ケース2ー4「結末」
あの教会に辿り着くまで、二、三日要した。再び追われる身となった早人はほとんど休息を取らず、ただ逃げ続けた。
そして求めた。〈
「おい、いるんだろ! 神父さんよ!」
乱暴にドアを開け、教会中に声が響いた。それから十秒も経たずとして、初めて出会った時と変わらない風貌の神父が、聖書を胸に姿を現した。早人を見ても驚いた素振りもなく、「いかがなさいましたか?」と訊いてくる。
「わかってんだろ、〈星見の庭〉だ! もう一度、あそこで願い事をさせてくれ!」
「と、言われましても……」
神父はゆっくりと首を横に振った。
「〈星見の庭〉で叶えられる願い事は、一生につき一度のみです。あなたはもう願った。そして今日この日までの間、犯した罪とは無縁でいられた。それが今になって都合が悪くなったから、またここに来た。……少々、虫が良すぎるとは思いませんか?」
「うるせぇ!」
ポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、刃先を突きつける。
「いいから、さっさと案内しろってんだよ! どうせ一人殺すも二人殺すも一緒なんだ! いいか、俺は逃げ切ってやる! 面倒事なんかゴメンだ! 一生に一度だかなんだか知らねぇが、やってみなくちゃわからないだろうが!」
荒々しく息を吐く早人の手前——神父はただ彼を見つめていた。
「わかりました、案内しましょう」
神父はそう言い、早人の返事も待たずにさっさと行ってしまった。
突きつけたナイフの先には何もなく、早人はしばし呆然としていたが——我に返った瞬間、すぐに追いかけた。
★
〈星見の庭〉はあの時に見たものと、一切変わらないように見えた。もしかしたら外周に植えている花が異なっているのかもしれないが、元々早人には花を愛でる趣味などなかったし、今はそれどころではなかった。
「さて、何を願いますか?」
少し離れた場所で、神父は言った。彼は〈星見の庭〉の方を向いており、早人に一瞥もくれない。結果は見えていると言い出しかねないばかりだ。
「決まってんだろ……!」
早人は手を組み、意識を〈星見の庭〉のみに集中した。これまでの罪も、これからの罪も、全て無いことにしてくれ、と。骨が軋むぐらいに両手を固く握り締めて、ただただそれを願った。
あの時に起きた奇跡は、夢や幻などではないはずだ。そうでなければ、あんなことが起こるはずがない。怯えることも追われることもなく、この一年の間、安泰としていられたはずがない。
この一年は、
しかし。
「……!?」
背後からサイレンの音が近づいてくる。にわかに樹木が赤く、断続的に照らされていた。背筋が冷たくなり、反射的に振り返った。確実に、間違いなくこちらに近づいてきている。
「なんで、だ……」
呆然としている間にも、早人を捕えようとする手は迫ってきていた。「くそッ!」と毒づき、もう一度〈星見の庭〉に祈る。
「頼む! 頼むから……!」
これまでの罪も、これからの罪も無いことにしてほしい——
一心にそう祈っても、サイレンの音は大きくなり、周囲がより明るくなる。「海老名早人!」と名前を呼ばれた時には硬直し、ぎこちなく振り返った。ゆうに十人を超える警官がぞろぞろと姿を現して、今にも襲いかからんばかりの圧力を全身から漲らせていた。
「観念しろ、もう逃げられないぞ!」
「う、あ……」
焦りのあまり左右に視線を巡らせ——先ほどと変わらない位置に立っていた神父と目が合った。
冷めた目つきだった。
突き放すような目をしていた。
だから言ったのに、と——そう告げているような気がした。
瞬間、早人の腹の内奥から熱いものが瞬時に頭まで上った。「てめぇ!」と気づいた時には神父に掴みかかろうとしていた。ポケットにあるナイフの存在すらも忘れて、衝動のままに。
早人の手が神父の胸元に伸びかけた時、ぐるん、と視界が回転した。頭部と胴体に重い衝撃が走り、ほんのわずかな間、意識が飛んだ。投げられたのか、転ばされたのか判別がつかず、ただ自分は仰向けになって地面に倒れていたことしかわからなかった。
空が見えた。
星が見えた。
そして早人の視界を塞ぐように、神父が覗き込んできた。
「願い事は一生につき、一度だけです。これを言わせるのは三度目になります」
「て、てめ……」
震える手を伸ばそうとして——手首に手錠がかかった。「確保!」と警官が叫び、複数の手が伸びて早人を掴んだ。強引に立ち上がらされ、更に腕を背中に回される。脱臼でもするのではないかと思うぐらいの激痛に、短い悲鳴が喉から出た。
「あ、あぁ……」
これで終わりなのか?
この一年間は、夢幻だったのか?
〈星見の庭〉に願い事をすれば叶うなんて、嘘だったのか?
「ひとつ、種明かしをしておきましょう」
神父の声に、半ば無理やり首を向ける。手には聖書を持ったまま、一体どうやって早人を転がしたのかまるで想像がつかなかった。
「あなたがここに来る前に、とある人が願い事をしました。曰く、その人が身近な人に裏切られた時、その裏切り者を裁いてほしいと」
「……!?」
「本当は願い事は他言無用なのですが……何もわからないまま裁かれるのは嫌だろうと思いまして」
「てめぇ……」
ありったけの罵詈雑言を浴びせかけたかったが、警官にもみくちゃにされてそれどころではなくなった。サイレンやパトカーのライトどころか、風も木の葉がざわめく音も、全てが早人を責め立てているように思えた。
「ほら、入れ! 早くしろ!」
パトカーに乗せられ、ばんとけたたましくドアが閉まる。
終わった。
俺の人生も、何もかも終わった。
「裏切り者って、なんだよ……」
運転席の警官が怪訝そうにミラー越しに早人を見てきたが、意にも介さずにパトカーを走らせた。
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