながら、千里は塚本家の元祖と別れ、生徒たちを残して地元に戻った。

 そしてその夜、些細な変化を見つけた。

 シロもその事実に気付きつつ、その後も説得のためにこの場に訪れていたのだが、最終日になるはずの今日は、昨夜から合流している、半透明の男と共にほのぼのとしつつも、改めて困惑しているようだ。

「……まあ、呪い付きとなった恨みがあるんだから、諦めないのは仕方ないとは思うけど、この人数で集落を攻めるのは、不安じゃないのか?」

「心配してくれるとは、うれしい限りだな。我々はてっきり、こちらの数を減らして戦力を削ぐために、そのふざけたガキを連れて来たとばかり、思っていたんだがっ?」

 そう、初日より、集っていた者が半分以上減っていた。

 呪い付きとなった親族を持つ異形と、その意に乗った獣たちや他の異形が集っていたはずなのに、日を追うごとに減り続け、とうとう呪い付きとなった者たちと、その親族が残るのみとなったのだ。

 古谷が投入する助っ人を待つ間、再び説得を試みるシロだが、諦めの色が声に出ている。

「初日から言っていることだけど、壁が消えた後に押し入っても、目的の奴らと会う以前の問題となるかもしれないぞ。隠れ住んでいたあなた方の力が計り知れないのと同じで、隠れ住んでいたあなたたちが預かり知らない、別な場所で隠れ住む計り知れない力を持つ者もいる。双方がぶつかって、いい目が出るはずもないだろう?」

「恨みを抱えたまま、生き続けるよりは、その計り知れない奴と衝突して死ぬ方が、ましだっ」

 異形のままの男は、地を這うような声で叫び、思いっきり己の頭を殴った。

 その行動に慌てた同胞が、叱咤の声をかける。

「おいっ、しっかりしろっ」

「野鳥どころか、兎と栗鼠が群がるだとっ? この、人の皮をかぶった、化け物めっっ」

「……そちらの方が、化け物じみてるんだが。やめてくれるか、うちの生徒を愚弄するのは」

 散々ひどい事を言っている者たちに、千里は本気でそう凄んでしまった。

 何故か外観内観問わず痛みに鈍いこの生徒は、数日またいでその攻撃が効いてくるので、今は平気そうだが、最悪新学期ごろにそれが響いてきそうだ。

 術師側の思惑としては、ここの連中の戦力を削っている少年の存在は有難いのだろうが、生徒の将来を思うと、このことが障りにならないことを祈るしかない。

 と言うか、この場の事を収めた功を褒めて誤魔化したいと切に思う教師は、最後に投入される助っ人に賭けていた。


 その兎は、ほとんど動かない獣だ。

 どのくらい動かないかと言うと、保育園の獣舎の中で、殆どの園児が見たことがないくらいに、獣舎内に掘られた穴の中で、動かなかった。

 意外に機敏な動きをすると知っているのは、十数年前に卒園した園児たちと保護者の内、入園式にいた者たちだけだ。

 そして、意外に子ども思いだと知られたのは、その卒園した園児と同い年の少年が、家出をしたと、古谷家一同が騒いでいた時だ。

 更に、実は意外に強いと知れたのは、その数年後、あの送迎バスを狙った、幼女誘拐事件の後、活躍があったからだ。

「それまでは、時々、孤立した園児に寄り添い、少しずつ馴染ませたりするにとどめていたそうだが、それでは駄目だと判断したらしい」

 と言うより、幼女を探す若者に合流し、乗用車の中の音を逐一知らせたのも、この兎だったという。

 事が起こってからでは遅いと、心底思い知った兎は、園児たちに守りの幕を張った。

 この数年は、卒園や退園したらその幕を消し、無事巣立ったことに安堵する生活を続けている。

「その事件に関わった狐だが、今は捕まった死刑囚の中にいる」

「ああ、そうらしいな。だが、あれも不思議だった。あの狐、雄の割に極端に力が弱そうだった。よく、人に乗り移れたものだと、当時の映像を見て思ったもんだ」

 望月千里がふった話題に、人の形をした異形が、低く言って頷いた。

 人知れず生活してはいるが、世情は把握しているらしい。

 その中で、弱い狐が起こした大仰な事件は、気になっていたようだ。

「もしや、その兎が、何か細工をしたのか?」

 そう言って見たのは、青白い顔の小柄な男だった。

「そうだ」

 未だ声も出ない程調子が悪い男の代わりに、千里が頷いた。

「その狐の姉を巻き込んで、逮捕前の受刑者と、件の狐の波長が合うような呪いを、全身まんべんなく練り込んだ上に、一度入ったら出れない呪いを盛り込んだそうだ」

 狐の姉は、しり込みしたと言う。

 犯罪者の、嫌な男の体を、満遍なく触れと言われれば、嫌がられるのは無理もない。

 しかも、実の弟を閉じ込めるためと言われれば、尚更だ。

 だが、兎は強気だった。

「今まで、散々なことをしてきた弟を、代わりに始末してやると言っているんだ。娘に執着していると知っていたくせに、放置していたんだから、この位は、協力するのが当たり前だ」

 小さい割に、迫力は半端ないのは、千里も昔馴染みとなりつつあるので、良く知っていた。

「名は、既に捨てたが、聞いたら知られているかもしれない名だ」

「今は、うさちゃんです」

 金田健一が、未だ立ち直れない兎の男の代わりに紹介すると、半透明の男が盛大に噴出した。

 そのまま腹を抱えて蹲るのを、ようやく復活しかかっている兎が見やり、睨む。

じゅう、お前、随分、お気楽な男になってるじゃないか」

「このギャップに笑わぬ奴が、何処にいると言うのだ? お前、昔の所業が、既に浄化されたとでも言い切る気か?」

「少なくともカスミは、いい名だと褒めたが?」

 苦い顔で答える兎が出した名で、重と呼ばれた男は声を立てて笑い出した。

 そんな男を睨みながらも、ようやく一人で立った男は、千里の説明を聞きながら見守っていた塚本家の元祖と、それに対峙していた者たちを見る。

「昔の名が必要ならば名乗るが、それには及ばなさそうだな」

「……死んだと、聞いていたんだが」

「ほう、石川家のあいつを、見知っているのか?」

「当然だ」

 人の姿の異形が、畏怖を込めた目を向けて言い切った。

「あれは、我らの中でも言い伝えの域の獣だ。彼の者の連れ合いは、黄金色の赤目の大兎だったと言う話だったが、それは間違いのようだな」

「いや。元々は、この色だ」

 小柄な男は、己を指さして答えた。

 昨日、久しぶりの遠出が決まってから、初めて短くした白髪と、色白の肌の中に目立つ赤目。

「……そちらの方々は、古くから生きていると見たが、ご存じか?」

 重と呼ばれた男が、やんわりと言った。

「大昔、狐の里の一つを、ただ一羽で滅した兎。その業のせいで、真っ白だった体毛が赤黒く染まり、洗っても取れなかったのだ。この歳月で、ようやく色が取れたのだな」

 笑う男の後に、千里が頷いて続ける。

「私が初めて会った時は、栗毛色だった。黄金色となったのは、あの地に身を寄せた頃だったな。それから白くなるまでが、恐ろしく速かったが」

「ええー。その兎が、何で保育園で飼われてるんだよ。石川家は、知ってるのか?」

 シロがとうとう頭を抱え込み、そう尋ねると、一緒にいた古谷志門が答えた。

「はい」

「はい?」

「そもそも、この人の身柄を、古谷に預けたのが、当時の石川家の当主様だったので」

「ええっっ」

 混乱する女に、志門は断りを入れた。

「ですが、誉さんは知りません。あの人から、完全に逃がすのが目的でしたので」

 それは本当に、命懸けの救助劇だったが、志門はそれを説明する気はない。

 完全に、石川家の秘事になる話だからだ。

「心配しなくとも、あいつは既に、こちらをいないものとして見ている。だからこそ、ここまで出張って来れた」

 今は、古谷の隠れ玉としてここに来ている兎は、一緒に来た者たちを振り返った。

 昨夜乗った列車の中で、合流してしまった獣たちだ。

 これまでも、様子見でこの辺りに通っていた大柄な三人組の男たちは、戸惑った顔で集まった面々を見回していた。

「まずは、この者たちの意固地になっている原因から、取り除くのが先と見たが、そちらの方は、どう思う?」

 同じように一通り見まわした兎が切り出した相手は、頭を抱えた塚本家の元祖だった。

「え? 原因って、林家の奴らだろ? 力を奪われた恨みを、何とかするのか? 無理だろ」

「奪われたんじゃない。封じられただけだ」

「……そう思い込んでいるならと、放置する気だったんだけど」

 真っすぐに指摘されたシロは顔を上げ、後ろめたそうに笑った。

 それを見て睨む異形の男たちから目をそらし、兎を見下ろす。

「でも、それを解くには、術者を攻撃するしかないからね、それをさせないためにいるのに、教えられるわけ、ないだろ」

「いい判断だ。人間の呪いは、文字や音を複雑に組み合わせて作るから、それを破るにはその複雑な場所を解すしかない。だから、手っ取り早く、術者の死が選ばれるわけだ」

 そんなことを気にせず解ける奴もいるが、それは言わず、基本的なことを言った兎は、再び周囲を見回した。

 そして、しんみりと言う。

「実は、同じ呪いにかかった奴を一度、見たことがある。そいつには使えなかった技なんだが……」

 そこで言葉を切った時、速瀬伸に群がっていた野鳥と小さな獣が、一斉に逃げ出した。

 何事かと驚くものは、ここにはいなかった。

 重が目を見張ってなるほどと頷く中、その場にいた異形の者も獣も、味方である女二人も少年たちも、鳥肌を立てて固まってしまった。

そしてすぐに、その何人かが音もなく倒れ込む。

「お前さんたち位なら、楽に呪いを引きはがせるな」

「へ? 今の、何ですかっ?」

 恐ろしい感覚が背筋を走り、それでも倒れるほどではなかった健一が、自分たちよりもはるかに強靭なはずの連中が、失神した事実に戸惑い、兎に問う。

「説明をお願いします、うさちゃんっ」

「要は、オレの威圧で怯えてくれるから、楽に引き出せるという事だ」

 緊張の問いかけに、兎は親切に答える。

 そして、倒れ込みはしたが、すぐに身を起こした、今日の同行者の一人を振り返った。

 無事だった兄弟に支えられ、何とか立ち上がった男に、やんわりと話しかける。

「どうだ? 力が戻っただろう?」

「……」

 呆然と己の握りしめた拳を見つめ、男は呟く。

「……こんなに簡単に、解けるものだったのか?」

「そんなはずは、ないだろう」

 一人平然としていた重が、笑いながら言った。

「先程、狐の話を聞いただろう、満遍なく体に触らせたと。その狐の女の手にでも触れて、音で呪いを男の体に練り込んだのだろう。今やったのは、その逆だ」

 つまり、体中から音を作り出し、その呪いの元を探し出し、それを解いてはじき出したのだと、重は丁寧に説明した。

 この場の者たちに威圧的な殺意を浴びせ、そのせいで立つ鳥肌の音で違和感を察し、呪い持ちたち全員から、一気に呪いを解いた。

「昔からできる技なんだが、これは、オレで震え上がってくれる相手にしか出来ないんだ。結局、救いたかった奴は死なせてしまった」

 少し悲しそうに言う兎の前で、一度失神した者たちが、親族の手を借りて立ち上がり、小さな男を見た。

 その目には、畏怖と畏敬の念がある。

「これで、恨み云々の話は、解決したと思うんだが。こちら側の話を、聞いてくれるか?」

 やんわりとした問いかけに、同胞同士顔を見合わせた者たちは、代表で初日から話し合いの矢面に立っている、異形の男が答えた。

「……この者が言っていることは、本当なのか、確かめるだけは、しておきたい。今まで粘ったと言うのに、己の目で確かめずに戻るのも、気分が悪い」

「まあ、そうだな」

 控えめな答えに、兎が頷く。

「中に人間がいても、無差別に襲い掛からないのであれば、確かめる分には構わないと伝えるよう、古谷の御坊には言われている」

 そう了解の意を示した男は、不意に苦笑した。

「と言うより、こちらが落ち着いたら、壁を一気に破れと、指示が来た。完全に隠居した老兎を、こき使ってくれるよな」

「はあっ? 誰からっ?」

 思わずシロが叫んでから、思い当たる。

 いや、考えるまでもない。

 そんな指示を出せるのは、一人しかいなかった。

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