第2話 The written invitation

 降りしきる雨の中、ロバート・ウィリアムズという一人の男が、足早に歩いていた。大きく広がった黒い傘は彼の上質な紺のロングコートと彼の持つ革の鞄を覆い、容赦なく降り注ぐ雨水から守っていた。しかし、脇に抱えていた地方新聞と経済新聞は、所々に水滴がついて色が変わってしまっていた。雨雲はそんなロバートに容赦なく雨脚を強め、水溜りをどんどん深く大きく広げた。ロバートはとうとう水溜まりを避けるのを諦め、早く目的地に到着する事に決めた。なるべく浅そうな部分を選んでやむを得ず水溜りに足を入れたが、時々見た目によらず思ったより深い水溜りに入ってしまい、気がつくと革靴を通り越して靴下までも濡らしてしまった。そんなアクシデントを起こしながらも、ようやく通りの外れにあるアパートに到着すると彼はそのアパートの、今から行く部屋の窓をを見上げた。するとそにアパートの三階の一部の窓だけ大雨にも関わらず全開に開き、そこからクラシック音楽が鮮明に聞こえてきていた。ロバートは再び顔を下げると暖かそうなアパートの中へ入っていった。カラスの羽のような傘の水滴を振るい落とすとそのまま腕にかけ、アパートのエレベーターに乗り込んだ。アパートは重厚感ある高級な雰囲気で、ロビーに入っただけで、とても良い香りがした。

 エレベーターが三階に到着し、扉が開く直前から先ほど外で聞いたクラシック音楽が聞こえ始め、どれだけの大音量かを物語っていた。

 「まったく・・・」そう呟きながらロバートは目的地の、クラシック音楽が鳴り響く部屋の扉を開けた。開けた瞬間から、男性オペラ歌手の野太い声がものすごい勢いで、耳に飛び込んできた。辺りを見渡すといつものように、居間にある暖炉の前のソファに腰掛け、両手を指揮者のように大きく優雅、ただ全く指揮になっていない振り方をしている男がいた。

 「バーナードさん。」ロバートは割と大きな声で彼の名前を呼んだが、彼は振り向くどころか、ピクリともその動きに影響が出なかった。その時バーナードの口元辺りから一本の煙のすじがリボンのようにゆらゆら上がっているのが見えた。

 「バーナードさん!!」バーナードは急に聞こえてきた声に思わず、甲高い悲鳴をあげてしまった。体制を崩しソファから転げ落ちたバーナードは口に加えたパイプを元に戻しながら、ゆっくりと顔を見上げた。

 「ウィリアムズ君、なぜこの中に入ってこれた?日曜以外は鍵を閉めているのに・・・いや待て、今日は日曜だったかな?いや、私の記憶が正しければ、今日は木曜日ではなかっただろうか?」「合鍵で入らせてもらいましたよ。」ロバートは、今手に持っていた鍵をバーナードに見せた。

「なぜそんなものを?」キョトン顔のバーナードに口から、ロバートはあきれた表情でパイプを口から強引に取り上げた。

 「あなたが身寄りのない自分に何かあったときに、家の中で白骨化したくないからって作らせたじゃないですか。」「そうその通り。だがそれはつまり、もしものことがあったときに使ってもらうために作らせたのだ。しかし、今はそのもしもの時ではない。」バーナードはそう言いながら立ち上がると、クラシック音楽のレコードを止めに向かった。

 「それでお身体の調子は?」「君が来てパイプを取り上げたせいですこぶる不調だ。」部屋の中にようやく静寂が訪れると思ったが、全開の窓から雨音が、雨水と一緒に入って来ていた。

「まだあなたはお若いんですから、こんなもので寿命を縮めないでください。ただでさえあなたは・・・。」「人は皆平等にいつかは死ぬ。それが早く来ようが、遅延させようが今の私には関係ない。」ロバートは二つ持っていた新聞をバーナードに手渡した。バーナードは地方新聞をテーブルに投げ置き、経済新聞を広げるとまるで漫画を読んでいる少年のように、新聞を読み始めた。

 「地方新聞も読んだらいかがですか?」「いや学生の論文でも、もう少しマシなものを書かないと、落第だぞ。こんなものは、新聞を読んだ気になりたいやつの読み物だ。」ロバートが手に持っているバーナードに見せた地方新聞の見出しには、昨夜のハミルトン家で起きた事件も報じられていた。

「ところでウィリアムズ君。」バーナードは新聞に目を向けながらロバートに問いかけた。

「今日の君の鞄がいつものアタッシュケースではないということから、君の用事はカウンセリングではないと見た。」バーナードは、い少しもロバートに視線を向けずに告げた。

「そうなんです。実は、今朝こんな手紙が届いていて・・・」ロバートはコートの内ポケットから少し湿った紙切れを取り出した。バーナードは少しだけ紙切れに目線を向けると、再び新聞に目をやった。

「なんて?」ロバートは手紙を読んだ。

「親愛なるロバート・ウィリアムズ様。お久しぶりです。ペドロ・ファイザーです。」「誰だそれ。」「昔の患者です。アフリカからの移民で、姉弟でこっちに来て身寄りもなく、彼のお姉さんから彼の精神的補助を依頼されていたんです。」「君も相変わらず、随分なお人好しだな。それで今は?」「ハミルトン家という地方豪族の家で召使いとして、働いているそうです。」「なるほど、それは合点が行くな。」バーナードは決して、ロバートの方を見ることはなかった。

「続けますよ。」そういうと再びロバートは手紙に目を向けようとした。

「ハミルトン家と言えば、今朝君が持ってきたゴミ新聞に記事があったが?確か息子の新妻が急死したとか?」「いつ読んだんですか?」「ちょうど君が、私に説教しているときに見せていた記事に書いてあった。」「それなら話が早い。」ロバートはすぐに、手紙をコートのポケットにしまった。「その新妻の葬式に我々が招待されたんです。」「なんでまた?」バーナードはようやく、新聞を下げロバートの姿を視界に入れた。

「そもそも招待ってなんだ?結婚式じゃあるまいし。てかそに結婚式を昨日挙げてるようだが、その招待状は来たのかね?」バーナードは読んでいた新聞を閉じると、再びクラシック音楽のレコードの方へと向かった。

「いや、来てないですが・・・」「それなのにそもそも君はその葬式に行くのかね?君とその花嫁は面識が?「その亡くなった花嫁は、彼のお姉さんなんですよ。」バーナードは再びソファに座る前に呆れたような表情を浮かべていた。

「なるほど、ハミルトン家の息子は、使用人と結婚したのかい?」「バーナードさん、そんな言い方は・・・」「誰が聞いてるわけでもあるまいし。」バーナードは、先ほど同様に、レコードから流れる音楽に合わせて、合っているのか分からない手の動きで指揮を始めた。

「要するに君は友人の親族の葬儀に出席したいということだね。それは良いことだと思うよ、ウィリアムズ君。そんな立派な君に私から一つ質問。私の出席する理由は?」レコードから流れるクラシック音楽が優雅なバイオリンの調べに乗せてゆっくりと流れていた。

「彼女の死因は見ましたか?」「自殺じゃなかったっけ?そりゃ普通の神経してたら、上流階級の世界に急に入るなんて、なかなか精神持たないんじゃないのか?」レコードから流れる曲が、今度は壮大な雰囲気の曲になり、バーナードは両手から全身にかけて身体を大きく動かし始め、自然と顔の表情筋も雄大に動きだした。

「どうやら彼はそうは考えていないようで・・・。」「ちょっと待て・・・。」「どうかしました?」「なるほど、そういうわけか。」ロバートは少しいやな予感がした。クラシック音楽はさらに荒々しく嵐のような曲調に変わった。

「つまりこういうことか?そのペドロって男は、友人である君を使って、赤の他人であるこの私に痴話喧嘩に参加しろと?」「痴話喧嘩では・・・」「痴話喧嘩だろう?自殺でなければなんだ?彼は殺人を疑っているのだろう?」バーナードの口調はクラシック音楽に合わせてどんどん荒々しくなった。

「すいませんでした。確かに彼らの問題に、我々が首を突っ込むのはおかしいですよね。」ロバートの言葉と共に、クラシックの音楽は少し静かげに嵐が去ったことを告げているような旋律を奏でていた。

「君は守秘義務という言葉を知っているかね?」「ペドロは私の友人ですからついあなたの話題を出してしまいまして・・・」バーナードが、指揮もせずソファーに座ったままクラシックを聴いている姿は見たことがなかった。 

「だがそれは過去の話だウィリアムズ君。今の私は隠居生活を余儀なくされた精神異常者にすぎない。それこそ君のカウンセリングがなければ、私はまた何をしでかすか分からない。」バーナードの言葉を聞いて、ロバートはけ部屋の机の上に置いてあった、リボルバー銃を見た。バーナードがレコードを止めると、部屋はロバートが入ってきて以来初めての沈黙が流れた。

「だがあなたの捜査能力は芸術そのものじゃないですか。」「さっきも言ったが、あれは昔の話だ。私が刑事として数々の事件を解決し、あの組織と戦っていた時代はとうに過ぎ去った。」「だがあなただってあの時代に戻りたいと思っているのでしょう?」バーナードは、ソファの横の小さなキャビネットから予備のパイプを取り出し、火をつけ吸い出した。

「私だってだてにあなたのカウンセリングを長年していないんですよ。それにあなたとの付き合いは、カウンセリング歴よりも長い。」「私がなぜ四十代を待たずに隠居したかわかるか?探偵業を生業として生きていくなら隠居なんかしていないんだよ。」ロバートはバーナードのソファに近づき、取り上げたパイプをキャビネットの上に置いた。

「確かにあなたの話を彼にするべきではなかった。それは謝罪させてください。申し訳ございませんでした。」「それがなければ、彼が自殺ではないなどという余計な考えを起こすことはなかっただろうなぁ。」「ですが、私だって友人である彼の力に少しでもなってあげたいと思って、無理を承知で頼んだんですよ。それに外に出て前のお仕事のようなことが出来れば治療にもなるし、あなたのためにもなるかと思ったんです。」バーナードはくわえていたパイプを置くとロバートの方に向き直した。

「ウィリアムズ君、その気持ちは汲む。だが、申し訳ないが他をあたってほしい。自殺である事を受け入れることができない遺族に私は何人も会ってきたし、何件もその依頼に向き合ってきた。だが、ことごとくどれも遺族にとっては辛い現実をただ突きつけるだけでしかない。私はそのせいで起きた、さらなる悲劇を何回も見てきている。私が捜査の結果を伝えたその日に、自ら命を絶った者、やり場のない感情から殺人を犯したもの。自殺というものは後を追う。もし君がその友人のためを本気で思うのなら、そっとしておいてあげることも、一つの優しさかもしれない。それがもし殺人ならなおさら悲惨な結果が想定できてしまう。私はそんなことを偽善で出来るほど人間が腐ってないつもりだよ。」そういうとバーナードは立ち上がり、キッチンの方へと歩き出した。

「もちろん、君がただ慰めのために、葬儀に出席することは止めない。だがその参列に私は参加するつもりはない。赤の他人が行っても冷やかしでしかない。まぁ社交界のああいう気取った連中と同じ空気を吸いたくないのもあるがな。」バーナードはそういうとコーヒーカップを二つ出した。

 「砂糖は?」「いいえ。ありがとうございます。」バーナードが朝に挽いておいたコーヒーの香りが部屋中に漂い始めると、バーナードが湯気が立ち上るコーヒーカップを二つ、キャビネットまで運んできた。

「どうぞ。」「ありがとうございます。いただきます。」ロバートは隣に座り、コーヒーをすすった。熱々のコーヒーが、雨空の下を歩いて冷え切った体を芯から温めた。

「それに、私はどうもあのハミルトン家が好きになれなくてねぇ。」「あなたは昔から宗教的なものとか霊や呪いの類がお好きではないですからねぇ。」「嫌いではないぞ。そういったオカルト現象っていうものは、必ず何かしらの原因ってものがある。私はそれを解き明かし、皆が驚くあの快感が好きではあるがな。」バーナードはティーカップを持ってからずっとティースプーンの中の角砂糖をかき混ぜ続け、一度も口につけていなかった。「まぁ信じるものは人それぞれだが、あの一家はどうも色々履き違えてる気がする。」バーナードは険しい顔をしながらそう言うと、ようやく一すすりした。ロバートはそのギリシャの彫刻のような顔つきを見ながら、再び友人からの手紙に目を通し始めた。

「ところでちょっとした興味本位で聞くが、彼は誰にお姉さんを殺されたと考えているのかね?殺人を疑うというならば、彼も何かしらの推理というものをしているはずだが?」ロバートはバーナードの顔を見て、彼も今何か推理したと確信した。

「それが・・・呪いだと言うのですよ。」「呪い?」バーナードの顔が緩くなった。

「彼はブードゥーの呪いとやらに、お姉さんが殺されたと考えているらしく、しかもその呪いはまだ終わっておらず、これからハミルトン家に災いが降りかかると考えているようでして。」「それは大変だなぁ。もし本当に呪いならな。」ロバートはバーナードのけむりのように掴みどころがない論調が嫌いではなかった。

「それにこの手紙は、今朝届いたとの言っていたな。」バーナードはロバートの手紙を指差した。

「私も昨日は留守にしていたので分かりませんが、昨日の朝はまだありませんでしたからおそらく・・・」バーナードは急にカップに入ってる全てのコーヒーを一気に飲み干すと急に立ち上がり、ロバートに近づいた。

「ウィリアムズ君その手紙の封筒を見せてもらえるかな?」ロバートは不思議そうな顔でバーナードに封筒と一応手紙を渡したが、手紙はすぐに投げ捨てられてしまった。

「急にどうしたんですか?」「ちょっと気になる事があってね。」バーナードはしばらく封筒を眺めると、キャビネットに乗っていた地方新聞に一瞬目を向けた。

「なるほどぉ。これはまさに呪いだ。」バーナードは急に笑いながら寝室の扉へ向かった。

「いやぁ君の友人は本当に面白い人が多いなぁウィリアムズ君。」バーナードは先ほどとは打って変わって、飛び跳ねるように扉を開けた。

「ウィリアムズ君すぐに出発だ。」「出発ってそんな急に?」「その通り、これからその新妻の葬式に出向いて、呪いとやらの正体を突き止めて見せよう。ウィリアムズ君。」そう言うとバーナードは部屋に入り扉をピシャリと閉めた。ロバートは呆気に取られたような顔で閉められた扉を眺めていた。

「なんか久しぶりにお会いした感覚ですね。また会えて嬉しいです。バーナードさん。」ロバートは少し微笑みながらカップに入った残りのコーヒーをすすった。

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