ケース4-5「誰が為の幸福」

 まことねた犯人は、なおから足を奪った男だった。


 彼は免許を取り上げられたことを根に持ち、探偵を雇ってまで二人の所在を突き止めたのだ。女の方は決して車道に寄ろうとはしないかつ、夜道をほとんど歩かないためにチャンスが掴めなかったが、男の方は別——そう考えて実行に移した。


 現行犯逮捕。殺意が明らかの犯行。免許剝奪どころか、量刑も免れない。


 だが——それで二人の心が癒されるわけではなかった。


「ひどいよね」

「ああ、そうだな」


 誠は上の空で答えた。ほぼ全身を包帯で巻かれ、足にはギプス、医師によれば重い障害が残るかもしれないとのことだ。


 病院の一室——誠はベッドの上で空を見上げ、傍らには尚がついていた。


 痛みは常に感じている。だが、おかしなことに気分は悪くない。どことなく納得しているような、この理不尽を受け入れている自分がいる。この『しっぺ返し』を受けて、それが当然なのだと思っているのだ。


 だが、目の前の尚は——


「ひどいよね」


 同じ言葉を繰り返し、膝を震わせうつむいている。ぽつり、ぽつりと涙粒がこぼれ落ちて、ジーンズに染みを作っていく。


「ひどいよ、こんなの……!」


 堪えきれなくなったのか、飛びつくようにベッドに顔を押しつける。不規則に肩が揺れ、なんとかその頭を撫でてやりたかったが——今のこのザマでは、どうしようもない。


 ああ、そうか。


 尚にこんな顔をさせた。またしても彼女に、絶望を思い知らせた。


 尚のせいではない。全部、あの男が悪い。そう言ってやるのは簡単なのに、なぜだか口が開かない。今目の前にいるのに、尚の存在がひどく遠くに感じる。


 そうか、あの時の尚もこんな気持ちだったのか——


 ひとしきり泣きじゃくった後の尚は、目元が赤く、頬が濡れていた。誠をすがるような目で見つめ、固く口を結んでいる。


 それを見続けるのが辛くて、ふいと窓の外を見た。


 そこで誠は、遠くの空でほんのわずかな瞬きを発見した。注視しないと気づかないような、弱々しい星の光。それでも確かに存在していて、もしかしたら誠以外にも気づいた者はいるのかもしれない。


 関係のない思考にふけりつつ——自然と口からこぼれた。


「なぁ、尚。〈星見ほしみの庭〉って知ってるか?」

「え? ……あの噂話の?」

「そう。俺さ、あの場所で願い事をしたんだ」


 尚が驚愕に目を開く。誠の言わんとしたことがわかったのだろう。


「まさか、誠……!?」

「ああ。お前の足が治るようにって願ったんだ。あんなに効き目があるなんて思わなかったけどな」

「…………」

「でも、不安だったんだ」

「不安?」

「お前の足が治って、俺は本当に嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。けれど、もし明日にでもお前の足が動かなくなったらって思ったら、怖くなった。ずっと不安だった。この幸せはいつまで続くんだろうって」

「誠……」

「だからこんなことになって、ちょっとホッとしたんだよ。そんなうまい話はないよなって。せめてもの救いは、不幸が降りかかったのはお前じゃなくて俺ってことだ」

「何よ、それ……」


 窓から尚に目を移し、「信じられるのか?」


「あの場所で願い事をしただけで、叶ったんだぞ。こんな与太話、誰も信じようとしないだろ」

「お医者さんも……奇跡だって言ってたもんね」


 尚はしばらくうつむき、ゆっくりと面を上げる。その両目には決意の光を灯していて、誠を射抜かんとしていた。


「今すぐその〈星見の庭〉ってところに行ってくる。場所、教えて」

「おい、尚。何を言ってんだ?」

「誠を治してもらうの。私の足が治ったんだから、それぐらいはできるでしょ?」

「……あのな、尚。気持ちは嬉しいんだが。もし本当に行くんだったら、それは自分のために願ってほしい」


 尚は口を半開きにし——やがて、眉間をきつく寄せた。


「何よ、それ」

「言葉通りだよ。あの場所では自分の幸せのために願う方がいいんだ。ずっと幸せになれますように、とかさ。それだったら……」

「それだったら、意味がないの!!」


 ばし、と布団に手を叩きつける。


「私は誠と一緒にいたいの! 一緒に幸せになりたいの!」

「尚……」

「私があんなことになっても、誠は絶対に離れようとしなかったじゃない! 私からは何もしてあげられないのに! あの時、どれだけ辛くて、嬉しくて、でも悲しくて、惨めだったかわかる!? あの奇跡が誠のおかげなら、今度は私の番でしょ!?」

「…………」

「私だけの幸せなんて考えられない。誠と一緒がいいよ……」


 またしても尚の目から涙が伝わり落ち——彼女の手が、誠の手にそっと重ねられた。


「〈星見の庭〉の場所、教えて」

「…………」

「ただの噂話に過ぎなかったとしても、してあげられることがあるのならなんでもしたい。誠だって、そうだったんでしょ?」

「……そう、だな」


 すとん、と憑き物が落ちたかのようだった。立場が逆転してもお互いを想う心は変わらなくて、〈星見の庭〉でも神様でもすがりつきたいという気持ちは一緒だった。


 馬鹿だな、俺——


 誠は口中で呟き、ひとつ息を吐いた。


「わかったよ、教える。だから……もう泣くな」

「泣いてなんかない」

「泣いてるだろ」

「泣いてないってば」


 どこまでも強情な尚に、どうなだめるべきかと誠は苦笑した。

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