ケース5-5「星見の庭」

 玄関に上がり、リビングというにはこじんまりとした空間の中、父はテーブルの一画で椅子に腰を落ち着けていた。私が顔を出しても、驚く気配がない。そのことをいぶかしんでいると、「帰ったか」と父は淡々と口にした。


「親父……爺さんが待っている。顔を見せてやれ」


 あまりにそっけない反応に一瞬苛立ちを覚えたが、ひとまずは父の言葉に従うことにした。帰ってきて早々、口喧嘩になることだけは避けたかったのだ。


 小さな個室。年季の入ったベッドの上には祖父が横たわっている。私の姿を認めると、「おお」と短いながらも歓喜の声を上げた。待ち焦がれていたものがようやく来たというような喜びをあらわに、顔をほころばせる。


 私は椅子を引き、あごを上げつつ祖父の顔を見やった。


「お爺さん、ただいま」

「うん、よく帰ってきてくれた」

「具合は?」

「うん……良くはない。医者からは、もって半年から一年だろうということだ」


 シーツの上から腹部の辺りをさする。ガンだろうか、と訊ねたい気持ちはあったものの、それを聞くのははばかられた。私の心境を見透かしたかのように、祖父が率先して口を開く。


「東京は、どうだ?」

「……うん。良くはない、かな」

「そうか。私と同じだな」

「呆れたな、とか思わないの?」

「なぜ、呆れる?」


 祖父は心底不思議そうに尋ねた。そして、窓の向こう——〈星見ほしみの庭〉のある教会に目をやった。


「時々だがな、〈星見の庭〉がお前のことを教えてくれている。一時期はお前の母さんと共にやきもきしていたが、懸命に働いていると知り、安心した。手を抜かずに取り組めば、きっと見てくれる人はいるからだ。それとも、そういった人は一人もいないのか?」

「……いや、そんなことはないよ」

「なら、その人のためにも頑張らないとな」


 祖父は笑おうとして——不意に、勢いよく咳が出た。とっさに近くにあった洗面器に手を伸ばし、祖父の口から垂れたよだれを受け止める。血が混じっていたことに、ぞっとするものを覚えた。


 祖父は洗面器に目を落としつつ、「ふぅ」


「長生きはしたくないものだ。〈星見の庭〉のり人を務めて、一体どれだけ経ったろうか……」

「あの、そのことなんだけど……」


 聞きたいことはいくらでもあった。〈星見の庭〉とは一体なんなのか。なぜ、人々の願い事を叶える力があるのか。父や祖父があの庭の守り人を務めているのはなぜなのか。


 自分が帰ってきたこともそうだ。母は確かに、「〈星見の庭〉が教えてくれた」と言った。意思のようなものがあるのか。まさか精霊とか神といった類いの超常的な存在がいるとでもいうのだろうか。


 私がどこから聞けばいいのかを探しあぐねている間に——「〇〇」


「私よりも、お前の父さんに訊いた方がいい」

「どうして?」

「習わしなんだ……と言っても、お前は納得しないだろうな。ただ、〈星見の庭〉を抜きにしても、お前たちは言葉を交わす必要がある。私はそう思う」

「…………」

「私の最後のわがままだ。……聞いてくれるか?」


 そうと言われては、嫌とは言えなくなる。「わかった」とだけ告げ、私は椅子から立ち上がった。様子を見ていたらしい母さんと入れ代わりになって、私はようやく父と対面した。


     ☆


 父は「少し、外に出よう」と言った。


 父の背中を見つつ歩いていく先には、見慣れたあの教会。その横を通り——縁石と花とで星形に区切られた庭に辿り着いた。記憶はおぼろげだが、前に見た時の花はタンポポだったはずだ。それが今では、ヒガンバナになっている。植え直したのだろうか? と眉をひそめていると——「花言葉は知っているか?」といきなり聞かれた。


「いや、あんまり……」

「ヒガンバナは『再会』という意味を持つそうだ。もっともその見た目からは、そうは見えないと言われる」

「そう、なんだ」


 不意に父は振り向いた。ちょうど、〈星見の庭〉を背にする形だ。


「お前の知りたいこと、聞きたいことはおおよそ想像がつく。だが、それを知ってしまえばもう後戻りできない」

「なんだよ、それ」

「お前の爺さんよりももっと前……ここで初めて守り人を務めた先祖が、〈星見の庭〉で幸せを願った。しかし先祖は自らの過失で幸せを失うことになり、もう一度と願い事を叶えてもらおうとした。そして……罰を受けた」

「まさか、その罰って……」


 父はうなずき、「私たち一族が守り人を務めることだ」


 絶句している私に、父は続けた。


「お前が納得いかずに東京に出たように、私も納得いかない時期があった。爺さんもだ。しかし、結局ここに戻ってくる羽目になる。逃げられはしない……まるで呪いのように、私たちを縛りつけている」

「じゃあ僕も……いずれは必ず、守り人になるっていうのか!?」

「……かもしれない」


 ここにきて曖昧な言い方に、私は眉をひそめた。


 父は緩く両手の指を絡ませ、その隙間からの虚空を見つめる。


「以前、お前の爺さんがこの呪いから解放されるようにと願ったことがあった。しかし、それは叶わなかった。私が同じように願っても、結果は同じだった」

「…………」

「私の代で終われればいいと思っていた。お前には自由に生きていてほしかった」

「そんな、もう諦めたような言い方をしないでくれよ!」


 ほとんど悲鳴のように叫ぶと、父は力なく首を振った。


「〇〇、東京での生活は順調か?」

「……は?」

「順調か、と訊いている」

「順調では、ないかな……未だに雑用とかだし」

「そうか」


 父は目を細め、それから〈星見の庭〉に向き直った。


「願い事を叶えるためには、相応のリスクが要る」

「なんの話?」

「これまで願い事をしてきた人間の中には、より幸せになりたい、気に入らない人間を一人残らず消し去りたいといった具合に更に願うようになった。願い事がひとつ叶えば、もしかしたらという希望と欲望を持ってまた訪れる。目の前に希望がぶら下がっていると、それに飛びつかないでいられないのが人間というものなのだ」

「…………」

「〇〇、お前はまだこの庭で願ったことはなかったな?」


 言われ、そうだったと胸を突かれた。今の父の話の流れで、なんとなく何を言おうとしているのかはわかる。


「夢を叶えたいか?」

「そりゃ、そうだよ」

「ならば、願ってみるといい。もしかしたらということもある。私ではなくお前の代で終わるのなら、それはきっといいことだろうからだ」

「…………」

「守り人になど、なりたくなかった」


 初めて漏れた父の本音に、思わず目を見開いた。


「だが、どうしようもなかった。失意の中で私は家に戻り、お前の爺さんから守り人の役目を受け継いだ。後は、お前の知るところだ」

「そう、なんだ……」

「……喋り過ぎて、疲れたな」


 父は〈星見の庭〉から離れ、私の肩に手を置いた。力を込め、まるで自らの意思を私に託さんとするように。


「何を願うかは、お前の自由だ」

「…………」

「だが、必ず幸せになれるという保証はない。よくよく、考えることだ」


 そう言い残し、父は歩き去った。


 一人残された私は——〈星見の庭〉を見下ろした。祈れば願い事が叶うなど馬鹿馬鹿しいと思っていたが、こうして機会に恵まれると、一体何を願えばわからなくなる。


 父の言うように守り人を務め続けることが呪いだというのなら、自分がその呪いから解放されるように願っても意味はないのではないか。それに、もし解放されたとしても、別の人間が守り人となる可能性はある。


 それでいいのだろうか。


 私は立ち尽くし、取り留めのない思考にただずっとふけっていた。

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