第13話 行ってらっしゃい。

 朝は六時半にアラームをセットした。自転車があるから通勤時間は短くなったけど、マキネとゆっくり過ごしたいから。


 彼女が来てくれただけで俺の人生は一気にハリを取り戻した気がする。前は無気力な朝を過ごしていただけだったのに。


[料理も挑戦してみようと思うのです]


 イチゴジャムを塗ったトーストを顔に近づけていたマキネが呟いた。


 人間でいう口元にトーストが当たると中の光がパンに近付き、次の瞬間にはパンに齧った後がついていた。中の光がムニムニ動く。


「え、なんで?」


[ユータはコンビニで買った物ばかり食べていますよね? 食費もかかりますし、食べ過ぎは健康にも良くないとネットで見ました]


 う、確かにそう言われると何も言えない。貯金できていたのも趣味が無かったからだしな……。


「でもさ、1日中家にいさせてご飯作らせるような真似させられないよ。申し訳無いし」


[ユータは言いましたよね? 私がお返しができるようになったら返してくれれば良いと]


「うん」


[これは、その練習だと思って頂けませんか? ユータには食材を買うお金を使わせて

しまいますが、必ず食費を減らして健康的な食事を作れるようになりますから]


 ……すごい。数日でこんなにも説得が上手くなるなんて。


「それじゃあ、お願いするよ。でもいきなり材料を買いに行かせられないし、俺が帰ってからスーパーに行こう。今日も頑張って早く帰るから」


[はい!]


 目の前で黄色い光が眩く光った。2本の触手もピンと上を向く。やる気すごいな。俺も頑張って早く終わらせないと。



 一通りの準備を終えてドアノブへと手をかける。


「それじゃあ行って来ます。お昼は買って来るからね。食べたい物の候補くれたら買ってくるから。連絡して」


 マキネは頷くと手を振ってくれた。手と一緒に触手も左右に揺れるのでちょっと笑ってしまう。


[行ってらっしゃい]


 マキネに手を振り返して家を出た。


 土曜日に買った自転車に跨っていつもの道を走って行く。十数年ぶりの自転車は風を切る感覚を思い出させてくれた。



◇◇◇


「先週から檜木君やる気あるね」


 仕事をしていたら事務の高島さんに話しかけられた。仕事以外のことで話すのはほとんど無かったから少し身構えてしまう。マキネ以外の女性はやっぱり慣れない。


 高島さんは町田先輩と勤続年数が同じだ。だから先輩とはよくフランクに話している所を見かける。けど、先輩は彼女のことを「さん」付けで呼ぶし、力関係が何となく分かるな……。


「町田から聞いたよ。彼女できたって?」


「えぇ!? 彼女って……」


 先週末残業しないよう手伝ってくれたけどそんな風に思われてたのか。先輩が外回りから帰って来たら誤解を解かないと……いや、でもそうか。にしておいた方が早く帰っても怪しまれないよな。どうせ本当のことは言えない訳だし。


「じ、実はそうなんです。恥ずかしくて言ってなかったけど勘付かれてたのかぁ」


 ワザとらしく彼女がいるアピールをしてみる。


「やっぱりね。彼女は何歳なの?」


 え、マキネって何歳だろ? 確か坂下さんの免許証に92年生まれって書いてあったよな。


「え、と……5つ下です」


「5つも下か〜やるねぇ。どうやって出会ったの?」


「何でそんなこと聞くんですか?」


「いやいや、檜木君女っ気無かったからさ、気になって」


 そんなに彼女できると変かな、俺。出会った経緯か。公園で出会ったって無理があるよな。何と答えようか迷っているとふとアプリのCMが頭をよぎった。


「あ、アプリで、ですね……」


「へぇ。それだと彼女、結婚も意識してるんじゃないのぉ? 私なんてさー29まで延々と先延ばしにされてキレちゃったもんねぇ」


 高島さんが聞いてもいないのに自分の話を始めた。高島さんの結婚した経緯を延々と。


「それでさ、浮気してるんじゃないかと思って興信所みたいな所に調べて貰ってさー。でもま、白だったから良かったけど」


 興信所って探偵みたいなアレか……? 結婚渋っただけで浮気調査までするなんて怖すぎる。高島さん笑って話してるけど彼氏の浮気の疑い持ったエピソードは目が笑って無かったし、怖いよ。


「相手の人には調べてることバレなかったんですか?」


「プロだからそんなヘマしないでしょ。依頼主の私のことも記録に残さないって言ってたよ」


 守秘義務ってヤツかな。結構しっかりしているんだな……ん?


「その興信所って浮気調査以外もしてくれるんですか?」


「興信所所って言ったでしょ? 調べ物の方が得意って言ってたよ」


「そ、そこの名前教えて貰えませんか? ちょっと調べたいことがあるんです」


「ん〜なんて名前だったかなぁ、もう6年も前だしなぁ。名刺とかも捨てちゃったし」


「お願いします。すごく大事な事なんです」


「分かった。ちょっと思い出してみるよ」


 高島さんは、そう言うと自分のデスクへと戻って行った。


 そこが分かったら、連絡してみよう。もしかしたら坂下さんの手がかりが得られるかも。

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