ケース1ー5「願い事の結末」
指定された場所は、都内のホテルのレストランだった。
自分とは一切無縁で、入るだけでも相当の勇気が要る。この日のためにわざわざスーツを仕立て、美容室で整え、勢いのままに花束まで買ってしまったのだが、それでも場違いのように思えてきた。
加えて、レストランは「貸切」とあった。まさかこの日のために? と唖然とし、落ち着かない様子で足を踏み入れた。するとウェイターが近づいてきて、「
「あ、はい、そうです……」
「
「あ、それはどうも、ご丁寧に……」
いかん、とマサトは小さく咳払いした。すっかりこの空気に呑まれている。
ウェイターに導かれ、手を差し出された先には——椅子に腰かけた、蒼海ミサキの姿があった。
群青色のドレスで、ネックレスを着け、髪も丁寧にまとめ上げている。このままCMやドラマなどに出てもおかしくないほどに、ミサキの外見は仕上がっていた。物憂げな表情と相まって、ドラマのワンカットと言われても納得してしまうだろう。
そのミサキがこちらに気づくと、一瞬だけ大きく目を見開いた。しかし、すぐに元の表情に戻り、ウェイターに向けて「ありがとう」と言う。彼は一礼し、マサトに「お飲み物はいかが致しますか?」
「あ、えっと……烏龍茶とかあるかな?」
「ご用意致します」
「あ、どうも」
ウェイターが立ち去ると、「どうしたの? 座ったら?」
その言葉で、自分がぽかんと立ち尽くしていることに気づいた。「お、おう」と声を震わせ、ぎこちなく足を動かす。花束を持ってきていたことを思い出し、「あの、これ……」と差し出した。
内心、何を焦っているのだと自分を戒めながら。
ミサキはその花束を両手に受け取り、「ありがとう」と微笑んだ。
「素敵な色。私の苗字に合わせてくれたの?」
「あ、まぁ、そんなところ」
慎重に椅子を引き、ミサキと向かい合う。こうして間近にすると、陶器のような肌の艶やかさに目を惹かれそうになる。爪にもネイルが塗ってあり、色は薄目だが、今のミサキにはとても似合っている。
花束の色と香りとを堪能したミサキが、こちらに向いた。
「十二年ぶりになるのかな?」
「いや、十三年ぶり……だと思う」
「そんなに経つかぁ。変わったかな、お互いに」
「そりゃそうだろう。十年ぐらい経てば、色々変わるさ」
「そうだね」
ミサキはいったん花束をテーブル脇に置き、小首を傾げた。
「久しぶりだね、マサトくん」
「ああ、久しぶり」
「驚いた?」
「驚いたよ。まさか探偵まで雇うなんて」
「手がかりが少ないから無理かもと思っていたんだけどね。腕のいい探偵さんでよかった。こうしてまた会えた」
あごの高さで緩く手を組む。左手には、指輪がはめられていた。
凝視していたのだろうか。ミサキは指輪を見、眉を寄せつつ微笑んだ。どこか申し訳なさそうだった。
「今度ね、結婚するの」
「そう、なのか……」
「マサトくんには出席してもらいたいと思って」
「どうして?」
タイミングよく、ウェイターが飲み物を運んできてくれた。緊張のあまり喉が渇いていて、グラスの半分まで飲んでしまった。ふぅ、と息をついたのを見計らっていたらしく、ミサキが続きを話し始める。
「子供の頃のわたしを知ってる人って、もうマサトくんだけだから」
「うん? 親とか兄妹とか……」
言いかけ、「いや」と首を振った。
「野暮な話だったな。忘れてくれ」
「うん。そうしてくれるとありがたいな」
やがて前菜が運ばれ、二人は無言で食事した。時おりミサキに視線を送ってみるが、彼女は目を閉じて料理を味わっている。こういう場所での食事など、慣れたものなのだろう。
不意に、マサトの胸中がざわついた。先ほどの結婚の報告といい、まるで自分との差を見せつけているかのようにも感じられてしまった。おかげで料理の味も、まるでわからない。
「マサトくん?」
「あ、ああ……なんだ?」
「迷惑だった?」
「何が?」
「今日、ここに呼んだこと」
ぐっ、と息が詰まる。
「そうだよね」とミサキは目を伏せた。そしてすぐに、「ごめんなさい」と深く頭を下げる。
「なんで、謝るんだよ」
「だってマサトくん、全然嬉しそうじゃないんだもの」
「…………」
「あの場所で願ったこと、叶わなかったのかなぁ……」
諦念と、失望の吐息。
そんなに顔に出ていたのだろうかと思いつつも、今のミサキの言葉で記憶を刺激された。あの場所も、何を願ったのかということも、はっきりと思い出せる。
「あの場所って、〈
「そう」
「じゃあ、何を願ったんだ?」
「うーん……」
「言えよ。十年以上経ってんだ、もう時効じゃないか?」
ミサキは言いにくそうに口をすぼめている。「どうしようかなぁ」と呟き、悶々と悩んでいた様子だったが——最後には「ま、いっか」とマサトに目を向けた。
「わたしがあそこで願ったのはね、『マサトくんの願い事が叶いますように』だったんだよ」
「はぁ!?」
思わずレストラン内に響き渡るような声を上げ、とっさに口を覆う。ウェイターが目をしばたたかせていて、「すみません」と素早く頭を下げた。
声を落とし——「どういうことだ?」
「だから、言葉通り。マサトくんの夢、ジャーナリストなんでしょ? だったらそれが叶えばいいなって思ってたの」
「…………」
「でも、探偵さんから聞いた限りではそうでもなさそうだね……やっぱり、あんなの噂話に過ぎなかったんだろうね」
「い、いや……俺も同じなんだよ」
「……どういう意味?」
「俺も、ミサキの願い事が叶いますようにってお願いしたんだ」
「はぁッ!?」
今度はミサキの声だった。女優だけあって、声の通りがいい。おまけに派手に椅子を倒し、テーブルに両手をつけ、マサトを凝視する。ウェイターが一瞬だけ首を向けてきたが、すぐに自分の仕事に戻っていった。プロだ。
むんず、とせっかくアイロンをかけたシャツを掴まれる。
「どういうこと? 一生に一度の機会だったんだよ? なんでそんな願い事をしたの? 納得のいく説明をちょうだい」
「ま、待て! 落ち着けって! 地が出てるぞ!」
はっ、とミサキが我に返って、椅子を戻して着席。それからこほん、と咳払いする。しかし、マサトを睨むような目は変わらない。
「なんでそんな馬鹿なことを願ったの?」
「馬鹿なことって……ひどいな。真剣に願ったつもりだったのに」
「じゃあお互いが、お互いの願い事が叶いますようにと祈ったわけ?」
「そういうことに、なるのかな」
ミサキは唖然と口を開き、額に手をやって長々とため息をついた。
「信じらんない。いくら噂話だったとしても、そういうのは自分の願い事を優先するものでしょ。なんでわたしの願い事を叶えようとか、そういうことを考えたわけ?」
「そ、そうは言われもな……」
不意に気づいた。ミサキが今、女優として成功できているのは純粋に、彼女自身の実力によるものだということを。あの場所で祈ったからそうなったわけではなく、本当に、彼女の実力でもぎ取った結果。
対し、自分はどうか。弱小出版社に勤めてこの間ボツを食らったばかり。成功とは呼べないし、ミサキの足元にも及ばない。もしもあの場所で「ジャーナリストになれますように」とでも願ったら、今とは違う結果になっていたのだろうか。
ミサキと、対等に並べられたのだろうか——
そこまで考えて、「くくっ」と苦笑が漏れた。
怪訝そうにするミサキに、「いや、悪い悪い」と軽く手を振る。
「やっぱりさ、あの〈星見の庭〉はただの噂だったんだよ。そういうことにしておけばいいじゃないか」
「……納得いかない」
ぶすっと頬を膨らます様は、あの時のミサキと変わらなかった。すると、思いついたように眉を上げる。
「じゃあ、もう一度行こう! あの〈星見の庭〉に!」
「あのなぁ。それで一体どうするんだ? 願い事は一生に一度なんだろ?」
「あ、そうか……」
「それに、この日しか休み取れなかったんだろ?」
「あ、そっか……」
しょんぼりと肩を落とす。先ほどまでの女優としての威厳はどこにもなく、あの頃の雰囲気を取り戻しつある。
ミサキはミサキのままだった。
それを確かめられただけでも、ここに来た甲斐がある。
「あの神父さん、嘘をついたのかなぁ……」
ぶちぶちと文句を垂れているミサキを尻目に、ウェイターに烏龍茶のお代わりを注文した。届いたグラスを持ち上げ、「まだ、乾杯してなかったな」とミサキに告げる。
「そんな気分じゃないもの」
「いいからいいから。せっかくの再会なんだ。素直に喜ぼうぜ」
「……はい、乾杯」
グラス同士をかつん、と軽く鳴らす。
その後は他愛もない話が続いた。女優に至るまでの経緯、今度結婚する相手のこと、弱小出版社に勤めるまでの流れ、先日ボツを食らったことなど……
話に夢中になっている内に、〈星見の庭〉のことなどもはやどうでもよくなった。
噂話が本当かどうかだったとしても、こうしてミサキとまた会えた。ミサキは不満足かもしれないが、マサトにはそれでもよかった。
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