ケース3-5「トップアイドル」

「開けて、ねぇ開けて!!」


 オフィス街の隅、こじんまりとしたビルの手前で、美雲みくもはドアを何度も叩いていた。「助けて!」と必死に叫ぶが誰も出てくる様子はなく、道行く人々は怪訝そうに美雲を横目で窺っている。


「お願いだから、開けてよ! わたしを助けてよ!!」


 その時——ぱっ、と二階の方で明かりが点いた。奥から出てきたのは社長だ。一縷の希望を目に浮かべて見上げるも——社長の目は冷たかった。軽蔑の色を隠そうともせず、両手を後ろに組んでいる。


 この先何が起こっても俺は……いや、俺たちはお前を助けない。そのことは肝に銘じておけ。


 あの時社長に言われた言葉が、不意に脳裏に蘇った。呼吸が荒くなり、肩を上下し、胸中を——心を絶望が包み込んでいく。


 遠くからサイレンの音が聞こえた。


 それに伴い、社長の姿が目の前から消えた。明かりも。このビルには誰もいないのだと、暗に告げられたような気がした。


 もはやドアを叩く気力もわかず、さりとて逃げようにも足が動かない。


 立ち尽くしていた美雲の後ろに、パトカーが数台停まった。警官が何人も出てきて、その内の一人が「相良さがら美雲さんですね?」と訊ねてきた。


「お話したいことがございます。署までご足労願えますか?」


 美雲は一切抵抗しなかった。パトカーのドアを閉める音がやけに大きく響いた。両脇を警官に挟まれ、うなだれた美雲は「どうして……」と呟いた。


 トップアイドルになれるのではなかったのか。


〈星見の庭〉の噂など、嘘でしかなかったのか。


 どうしてこんなことになったのだろう。わからない。


 呆然自失の美雲を乗せ、パトカーは然るべき所へと走っていった。


     ★


 教会の奥、左手側の小部屋にて——


 机にばさ、と新聞と雑誌が広げられた。黒コートの探偵は非常に迷惑そうに顔を歪めている。「ありがとうございます」と告げても、少しも気を好くした様子はなかった。


 探偵は忌々しげに言う。


「〈星見の庭〉の力で事の顛末てんまつはわかるんだろう。なのになぜ、俺にわざわざこんなものを買いに行かせる」

「まぁ、そう仰らず。代金は支払いますから」

「当たり前だ」


 神父はまず、雑誌を手に取った。数ページめくったところで、美雲の写真がありありと写っていた。そして見出しには『新鋭アイドル、ファンを殺害か!?』とある。どのゴシップ誌も似たようなもので、美雲のことを取り扱っていない方が珍しいぐらいだった。一流芸能誌〈galaxy(ギャラクシー)〉の後押しがあったことで、注目度が段違いに高かったのだろう。


 美雲が在籍していた事務所は「ただただ遺憾です」とコメントを発表した。美雲の前グループ〈Aquarius(アクエリアス)〉は、「ノーコメント」とだけ口にした。美雲に同情の声を寄せる者は一人もいなかった。


 しかし——


「なるほど、彼女はまさしく夢を叶えたということですね」

「どういうことだ?」

「トップアイドルになりたいというのが彼女の夢だったのですよ。そしてこうして大々的に取り扱われることとなった。本望でしょう」

「皮肉なことだな。それとも……最初からそのうつわではなかったと?」

「さぁ、どうでしょう」


 神父は雑誌を机に置き、立ち上がって小窓から空を見上げた。不意に、首を探偵の方に向ける。


「あなたもひと仕事引き受けたのではないでしょうか? いちファンが、アイドルの所在を突き止められるはずがない」

「……守秘義務だ」

「まぁ、そういうことにしておきましょう。ひとまず、この雑誌の金額はいくらですか?」


 探偵が告げると、神父は苦い顔をした。


「ずいぶんと高くなりましたねぇ」

「普段から読まないと、そう感じるんだろうな。どこも不況で喘いでいる。だからこそこういったスクープが出てくれれば、連中としては飯の種になる」

「なるほど。なんとも度し難いですね」

「どの口でそう言う」


 神父はちらと雑誌の束を見たが——すぐに興味を失くしたように、枕元に置いてある本を手に取った。


「今夜も、誰か来るのか?」

「おそらく。〈星見の庭〉は、私に色々なことを告げてくれますから」

「良きにしろ、悪しきにしろ、か」

「そういうことです。……では、そろそろ準備をしないと」

「待て。……その前に、代金を支払え」


 無造作に手を差し出され、神父は苦笑した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る