ケースEXー1「終わりと始まり」
結局私は〈星見の庭〉で、願い事をしなかった。
祖父と父の経験と言葉が本当なら、どうあがいても私は
先祖の過失で私たちが割を食うなど、馬鹿げているとしか思えなかったからだ。
私は祖父と父と母に、思いの丈を告白した。決まりきった道で、それも裕福とはいえない暮らしをせざるを得ないというのなら、自分が変えてみせると。
父は「そうか」とだけ言った。
母は「無理をしてはいけないわよ」と言った。
祖父は「こちらのことは気にしなくていいからな」と言った。
そして私は家を後にした。父の話を聞き、何がなんでも夢を成就させようという思いが強まった。〈星見の庭〉で成功を祈るなど、まっぴらごめんだった。
しかし——
☆
家から洋菓子店に戻って来た時の反応は、かなた先輩以外冷たかった。
ちょうどクリスマスが近いこともあって、徐々に忙しくなっていたからだ。いつも不機嫌そうな先輩は事あるごとに舌打ちし、店長はまともに会話をしてくれようとはしなかった。
それでも、懸命に仕事をした。清掃、接客、品出し……任せてもらえる仕事は、どれも真摯に取り組んだ。おそらく——いや確実に、〈星見の庭〉に対する反抗心があったのだろう。
ある時、かなた先輩が話しかけてきた。
「いつもより気合が入ってるね」
「そうでしょうか?」
「親御さんに顔を出してから、より励むようになったって感じかな」
「……必ず、夢を叶えるって言いましたから」
ふぅん、とかなた先輩はカウンターに肘を載せ——「そういえば」
「〈星見の庭〉っていうの、知ってる?」
一瞬、心臓が止まりそうになった。硬直しかけた体を半ば無理やり動かして、清掃を再開する。
「なんですか、それは?」
声が震えてないだろうか、と
「そこで願い事をすれば、必ず叶うんだって。噓八百もいいところだけど、なんとなく行ってみたいなぁって」
「……おすすめはしませんよ」
「え? 行ったことあるの?」
「まぁ、そんな感じです。あんなところ、眉唾物の話でしたよ」
「願い事、叶わなかったんだ?」
「……そう、ですね」
かなた先輩は思案げに腕を組み、「そっかぁ」と呟いた。
私は次の言葉を探し——ありふれたものしか思い浮かばなかった。
「叶えてもらいたい願いって、あるんですか?」
「そりゃ、あるよ。いくらでも。お金は欲しいし、今より広いところに住みたいし、猫を飼えるようになったらいいって思ってるし……でも今一番は、お母さんの病気を治してほしいってことかな」
「具合が良くないんですね」
「そう。もって後三か月だか半年だか……日に日に衰弱していってるのを見ると、とてもいたたまれなくなってさ」
かなた先輩はぐっと背筋を伸ばした。顔には疲労の色が隠せていない。
どうすべきだろう——
かなた先輩に〈星見の庭〉のことを教えるかどうか。〈星見の庭〉の力を目の当たりにしたことはないから、もしかしたらぬか喜びさせてしまうかもしれない。
しかし私はメモ帳を取り出し、殴り書きで地図を描いていた。それをかなた先輩に渡すと、「ん?」と怪訝そうな顔をされた。
「〈星見の庭〉の場所です。もしかしたら……願い事が叶うかもしれません」
「え、本当!?」
「でも、これだけは覚えておいて下さい。願い事は一生につき、一度だけなんです。それを破れば、必ずしっぺ返しが来ます」
「怖いこと言うね……でも、ありがと!」
メモを丁重に畳み、かなた先輩はにっこりと微笑んだ。
「可能性があるのなら、どんなものにも賭けてみたいの。まぁ、怪しげな宗教とかはゴメンだけど」
「はは、同感です」
「じゃあ、私そろそろ上がりだから。後はよろしくね~」
「はい、お疲れ様でした」
奥へと引っ込んでいくかなた先輩の後ろ姿を見——なぜだか、不安がよぎった。かなた先輩のことだから〈星見の庭〉のルールは守るだろうと思っているのだが、父の言葉を思い出してしまったのだ。
そして、嫌な予感は的中した。
☆
結論からいえば、かなた先輩の母君の病気は回復した。医者もさじを投げるほどの病状が、〈星見の庭〉の恩恵によって健康そのものになったことは想像に難くない。
そこからが問題だった。
かなた先輩の母君が、〈星見の庭〉の恩恵にすがろうとしたのだ。
健康になった分、今までにできなかったことをやろうという腹いせに近い衝動が、母君を突き動かしてしまったのだ。
そしてかなた先輩は私に一言もなく、母君を〈星見の庭〉に連れていった。そこでどんな願い事をしたのかはわからない。ただ、日に日に表情が沈んでいくかなた先輩の横顔は見るに耐えなかった。
ある日の就業間際——
「ねぇ、〇〇くん。相談というか、確認したいことがあるんだけど……」
「はい、なんでしょうか?」
「〈星見の庭〉って、一生につき一度しか願い事を叶えてもらえないんだよね?」
「はい、その通りです。もしかしたら、あそこにいる神父から強く念を押されたかもしれませんが……」
「うん、その通り。でも、私のお母さんが……」
「お母様がどうされたので?」
「何度も通っては、願い事を叶えてもらおうとしているの。それって、大丈夫なのかなって」
「……自分にはなんとも言えません」
「タダで願い事を叶えてもらうなんて、そんなうまい話がある? って思っちゃって。お母さんにも何度も言ってるんだけど、とても止められなくて」
私は腕を組み、「んん」と唸った。
もしも一生につき一度だけという決まり事を破ればどうなるのか、私には想像もつかない。かなた先輩の母君にのみしっぺ返しが来るのならばまだマシだろうが、かなた先輩にも災厄が降りかかるのだけは御免被りたい。
私は語気を強めて言った。
「今すぐ止めさせることです。傍目から見ていても、母君は暴走しているのではないかと思われます」
「そう、だよね……」
かなた先輩は肩を落とし、とぼとぼとカウンターを後にした。
静まり返った店内で、私はモップで床を掃いた。考えてしまうのはかなた先輩のことと、母君のことだ。あの表情、今しがたのやり取りでかなた先輩でも、母君の説得は難しいのかもしれない。
ならば、自分にできることはなんだろう——
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