ケース5-4「報せ」
奇跡的に二日、休みを取ることができた。
店長は渋い顔をし、先輩からも嫌味を言われたが、かなた先輩が「私がその分張り切りますんで!」とゴリ押ししたらしい。彼女の気遣いに感謝しつつ、私は休みに入る直前の日、就業後にすぐさま新幹線に飛び乗った。
家に帰ることを母に伝えると、「本当!?」と声を弾ませていた。祖父の容態を訊ねると、あまり思わしくないとのことだ。診察は受けたが病院に入ることはなく、家で療養しているらしい。
私はふと思った。祖父は、あの〈
その時の私は、本気でそう考えていた。
そこで私は、〈星見の庭〉が一体どういう場所であるかというのを、まるで知らないことに気づいた。なぜ、あの場所に訪れる人々の願い事が叶うのかについても。なぜ我が家は守り人を務め、あの庭を見守っているのかということも。
まるでわからない——
そう思っていた矢先、ぬっと男が顔を出してきた。シートの背もたれに手をかけ、「失礼」と声をかけてくる。
「ここの席ですが、空いていますか?」
私は周囲を見回すことなく、「どうぞ」とだけ告げた。「では、遠慮なく」と男は丁寧な動作でコートの前を閉めつつ、席に腰かけた。陰鬱な横顔ではあるが、目には重厚な輝きがある。
再び物思いに入りかけた時、「失礼」とまた声がすぐ隣から聞こえた。
「〇〇、〇〇様で合っていますか?」
「え? あ、はい、そうですけれど……」
私は困惑をあらわに、男の全身を眺め回した。男は意に介した風もなく、コートの内ポケットから名刺入れを取り出す。差し出された名刺には、「私立探偵」とあった。
「探偵……?」
「あなたのお母様に頼まれまして、あなたを尾けておりました」
「な……一体、いつから?」
「それはお答えできません。ただ、お母様はあなたの身を常に案じておりました」
「……父は?」
「どうとも言えません。何も言わずにおりましたから」
「そうですか……では、なぜ今になって僕のところに?」
「あなたが家に帰る時が、私の仕事の終わりだからです。報告のため、あなたと共に向かうつもりです」
「なるほど」
それきり、探偵は口を閉ざした。監視役をつけられたようでいい気持ちはしなかったが、それよりも探偵を雇うほどの金があることに、私は少なからずショックを受けていた。あの家にはパソコンの類いはなかったし、家族全員未だにガラケーだ。母が町に出て、その足で探偵事務所に赴いたとでもいうのだろうか。
探偵を雇うほどに、母は私の身を案じてくれていたのか。
父は、祖父は、何も言わなかったのだろうか。
揺れる新幹線の中、私はまたも物思いにふけり始めた。
☆
我が家は健在だった。
うらぶれた、明かりが点いていなければ廃屋と見間違えそうな家屋は記憶そのままだった。ここでどれだけの年月を過ごし、不満を高めていっただろう。こんな家でも懐かしさと愛おしさを覚えるのだから、東京に出てからの生活でいかに精神が荒んでいたのかを自覚させられた。
「行かないのですか?」
家を前にして、立ち止まっていたらしい。淡々と訊いてきた探偵に、「あ、ああ……」と応えるのが精いっぱいだった。
何を怖がっているのだろう。何に怯えているのだろう。
ただ、顔を見せに行くだけだ——そう自分に言い聞かせ、懐かしい帰路を辿る。
木製のドア周辺にチャイムの類いは、相変わらずない。軽く握った手で戸を叩くと、すぐさま「はい」と声が返ってきた。内側から戸が開くと——記憶より少しくたびれた印象の母が、私の顔を見るなり大きく目を見開いた。
「〇〇……!」
「ただいま、母さん」
母は有無を言わさず、私を抱きしめてきた。私はどう応えたらいいのかわからず、結局母の背に手を回してやるしかできなかった。私を逃がすまいとするように、母の手には力がこもっている。この貧相な腕に、どれだけの力が残っていたのかと思うほどに。
「元気だった?」
「なんとか」
「ちゃんと食べてる? あなた、少しやつれたんじゃない?」
「母さんには言われたくないよ」
ふふ、と顔を離し——そこで探偵の存在に気づいたらしい。探偵は小さく頭を下げ、母も私から手を離して
「ここまで連れてきて下さって、ありがとうございます」
「いいえ、ここに来たのは彼の意志です。私はただ、後を尾けていただけです」
「それでもあなたからの手紙……報告書かしら? この子がどんな風に生活しているのかを知ることができて、安堵していましたの」
「それは
母は私と探偵の顔を見比べ——「いけない」
「いつまでもこんなところで立ち話をしてもなんだから、もうお入りなさい。探偵さんも……」
「いいえ、結構です。それよりも、依頼は果たしたと考えてもよろしいでしょうか?」
「あ……ええ、そうですわね。今回は本当に、ありがとうございます」
再び頭を下げる。
「請求書はのちほどお送り致します。……では、これにて」
探偵は一礼し、元来た道を辿っていった。彼の姿が木々の陰に溶け込んでいき、十秒と経たずにしてすぐに消えていってしまった。
「変わった人ね」
「うん」
「でも、あなたを見つけてくれた。腕のいい人なのね」
「そうらしいね」
母は私の二の腕を軽く叩き、「お腹空いた?」と訊ねてきた。その一言でようやく、空腹であることを思い出した。
「パンとスープと、それからローストビーフを買ってきたの」
「無理しなくていいのに。それに、僕が本当に帰ってくるかわからないんじゃないの?」
「いいえ。お父さんが言ったの。あなたが帰ってくるって」
「……え?」
「〈星見の庭〉が教えてくれたのよ。さぁ、中に入りましょう」
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