ケース1ー4「招待状」
「おい、新入りぃ!」
狭いオフィスでだみ声が響く。「はいッ!」と即座にマサトは立ち上がり、編集長のデスクまで足早に向かった。
彼はダブルクリップで綴じた紙の束をひらひらと振り、「なんだ、この記事は?」
「あ、その。児童養護施設で虐待を受けた方からのインタビュー記事なんですが……」
「あのなぁ、そんなもん誰が読むんだ? うちはゴシップばかり取り上げてるような弱小だぞ? グラビア眺めて悦に入ってるおっさんが、いきなりこんな真面目な記事を読むと思うか?」
「……思いません」
はぁーと首を傾け、肩に手をやってごきごきと骨を鳴らす。それから紙の束をまじまじと見つめつつ、「正直、内容は悪くねぇ」
「え、それじゃあ……」
「だが、載せるかどうかってのは別の話だ。ニーズがない。うちの雑誌に、こういう記事は求められてない。お堅いところならウケるかもしれないが、残念ながらここの色には合ってねぇ」
「そう、ですか……」
つい、肩を落としてしまう。その時、目の前に紙の束がばっと差し出された。
「お前がフリーなら、どっかに載せてもらうってのもアリっちゃアリだ。だけどここにいるなら、ここのやり方も身に着けないとな。残念だが、これはボツだ」
「……わかりました」
紙の束を受け取り、しずしずと自分のデスクに戻る。初めて任された記事だっただけに、落胆の色を隠し切れずにいた。出版社に潜り込めはしたものの、自分のやり方、選んだことはここには合っていないようだ。
ジャーナリストになるという夢はまだまだ先、らしい。
☆
木造建築の古いアパート――我が家に帰ろうと角を曲がったところで、黒塗りの車が堂々と停まっていた。この周辺では一度もお目にかかったことがない。そして、その車の後部座席の手前に、男が一人立っていた。
長身で、暖かい季節に入ったというのに黒々としたコートを羽織ってる。頬はこけていて、おおよそ生気というものに欠けていたが——目だけは見る者を威圧する重厚な光を放っていた。
男は手に持った写真と、自分の顔とを見比べ——「
「あ、ああ……そうだけど」
「申し遅れました。
名刺を手渡してくる。
半ば反射的に両手で受け取り――その肩書に眉を寄せた。
「私立探偵?」
「ええ。あなたをお探しの方がいらっしゃいます」
「俺を?」
「はい。
不意に、手から名刺が落ちそうになった。狼狽をあらわに、「ミサキが……?」
探偵は顔色を変えず、コートの内ポケットから群青色の封筒を取り出す。
「彼女からの招待状です」
「招待状?」
「あなたに会いたい、と仰っておりました」
「……そう、なんですか。他には何か?」
「『手紙を読んでくれればわかる』とのことでした。では、私の仕事は終わりましたので、これにて失礼致します」
律儀に一礼し、車に乗り込む。
半ば唖然としつつも、その車が走り去った後でマサトは封筒の裏表を確認した。確かに、ミサキ本人のものと思われる字が走っている。その場で中身を開けたい衝動に駆られそうになりつつも、マサトはまず自分の家に戻ることにした。
荷物を置き、顔を洗い、タオルでごしごしと拭く。
デスクの上に置いた封筒をじっと見下ろし、チェアに腰かけて、慎重に封を切った。中身は
内容はかいつまんでいえば思い出話と、ミサキ自身の近況と、そして『会いたいです』という言葉。日時も指定してあり、多忙ゆえにこの日しか休みを取れなかったとある。
ミサキは今、女優だ。CMにもドラマにも映画にも起用され、彼女を見かけない日などない。
しかし、彼女が活躍するのを見かける度、なぜかいつも胸がざわつく。
そのミサキが、自分に会いたいという。弱小出版社に勤めているだけで、なんの成果も得られていない男を。そう思った途端にひどく惨めで、卑屈な気分になった。
手紙で指定されている日は平日の昼間だった。それもわずか一週間後。
仕事があるからと断るのは簡単だった。あの探偵に連絡して、ミサキに伝えてもらえばいい。そうすればいい。今さら――今さら会って、一体何を話せばいいというのだろう。
ちら、と卓上カレンダーを見る。一週間後は普通に仕事だが、空けようと思えば今からでも空けられるだろう。
それでも迷ってる。便箋を手にしたまま、唇を噛んでいる。
会って、何を話せばいい。
仕事のことを聞かれたら、素直に話せるだろうか。
今の自分を見て、幻滅したりしないだろうか。
「……参ったな」
チェアの背もたれにぐっとのしかかり、目頭の上に腕を載せる。今のミサキとあの頃のミサキ――そして今の自分と、あの頃の自分。何もかもが違いすぎて、まるで別の星の住人であるかのように思えてくる。
腕を少しだけ持ち上げ、便箋の文字を眺める。
「会いたいです、か……」
体を戻し、便箋をデスクに置く。あの真っ黒な探偵から受け取った名刺をポケットに突っ込んでいたことを思い出し、ひとまず取り出した。
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