ケース1ー3「一生に一度の願い事」

 教会の裏手に、確かにその庭はあった。


 縁石と芝生によって、星型に区切られた庭。周辺には色とりどりの花が植えられている。広さとしては、先ほどの教会の半分程度といったところだろうか。ちょうど月の光が庭全体を照らすようにして、そこだけが幻想的、もしくは浮世離れした空間として存在していた。


「これが、〈星見ほしみの庭〉……」


 目の当たりにしたミサキは、感嘆の吐息を漏らす。マサトも、確かにここには何かがあるのではと思えるほどの説得力を肌で感じていた。


 だが、それとこれとは別だ。


「なぁ、神父さん……でいいのか?」

「どう呼んでも構いませんよ」

「この庭の噂、本当なのか? なんでも願い事が叶うって」


 二人の隣に立っていた神父は、片手の人差し指のみを上げた。


「ひとつ、覚えておいてほしいことがあります」

「それって、なんだよ?」

「この〈星見の庭〉で叶えられる願いは、一生につき一度のみです。やり直すことはできません。取り消すこともできません。なので、くれぐれも慎重に願い事を決めて下さい」


 神父は淡々と告げる。脅しつけるでも、誇張するでもなく。それが逆に、マサトには空恐ろしく思えた。


 一生につき、一度だけ――


 そう言われると、何を願えばいいのかわからない。あの施設から出たいと願って、その通りになったとしても、その先はどうなる? もしくはジャーナリストになりたいと願えば、本当になれるのだろうか? それまでの過程を全て保証してくれるとでもいうのだろうか?


 隣を見ればミサキも、難しい顔をして腕を組んでいた。「ひとつだけ、ひとつだけ……」と真剣な声音で呟いている。すっかり信じ切ってる顔だ。


 マサトはいったん考えるのを止め、神父を見上げた。


「ここで願い事をした人って、どのぐらいいるんだ?」

「そうですね……私にもわからないんです。先代、先々代といった具合に長年この〈星見の庭〉を見守ってきたので、数は知らないし、覚えていないのです」

「じゃあ、実際に願い事が叶ったのかどうかも、わからないのか?」

「いえ、わかりますよ」

「どうやって?」

「この庭が教えてくれるんです」


 す、と手で〈星見の庭〉を示す。


 当然、マサトは納得しなかった。はぁー、とこれ見よがしにため息をついて。「なぁ、ミサキ」と彼女の方を向くと、未だにぶつぶつと呟き、より顔を険しくしていた。


 それに呆れつつも、「ミサキ」と呼びかける。「何?」とむすっとした顔で、ようやくこちらを向いた。


「やっぱり止めようぜ。アホくさい。何の根拠もないじゃないか」

「何を言ってるの? 願い事が叶うんだよ?」

「それが信じられないんだっての。この神父さんも……なんていうか、変なこと言ってるし」

「あ、ひどい。ちょっと傷つきました」

「口を挟まないでくれよ! ……とにかく、もうさっさと帰ろうぜ。大人たちにバレたら、どんな罰を受けるかわかったもんじゃない」

「じゃ、マサトくんはこうお願いすれば? 『大人たちから罰を受けませんように』って」

「んなっ」

「そんなショボい願い事が叶うならいいけど、一生に一度だよ? そんなんでいいわけ? マサトくんも、もっと考えたら?」


 なじるような言い方に、マサトはつい反感を覚えた。「あのなぁ!」と身を乗り出しかけたところに、「そこまで」と神父の手が二人の間に割り込んだ。


「ここは争い事をする場ではありません。一時の感情に身を委ねれば、一生に一度の機会を失うことになります。そちらのお嬢さんはともかくとして、あなたはもう少し夢を見ることを覚えた方がいいのかもしれません」

「説教のつもりかよ」

「そう聞こえましたら、失礼。これでも神父のつもりですので」


 にこりと微笑まれ、苛立ち混じりに草を蹴った。二人から顔を背け、「はぁー」と吐息をついてから、「わかったよ」


「俺も少し考えてみる。それでいいんだろ?」

「ご自由にどうぞ」

「まったくもう、マサトくんのせいで何をお願いするか忘れそうになったじゃない」


 背後からミサキの視線が刺さる。マサトは無視を決め込んで、むっつりと口を結んだ。


 一生に一度だけの願い事——


 改めて考えてみると難しい。「この先ずっと幸せになれますように」ではなんだか漠然としている。かといって「あの施設から出られますように」では、現実的過ぎて面白味も何もあったものではない。


「——よし、決めたッ!」


 背後でいきなりミサキが声を上げたので、マサトはびくっと肩をすくめた。振り返ればやる気に満ちた彼女が、胸の前で両手を握り締めている。


「わたし、決めたよ! マサトくんは!?」

「あ、ああ……」

「まだ決まってないの?」


 ぶぅー、と不満げに唇を突き出す。そんな仕草でも可愛く映るのだから、惚れた弱みというものは厄介で仕方ない。


 だが、今のミサキの顔を見て、マサトはあることを閃いた。これ以上になく、これ以外には考えられない願い事を。


「いや、決まった。今決めた」

「そうなの?」

「ああ。……ところで、神父さん」

「はい、なんでしょうか?」

「あー、その……願い事をする時って、言わなくちゃ駄目なのか?」


 神父は優しげな口元のまま、首を横に振った。


「普通に祈るだけで大丈夫ですよ。人に聞かれたくない願い事というのもありますし」

「祈るだけ、なんですか?」

「はい」


 あっさりと肯定したので、さすがにミサキもうさんくさそうな目つきで神父を見上げていた。しかし神父は会った時からずっと一定の調子で、ミサキの目をそよ風のように浴びている。


「ま、いっか」


 考えることを止めたらしいミサキが、〈星見の庭〉の真正面に立つ。マサトも、その隣に立った。ミサキは胸の高さで手を組み、ゆっくりと首を前に傾けて祈り始めた。


 未だ半信半疑の身ではあったが、マサトもミサキにならった。神なんてものも信じてないのに、星型に区切られているだけの庭に祈るなんて自分でもおかしいと思う。


 でも、もし、本当に叶うのだとしたら――


 マサトは横目でちらりとミサキを見た。彼女は目を閉じ、真剣に祈っている。どんな願い事をしているのかはわからないが、きっと――彼女の人生を一変するようなたぐいのものだろう。


 それなら、手伝えるかもしれない。


 マサトも目を閉じ、組んだ手に力を込めた。


 本当に、本当に願い事が叶うのなら——


 隣に立つこの少女の、ミサキの願いを叶えてやってほしい。

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