ケース3-4「没落」
「今回もすごかったです!!」
「ありがとう! これからも応援よろしくね!」
何度繰り返してきたかわからないこのやり取り——
ちら、と他のアイドルを盗み見る。
メンバーの反応は様々だ。握手から始まり、ファントークに花を咲かせている。常連がいるらしく、顔を見て「あっ」と喜びをあらわにする者もいた。気づいてもらえたらしいファンは喜色ばんで、傍から見ても明らかに舞い上がっている。
対し、自分のファンはどうか。
〈Aquarius(アクエリアス)〉にいた頃よりも、確実にファンは増えている。しかしどれもが三十から五十代の男性といった具合で、身なりを整えていない者も少なからずいた。こんなのも相手にしなくてはいけないという現実に、落胆通り越して
そして——
「あ、あの……こんにちは」
「はい、こんにちは! 来てくれてありがとう!」
目の前の男性はチェックのシャツをジーンズに入れていた。どこかで見たことがある気がしたが、どのファンも似たり寄ったりだ。さして気にも留めることもないだろう——そう思っていた矢先。
「あの、僕のこと……覚えていますか?」
「え?」
「〈Aquarius〉の時からずっと、応援していた者です」
言われ、ああと美雲はうなずいた。確かにこの男性には見覚えがある。こんなところにまで追っかけに来るとは、なかなか
しかし、一人のファンに時間をかけている余裕はない。
「もちろん、覚えてるよ! いつも応援ありがとう!」
「移籍されたんですね。〈galaxy(ギャラクシー)〉のインタビュー、読みました」
「そうなんだ、ありがとう!」
「それで、あの……」
美雲は素早くスタッフに目配せをした。その視線に気づいたスタッフは男性の方に近づき、「すみません、押してますので……」と移動を促した。男性はなおも話しそうにしたがっていたが、渋々と退場していった。
全く、面倒くさい——
美雲は内心で毒づいてから、次のファンの対応へ移った。
★
その日のライブが終わり、美雲は単身タクシーで帰ることにした。メンバー全員が乗れるワゴンはあるのだが、やたらギスギスした空気の中でライブの高揚感に浸っていられるわけでもない。
SNSのエゴサは美雲にとっては欠かせないものだった。というより、アイドルならばしておいて当然だろうと思っている。暴言や叩かれるのが嫌でやらない人もいるそうだが、反応がダイレクトに返ってくるというのは美雲にとってはこの上ない快感なのだ。
「今日のライブもよかった!」
「いつも励まされるなぁ」
「次が楽しみだ」
だが、その感想の羅列の中に気になるものを発見した。
「美雲ちゃん、俺のことを覚えていてくれてなかった……」
はて、誰のことだろうと思い——すぐに画面をスクロールした。どうせプロフィールを見たところで、わかるはずもない。
だが、またしても同じ人間の書き込みを見た。
「ずっと応援し続けてたのに」
「移籍してから、変わっちゃった」
「今日のライブだって、いつにも増してひどかった」
その後も粘着してくるような書き込みが続く。〈Aquarius〉のことまで持ち出されては、さすがに不愉快極まる。あそこはもう、自分には関係のない場所なのに。
適当なところでタクシーを停め、一応マスクと帽子をつけて外に出た。ストーカーの危険を防ぐため、帰路で遠回りをしなくてはいけないというのは非常に面倒だった。
何度か小路を曲がり、マンションの自宅まで辿り着いた時、背後からシャッター音がした。振り返ればチェックのシャツの裾をジーンズに入れた男が、美雲を捉えて写真を撮っているところだった。振り返った瞬間にも、もう一枚撮られた。
「あ、あんた……なんのつもりよ!」
思わず詰め寄り、男からスマホを奪い取ろうとする。だが男はすぐにスマホをバッグに隠し、「無駄だよ」と言った。
「既にもう捨てアカでここのことは広めたから」
「なっ……」
「君が映っているところもしっかり撮ったし、マンションの名前だって入れてる。それにしてもさぁ……地下ドルから出てきたばかりのくせにこんなマンションに住んでるなんて、身分不相応じゃない?」
「あんたには関係ないじゃない! いいからさっさとスマホ、よこしなさいよ!」
男は美雲をすり抜け、一直線に彼女の自宅へと向かっていった。さっと青ざめた美雲は止めようと手を伸ばすが——ドアが閉じられる方が速かった。
幸い、鍵はかけられていない——
だが、それでも見知らぬ男が部屋の中にいるという感覚は耐えがたい。
「やめなさいよ!!」
ドアを開けて真っ先に、美雲は怒鳴った。男は怯むでもなく、じっくりと周りを見回している。
「ふぅん、一応綺麗にはしてあるんだ」
次に男はテレビ脇の戸棚の上にある写真立てを手に取った。瞬間、美雲の顔がよりこわばり——「やめて!」と我知らず叫んだ。
男は写真立てのひとつをひらひらと振り、美雲に見せつける。
「この男さ、RIKIだよね? 〈galaxy〉でも上位に乗ってるね。そんな彼がさ、地下ドルから出てきたばかりの君と親しくしてるって、おかしくない?」
「あ、あんたには関係ないでしょ!」
「関係ない? どうかな?」
男はスマホで写真立てを撮った。その行為が意味することを瞬時に察した美雲の唇は震えていた。
「や、やめて……」
男は写真立てを適当に放り投げ、ずかずかと美雲に向かっていった。威圧的に壁に押しつけられ、どん、と平手を顔のすぐ横に叩きつけられる。
「僕のこと、本当に覚えてないの?」
「お、覚えてるわよ……いつもライブに来てくれる……」
「違う。その前だ」
「前……?」
男は失望の息を吐き、「覚えてないのか」
「〇〇高で、君に数学を教えたんだ。いずれはアイドルになるんだって言ってたよね。そして君は夢を叶えた。勉強しか取り柄のない僕には、あまりにも眩しく映ったよ」
そう言われ——そういうこともあったかもしれない、と美雲は漠然とした感覚を覚えた。勉強を教えてくれる生徒は他にもいたし、いちいち覚えていられるはずもない。
男は再びため息をついた。失望と、落胆と、怒りの混じった吐息を。
「残念だよ」
さっと振り返り、スマホを操作し始める。「何をするつもり……?」と言って、美雲は男の行動の意味するところを、身震いと共に確信していた。
男はスマホを振りかざした。先ほど撮ったばかりの写真立て。男性アイドルと腕を組んでいるところだ。画面はいつも美雲がエゴサに利用しているSNSのもので、既に文面も打ってある。
「これを拡散すればさ、どうなると思う?」
「っ……」
「ファンをないがしろにした罰だよ。相応の報いは受けなくちゃいけない。そうだろ?」
男が画面を——「送信」をタップするよりも速く——美雲は反射的に動いていた。「やめて!」と叫ぶと同時、男を両手で突き飛ばしていた。スマホが宙に舞い、男の体は吹き飛び、ごっ、と鈍い音がした。
戸棚に血がこびりついた。男の体は力なくずり落ち、そのまま沈黙。数秒経っても、数分経っても、立ち上がる気配がない。
「あ、ぁあ……」
わなわなと自らの手と、男とを見比べる。救急車、と考えつく間もなく、美雲は外へと飛び出していた。
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