ケース1ー2「教会と神父」

 教会は小高い山の中腹に位置しているらしい。


 マサトとミサキは峠へと続く道を、懐中電灯で照らしながら上っていた。時おり後方から車が横切ってきた時には、もしかしたら大人たちが連れ戻しに来たのかもしれないと、マサトは気が気でならなかった。


「マサトくんはさ」


 三台目の車が通過していったところで、ミサキが不意に言葉をかけてきた。


「あそこを出たら、何かしたいことってある?」

「……そうだな。とりあえず、バイトをしつつ学校に通いたい」

「現実的だね」

「悪いか?」

「ううん、全然。もっと聞いてもいい?」

「なんでも」

「マサトくんの夢。バイトして、学校に通って、そしたらどうしたいのかなって」

「……ジャーナリストになりたい」

「えっ?」


 予想外の答えらしく、ミサキが振り返った。後ろ歩きをしつつ、「なんで?」と聞いてくる。


「イメージだよ、イメージ。どんな仕事かなんてよくわかってない。ただ……なんていうのかな。『ペンは剣よりも強し』っていうだろ?」

「うん、そうだね」

「暴力に暴力で返すんじゃなくて、ペンを走らせて記事で人を納得させるんだ。新聞でもゴシップでもなんでもいいから、俺の書いたことが現実に影響を与える。そしたら……あの場所も、少しは変わるかもしれないだろ?」

「マサトくんもおかしいって思ってるんだ」

「なんとなくだけど。……ミサキはやっぱり、あそこはおかしいって思うのか?」

「うん、思う」


 くるっと前を向き、空を見上げる。


「いい夢だね」

「そうか?」

「そうだよ。……マサトくんは、あんな場所にいるべき人じゃない」


 確信を込めて言う。


「どういうことだよ?」

「いつかわかるよ」


 はぐらかされたのが不満で、つい口を曲げていると——不意に、「あっ」とミサキが声を上げた。


 視線の先には木製の看板が地面に刺さっていた。まっすぐに行けば道の駅が、そして左手側に行けば教会があるという。こんなにもあっさりと見つかることに、マサトは半ば呆れていた。看板の文字は赤いし、大人並みの高さだ。よっぽどの間抜けでもない限り、見落とすことはないだろう。


 マサトの内心を知ってか知らずか、ミサキは興奮気味に「あった、あった!」と声を弾ませている。


「ほらほら、行こ! 早く早く!」

「わかったっての……」


 そのまま駆け出していきかねない勢いだったため、マサトはミサキから離れてしまわないように小走りで後を追った。


 ミサキは鼻歌を吹きつつ、軽やかにステップを踏んでいく。意外にも道は舗装されていて、歩きにくいということはない。教会までの道中は一本道で、遮るものは何もなかった。


 そして、あっさり辿り着いた。


 ひと目で古い教会だとわかった。木造の二階建てで、頂点には当然のように十字架がある。ただ、長年雨や風に打たれたせいなのか、どこもかしこも塗装が剥げている。ドアも古く、ささくれも目立つ。子供がうかつに手を出したら危ないだろうなと、あまり関係のないことを考えてしまった。


「古そうだね」

「実際、古いだろ」

「でも、こういう所にこそあると思わない?」

「むしろ、怪談のエサになりそうな気がしないでもない」


 あっはは、と笑ってミサキはためらいなくドアノブに手をかけた。


「裏に回るんじゃないのか?」

「お楽しみは後に取っておきたいタイプなの、わたし」


 ぎぃ、とドアを開けて——礼拝堂に足を踏み入れた。


 真正面には祭壇へと伸びる身廊。その両脇には横長の座席がいくつも並んでいる。ステンドグラスから月の光が漏れていて、意外にも明るい。外側はともかくとして、これは確かに教会だと思わせるだけの説得力はあった。


 祭壇まで歩く傍ら、「誰もいないね」


「いたら困るだろ。通報でもされたりしたら……」

「おや、こんな時分にお客さんですか?」


 静かに、それでいて芯のある声が鼓膜を打った。ばっと声の方向に首を向けると、祭壇の左奥の部屋から、背の高い男が出てきたばかりだった。


 素朴そぼくな印象の男だった。背は高く、肩幅は広く、夜中だというのに黒の長衣を着ている。本を胸に抱くようにして、細いフレームの眼鏡越しに二人を見やっていた。


 見るからに神父といった風体ふうていだ。


 とっさにミサキの前に回る。ミサキだけでも逃がせれば、素性はわからなくなるからだ。そう考えていた矢先——「落ち着いて下さい」


「別にあなた方をどうこうしようというわけではないのです。こんな時間に来たことも責めるつもりもありませんし」

「……大人の言うことなんか、信じられるか」

「あ、今のはちょっと傷つきました」


 がくりと首を傾け、指先で眼鏡を押し当てる。


 ずいっとミサキが前に出た。「おい」と呼び止めるが、彼女は構わず「あの!」と前のめりになる。


「わたしたち、〈星見ほしみの庭〉の噂を聞いてここに来たんです。その庭で願い事をすると叶うって。本当にあるんですか?」

「ええ、ありますよ」


 あっさりと肯定され、二人とも面食らう。マサトどころかミサキまで疑りの目で、神父を頭からつま先までまじまじと見つめる。


「お疑いのようですね」

「ええ、まぁ……」

「そりゃ、そうだろ。祈るだけで願い事が叶うなんて……そんなの、小学生でも信じるもんか」

「でも、あなた方はここに来た。もしかしたら、という希望を持って。……違いますか?」


 二人は図星を突かれ、口をつぐんだ。


 神父はにこりと笑い、「案内しましょうか?」


「あ、ぜひ……お願いします!」

「おい、何を勝手に!」


 神父は祭壇の前から身廊を通り、「いったん、外に出ましょうか」と二人の横を通り過ぎていった。


 マサトとミサキはしばし顔を見合わせていた。しかし、好奇心をあらわにしたミサキが先に行ったことで、マサトは二人を追うしかなかった。

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