第13話 Prejudice
バーナードは自室に戻り、冷えた体を温めていた。物思いにふけながらパイプに火をつけた。
「今日何回目ですか?」ロバートが部屋に入ってきて早々叱責した。
「クラシック音楽がないこの環境下において、心の安定を保つ手段はこれしか無いのだよウィリアムズ君。」「まぁ、葉巻が減っている事は褒めます。」バーナードはロバートの皮肉に対して、これと言って反応せずパイプに集中した。
「あなたでも心を落ち着かせないといけない時があるんですね。」「君は気づいていないかもしれないが、私も感情を持った生き物なんだよウィリアムズ君。」「初めて知りました。」ロバートはさらに皮肉を言いながら、灯りの近い場所にある椅子に座った。
「それは私も同感だ。私の感情を揺さぶる会話ができる人間もなかなか現れない。」ロバートは自分が、今まで一度もできなかった事をどうやってやったのか気になっていた。
「それでさっき君に頼んだ事だが、どうだったかね?」ロバートは内ポケットから慣れた手つきでメモ帳を取り出した。
「はい、使用人たちに荷物について尋ねましたが、確かにアフリカから荷物を輸入している記録がありました。」「なるほど、でその詳細は?」「どれも食材が多かったですね。多分昨日、新婦のパドメさんが用意した、アフリカ料理に使う材料が多かった印象です。」ロバートはメモから目を離し、バーナードを見ていたが、バーナードは物事を考えているためか部屋中を歩き回りながら聞いていた。
「その荷物のリストはあるかね?」「はい、メモらせていただきました。」「見せたまえ。」そういうとバーナードは片手を出した。その手にロバートは、リストのページが開かれているメモ帳を、バーナードに手渡した。バーナードは渡されたメモのリストを目で追っているのが、ロバートの目からもしっかりわかった。
「フグって日本料理かなんかじゃなかったか?」バーナードはリストの一行を指差して質問した。
「私も詳しいことはわかりませんが、でもフグなんて食材しか使い道なくないですか?」「それに、カエル?」「あ、それはチャールズさんのご要望だそうです。」「なんのために?」「分かりませんが、なんでもどっかの国で食べてから、カエル肉の虜になってしまわれたようですよ?」「ある意味で、お似合いの夫婦だったというわけか。」バーナードの皮肉を、ロバートはいつものことながら聞き流した。
「ところで、この塩化水素水溶液というのは?」「塩酸ですか?清掃用とか言ってましたよ?鉄のサビを取ったりするらしく、あとはお酒の殺菌効果に使うみたいで。」「こんなに?」バーナードは首を傾げた。
「この荷物は誰が受け取っているんだね?」「基本的にはリチャードさんが。ですが、最近はペドロも受け取っていたみたいです。」「彼が?」「はい、リチャードさんは彼を、次期執事長に推薦するために、色々と教え込んでいたみたいです。なんなら最近は、ちょくちょく彼が執事長の仕事の代わりをしていたみたいですよ。」「執事長の仕事っていうと具体的には?」バーナードはメモから視線を外した。
「それは・・・。」正直な話、バーナードはその質問に対して、ロバートから気の利いた答えはこないと思っていた。
「全部ではないですが、料理の献立を考えて食材を仕入れるのもやっていたみたいですね。それから基本的にはハミルトン家の方々と口をきけるのは執事長だけっていうのにはびっくりしましたけど、まぁそれはこんな階級社会じゃ当然なのかもしれませんね。」バーナードは思わずロバートを舐め回すように観察し、今ここにいるのはロバートの偽物である証拠を探したが、しっかりと着こなしているコートと少しダサいセーターの丈の絶妙な短さは、彼しかありえなかった。
「なるほど、他には?」「いや?あと目新しいものは・・・。」バーナードは早々に、メモのリストに意識を切り替えていた。
「あ、いやもう一つ大事な仕事があったみたいです。」バーナードはゆっくりとロバートを見た。彼の中で有力な情報が来そうな予感が、胸を躍らせた。
「宗教的な催しの際の備品だったり、衣装だったりを管理、準備をしていたみたいです。」「その備品というのは?」「聖水だったり、キャソックだったり、蝋燭、燭台、あとはお葬式であれば、棺とかですかね?」「なるほど、」バーナードは、再びメモに視線を戻した。
「聖水の作り方は、執事長であるリチャードさんと、神父のハンクさんしか知らないみたいです。」ロバートは自分の言葉を聞いて、ふと考えがよぎった。
「ってことは、もしこの一連の呪いの騒ぎが人為的犯行なら・・・。やっぱり、どうりで怪しいと思った。」すると突然、ロバートは何かに気がついたように、目を見開いた状態でバーナードの方を見た。
「そういうことなんですね?バーナードさん。」「なんの話をしているのだね?ウィリアムズ君。」バーナードはロバートの表情に、不気味さを感じた。
「あの人ですよ。リチャードさん。あの人なら聖水に変な物を混ぜて・・・。」「ほ・・・ほう、ではどうやって?」するとロバートはバーナードから来る視線に、異変を感じた。
「どうしたんですか?なるほど、分かりました。また先入観が人の目を曇らせるかなんかですか?分かってますよ。でも、何でもかんでも先入観を疑って前に進めなければ、何一つ結論になんか辿り着きませんよ。今回に関してはリチャードさんが、揺るがない証拠と動機を持っているじゃないですか・・・。」バーナードはロバートの話を聞きながら、葉巻を取り出した。
「バーナードさん?それって・・・。」バーナードが葉巻を吸う時は、大抵彼の精神が不安定になっているときだった。バーナードは葉巻の煙を吸い、ゆっくりと味わいながら、じんわりと吐き出した。
「君の言うとおりだウィリアムズ君。私は先入観を捨てることばかり考えて、前に進めていなかったんだよ。」ロバートは首を傾げた。
「と言うことは、バーナードさんも彼を?ならなぜ、さっきなんて特に絶好のチャンスだったじゃないですか・・・。」「私もそう思っていた。そもそも呪いであることなんて、私はこれっぽっちも考えていなかった。どんなに不思議なことが起こっても、必ずどこかに理由がある。それにこの家は元々、ドロドロとしたドラマのエピソードの巣窟みたいな場所だ。殺人なんて起きてもなんらおかしなことはない。そしてそれを裏付ける証拠の数々。だが私は、なぜこんなにも証拠が、彼の身辺から出てくるのか不思議で仕方がなかった。あまりにも出過ぎていた。」バーナードは、葉巻を勢いよく吸った。吸い殻が床に一つ二つと地面に落ちた。
「そこで私はひとまず、彼のアリバイを作ることにした。」「どういうことですか?つまりあなたはずっと、死ぬかもしれない人を助けるのではなく、一人の人間の罪を庇おうとしていたのですか?」ロバートの大声は、恐らく外にも響いていた。
「正直この家の人間が死のうがなんだろうが、私には関係ないことだ。そもそも殺人なのか呪いなのかもはっきりしていない事に巻き込まれるほど、私はお人好しじゃないんでね。」バーナードも少し強い口調になった。ロバートは、まっすぐと貫いてくるバーナードの視線にだんだん耐えきれなくなって、大きくため息をついた。
「それでその、彼のアリバイは分かったんですか?」「ああ、彼はやっていないよ。少なくとも直接手をかけた殺人であればの話だが。」「周りくどいですよ。バーナードさん、あなたはいつもそうだ。少しぐらい一発で分かりやすいように話してみたらいかがですか?」「さっきからなぜ君は、そんなに取り乱しているのだね?」バーナードの葉巻は、バーナードに吸われるのを待てず、半分以上燃え尽きてしまった。
「それはあなたが、人の命を粗末にしているからですよ。今回のことだってそうですよ。この事件は、あなたにとっての暇つぶしかなんかなんでしょ?それでわからなければそれでおしまい。それで誰が死のうが、誰が何を思おうが、自分さえ良ければ、なんでも良いんですよ。それがあなただ。それがバーナード・フレッチャーという男なんですよ。」ロバートの声は、部屋中の壁に反響していた。バーナードは葉巻の火を灰皿に押し付けると、また、パイプを取り出した。
「君はまた、先入観を持っているようだ。」「いいえ、これは確信です。先入観なんてありません。」ロバートは頑なだった。しかし今のバーナードに、そこは問題ではなかった。
「だが、私も人のことは言えない。私もかなり大きな先入観で、視界を曇らせてしまっていた一人だ。」そう言うとバーナードは、ロバートのメモ用紙を大きく見せた。
「君はリチャードさんを恨むべきかもしれないね。彼の一言がなければ、そんな考えに至らなかった。」「何をおっしゃりたいんですか?」「君は、こんなに気が利く男ではないし、こんなに字が汚くない。正直、大半の字が私には読めなかった。」そう言いながらバーナードはロバートのメモを、彼の足元に投げ落とした。
「私を馬鹿にするのも良い加減にしたまえウィリアムズ君。」バーナードがそう言うと、ロバートは胸ポケットから銃を取り出し、バーナードに向けた。しかし、引き金を引くことができず、すぐに震える手で持たれた銃の銃口は、床を向いていた。バーナードはその姿を見ながら、余裕の笑みを浮かべた。
「君にそのおもちゃは早すぎるよ。ウィリアムズ君。」その言葉と人を馬鹿にした表情でロバートは再び銃を、今度はしっかりとバーナードの眉間に突きつけ、そして引き金を引いた。しかし銃からは、中で何かを打ち付ける乾いた音がした。思わず目をつぶってしまっていたロバートが、恐る恐る目を開けると、そこには先ほどと同様に仁王立ちで笑みを浮かべているバーナードが立っていた。
「銃はちゃんと携帯しておく物だぞ。」そう言いながらバーナードは、金色に光る玉をポケットから数発取り出した。
「いつからお気づきになっていたのですか?」ロバートは膝をついた。
「最初からと言いたいところだが、実はリチャードさんと話してからだ。」「じゃあなんで弾を?」「私は銃恐怖症でね。その辺に銃が置いてあると、衝動で撃ってしまいそうになるから、正気を保っている間に抜いてしまう癖があるみたいだ。知らなかったのかい?ウィリアムズ君。」「主治医なのに。」バーナードは、どうやらこの状況が楽しくて仕方がないようで、軽く飛び跳ねていた。
「とにかく座りたまえ。立ち話もなんだろう。」そう言うとバーナードはロバートを椅子に座らせ、葉巻を差し出した。
「最後の一本だ。」「その貴重な一本もらうなんて悪いですよ。」どこか開放感を感じていたロバートは、バーナードの手を押し返した。
「いやそれが残念なことに、パイプに慣れてしまったせいで葉巻が美味しく感じなくてね。」ロバートは、彼なりの優しさを噛み締め、葉巻を受け取った。二人は口から煙を吐き出すと、しばらく沈黙が続いた。気まずさはなく、ただ気持ちの整理がついたとても清々しい時間を噛み締めていた。
しばらくして珍しくバーナードが、沈黙を破った。
「正直、全部わかっているつもりだった。なのに一つだけ分からないことがある。」「手紙ですか?」「ああ、意味不明だ。なぜ、私を呼んだ。呪いに仕立て上げたければ、私を呼ぶ必要はないだろう。」「もちろん、私もそう思いましたよ。でも・・・。」「あの執事長か。」「はい。」ロバートはバツの悪そうな顔で、バーナードの顔を覗き込んだ。しかし、彼は自分を軽く見られていた事に憤りを隠しきれなかった。
「彼は何をするにも立ちはだかってたんです。この屋敷の隅から隅まで、彼の知らない事、触れていない物は一つもなかったんです。」「だから、何か事を起こせば、リチャードさんにはバレてしまうってことか。」「そう、だから私はあなたの手を借りて、最悪呪いではない事がバレた時、リチャードさんを犯人に仕立て上げるという計画を提案しました。」「チャールズさんも呪いを信じ、あとは私とリチャードさんをねじ伏せれば・・・。」「完全犯罪でした。」ロバートは、バーナードの顔を見ることが出来なかった。
「だが、そもそもその計画は破綻しているよ。」「あなたを呼んだからですよね・・・。」ロバートは小さくなりながら葉巻を吸った。
「いや、自分たちを騙していなかったからだ。」バーナードは静かにパイプの火を消しながらつぶやいた。
「呪いに仕立てたことがバレた事を考えて行動した事によって、そもそも君たちの動きに呪いの存在が無くなってしまい、呪いの犠牲者が増える毎に、呪いらしさが無くなっていったのは言うまでもない。」バーナードは呆れた顔でロバートを睨みつけた。
「いわゆる本末転倒ってやつだ。まぁ考えすぎる人間にはありがちな事だ。君らしいっちゃ君らしいよ。ウィリアムズ君。」そう言いながらバーナードはロバートの背中を軽く叩いた。しかし、ロバートはうつむいたまま、反応しようとしなかった。
「それで君はなぜ加担した?」「加担?」「ああ、君は人殺しはしていない。その手助けをしていた。そうだろう?」ロバートはわずかに、安堵の表情を浮かべた。
「まぁ犯罪である事は変わらないがな。」ロバートの顔はすぐにくもり空へと変わった。
「彼女に頼まれて。」「パドメ。」「そうです。」「彼女とはどこで知り合ったんだ?」「もちろん、病院です。彼女も私の患者でした。」「君ってそんなに腕が立つのか?」バーナードは、今までの失態から考えて、そもそもよく医療従事者を名乗る地位を獲得したなと思っているくらい、ロバートを見下していた。
「単なるお人好しなんですよ。」ロバートの周りは、暗いモヤのようなものが見える気がした。
「私みたいに、人種関係なく診療する医者はあまりいないですからね。それで彼女も私の噂を聞いて訪ねてきたみたいなんです。」「君は精神科の医師だろ?ということは、彼女も何か精神疾患か何かだったのか?」ロバートは無言で首を横に振った。
「彼らは私にしか頼るところがなかったんです。それは医者としてではなく。まぁもちろん私も精神科医とは言え、他の分野も扱えるのでそれ相応の薬の処方をしたりはしましたけど。」「なるほど、それで彼女と親しくなったというわけか。」「親しくなったというか、姉弟がここに拾われるまでの少しの間、世話をしてやったくらいですよ。そのあとすぐにパドメさんは、ハミルトン家で働くことになりましたから。」「そしてその後も弟のペドロが雇われるまで、彼の世話をした・・・。」「まぁそうなんですが・・・。」ロバートは、梅干しをなめたように、難しい顔をした。
「実はペドロの面倒を見ていたのは、パドメさんからの要望でのことで。」「要望・・・。」ロバートが、今から明らかに言いにくい事を話す顔だとバーナードはすぐにわかった。
「実は、彼女は一度チャールズさんを殺そうとしていたんです。」「ほう・・・。」バーナードは、まさかそんな情報がよりにもよって、ロバートの口から語られるなんて夢にも思っていなかった。
「よくそんな話を君は、今まで誰にも明かさなかったなぁ。」「明かせませんでした。」「なるほど?」ロバートの清々しかった表情が、再びくもり始めた。
「彼女との約束だったんです。彼女がペドロを私に預けた時、こう言われました。」そう言いながら、ロバートはその当時の記憶を頭の中で思い描いていた。
そこはロバートの事務所の中、厚手のコートにスカーフのような白い布をまるで、顔を隠すようにまいているパドメが、扉の近くに立っていた。外は暗く、窓からは街灯の光が微かに漏れていた。
「お願いします。あの子の家族はもう私しかいないのです。でもそんな私が人殺めたと知れば、彼の精神は・・・。」「では、あの子のために、その復讐を行わない手はないのかい?」ロバートは、優しく歩み寄るように話しかけていた。
「それは出来ません。ブードゥーの呪いは、果たさなければ・・・。」ロバートは、パドメの言葉を聞いて、飲み込むことしかできなかった。
「復讐を果たしたらその後は?君は、どうするつもりなんだい?」「ほとぼりが覚めた頃に、迎えにきます。」「彼には君しかいないのに・・・もし、君が捕まってしまったら?」ロバートは必死だった。
「それでも私はやらなければいけないんです。ペドロに背負わせるわけには、いかないんです。」「パドメさん・・・。」ロバートはパドメの意志を感じた。
「分かりました。ペドロのことは私に任せてください。ただ、復讐に関しては、もう一度ちゃんと考えると約束してください。良いですね?」パドメは安堵の表情でうなずくと、事務所を出て行った。
バーナードはその話を、呆れた表情で聞いていた。
「君は本当にお人好しだな。ウィリアムズ君。」しかし、ロバートには届いていなかった。
「だがその後、彼女から手紙が来てペドロを引き取るという内容のものだった。私はその内容を見て驚いたと同時に、ほっとしました。」「それがいつの話だね?」「ちょうど二年前です。」バーナードは立ち上がると、部屋中をまた歩き回り始めた。その時、外から男の悲鳴のような声が聞こえた。
「助けてくれ。私じゃない信じてくれ。」バーナードはすぐに部屋の扉に向かった。ロバートも外へ出ようとしたが、何かが動きを邪魔していた。見ると、いつの間にか腕と何かの手すりが、手錠で繋がれていた。
「すまないが君は罪人だ。そこで自分の罪と向き合ってくれたまえウィリアムズ君。」そう言うとバーナードは帽子を上げて挨拶をすると、そのまま部屋を出ていった。ロバートは軽く舌打ちをしながら、手錠を外す方法を探した。その時、目線の先に金色に輝く銃弾が机に置かれていた。ロバートは内ポケットの銃を眺めた。
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