ケースEXー2「人の業」
予想よりも早く、〈星見の庭〉のしっぺ返しがあった。
まず、かなた先輩の母君が交通事故に遭った。しかも打ち所が悪く、半身が思うように動けなくなってしまったのだ。以前よりもひどい顔をしている、というのがかなた先輩の弁だった。
そればかりか、借金をしていたことも明らかになった。カードは止められ、かなた先輩がブランド品を売り払ってもとても払いきれない額だった。友人にも羽振りのよい振る舞いをしていたらしいが、その友人たちは母君の見舞いにも来なかった。
失意の中に沈んだ母君を、かなた先輩は甲斐甲斐しく世話をした。その疲労は尋常ではなかっただろう。母君の行いに振り回されたかと思えば、今度はまた介護をすることになったのだから。
そして——かなた先輩は店を辞めることにした。
母の介護との両立が不可能であると判断してのことだ。
店長も先輩も引き止めようとしていたが、ちょうど産休明けでマユミさんが戻ってきたこともあり、どうにか承諾を得た。去り際、かなた先輩が「お世話になりました」と深々と頭を下げた光景は今も目に焼きついている。
彼女のせいではないのに、なぜこんなに心苦しいのか——
いや、わかっている。私がかなた先輩に〈星見の庭〉のことを教えたからだ。
教えなければよかったのか。
私のやったことは、希望をちらつかせてしまっただけではないのか。
かなた先輩のいない店内は、ひどく静かに感じられた。
マユミさんは決して悪い人ではないし、接客にも問題ないが、いかんせんかなた先輩のいなくなった穴というのは他の人では埋まらない。先輩の気分も態度も日頃に悪くなり、なんの脈絡も前触れもなく怒鳴られることがしょっちゅうあった。
店長はといえば、かなた先輩の穴をなんとか埋められないかと頭を練っている様子で、とても店内のことまで気にかける様子ではなかった。
私は終業後、母に電話をかけてみた。用件はもちろん、かなた先輩とその母君についてだ。
「それなら覚えているわ」と母が言った。
「何度もお父さんが念を押して言ったんだけど、あのお方は聞かなくて。警告しても意味がなかったの。最初に来たお嬢さんはそのことをわきまえていたんだけれど、あの人は駄目みたいだったわね」
「……どうにかできない?」
「無理よ。あなただって知っているはず。〈星見の庭〉での願い事は一生につき一度だけ。破れば必ず手痛い目に遭う。こう言ってはなんだけれど、そのかなた先輩のお母様は自業自得としかいいようがないわ」
「でも、それでかなた先輩が……」
母は一旦、言葉を切った。息が詰まるような沈黙。妙案でも考えてくれているのではないかとわずかに希望を抱きかけたが、「ふぅ」と沈痛な吐息が返ってきた。
「一つだけ、手がないことはないわ」
「それって、何!?」
「あなたが願い事をすればいいのよ」
私は絶句し、危うく手から携帯を落としそうになった。その手があったかと思う同時、このことに願い事を使っていいのだろうかという迷いが生じたのだ。
願い事はしないつもりだった。
だが、かなた先輩のためなら——
「〇〇、もう一度言うけれど、これは自業自得なのよ」
「……わかってる」
「このために一生に一度の願い事をするなんて、私は望まないわ。そうしたところで、かなた先輩という人があなたに感謝すると思う? お母様がこれから先、また同じ過ちを繰り返さないと保証できる? 私は、できないと言い切れるわ」
「どうして?」
「それが人の業だからよ。良いことがあれば悪いこともあると考えるのは当然だけれど、不幸を味わった後に幸福を得られれば、その幸福を維持したくなると考えてしまうもの」
「…………」
「お願いだから、よく考えて。願い事はあなたのために使って。私たちの家の呪いを解くことができなくても、他に何かしら道があるはず」
「……そうだね、わかった」
「本当に?」
「本当さ。……話せてよかった」
「私もよ」
それから通話を切り、携帯のカレンダー機能を開いた。二日後はオフで、日帰りで家には行ける。また、就業後に新幹線に飛び乗れば——
そこまで考えて、頭を振った。
かなた先輩がどこにいるかもわからない現状、彼女の幸福を願ったところで感謝などしてくれようもない。そもそも、感謝してほしいのだろうか。そんな浅ましい考えで、〈星見の庭〉に願い事をしようというのだろうか。
「……参った」
携帯を傍らに置き、私は布団の上でぼそりと言った。かなた先輩には恩義があるが——母の言葉にもうなずける。もしも私がかなた先輩のために願い事を使おうというものなら、彼女は再度幸福を手にできるのかもしれない。
だが、その先は? 誰が保証してくれるのか?
そもそもなぜ私は、こんなことで迷っている? すでに辞めてしまった人間の後を追おうとしたところで無意味だ。どれだけ気にしても。
「…………」
私は体を持ち上げ、横向きになった。視界の端に携帯がちらついていて、なんとなく煩わしくて片手で視界から外した。
それから二、三分ほどだろうか。私は結局、また携帯を手にしていた。気づけば新幹線の乗車時刻を見つめている。この時間に店を出て、走っていけば間に合うだろうという計算をして。
わかっているはずなのに、どうしてこんなことをしているのか。
私自身、腑に落ちるような理由が思いつかなかった。
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