14 明日なんかいらない


 最上階の大広間で、ディヤーヴァとベレスフォードとナギが睨み合っている。

「おや、仲間割れですか」

「ドクター・ジン」

 ベレスフォードが驚いたようにイントロンの男を振り返る。


「連邦警察の司法長官の要請で来ました。アームズの資料をお渡し願おう」

 ベレスフォードは冷たい瞳でドクター・ジンを見据え、哄笑した。

「ふふふ……ははは……」

「何を笑う」

「資料などあるものか」

 ベレスフォードは手にしたナイフを仕舞って、ドクタージンに対峙した。

「ただ一人、アームズ様が全ての資料」


 次の間に続く部屋の入り口に男が一人立っていた。顔色が悪く、肩で息をしている。力のない声で投げ捨てるよう呟いた。

「私はもう死ぬ。あるものは全て連邦警察に渡した」

 男の側にはルスが居た。男を支えるようにして立っている。


 連邦警察に提出された資料にはドールの膨大な極秘資料はなかった。細かい設計書。仕様書。実験結果。アームズが行ったというイントロンの研究資料も、ディヤーヴァというエイリアンの資料もない。肝心のものは何もなかったのだ。


「どういう」

「アームズ様は天才だ。全ての資料はアームズ様の脳の中にあるのさ」

 ベレスフォードが口をつぐむと、JB・アームズが疲れたように口を開く。

「ベンジャミン。選べ」

 部屋の隅に小さな子供がいる。少数のお付に守られて、そこに現れた人々を等分に見ている。


 ディヤーヴァによく似た浅黒い肌に額に赤い宝石。子供の黒い瞳には何が映っているのか。そこに居る人々を順に一人また一人と視線を移してゆく。その瞳が最後にディヤーヴァを見た。問うように首を傾げる。ナギが不安に塗れた瞳で男を見上げる。

(何が欲しいの、ディヤーヴァ!?)

 選ぶのはベンジャミンか。それともディヤーヴァか。


 だがそれは違うのだ。ベンジャミンの無垢な瞳は最後にナギに向かった。ナギは子供を見て、無意識の内に首を横に振っていた。


 子供の黒い瞳の中に小さな星が明滅する。子供は、すっと手を上げた。ベレスフォードがその手を掴む。その場から、お付もろとも、かき消すように消えた。


「な…、今、何が……、まさか!?」

 ドクタージンが信じられないといった顔をする。

「もうすぐここは崩れ去る。逃げるなら今の内だ」

 壁に背を預け、肩で息をしながらJB・アームズが言う。ゆらりと奥の部屋に入っていった。ルスはそれに従うように身体を支えて付いて行く。

 だが部屋に入ったとたん、二人の姿はかき消えた。

「待て!! ルス。待ってくれ」

 ドクター・ジンの声が虚しく贅を尽くした部屋に響く。



 その声は、どこか遠くから聞こえた。

 部屋を見回してルスは驚きの声を上げた。

「あら、ここは──」

 そして傍らの男に、嬉しそうに微笑みかける。そこは昔、自分とバーナードが一緒に暮らし、愛を育んだ場所だった。

 アームズの内部に作られた、二人だけの小さな世界。


「行かないのか」

「行かないわ」

 少女のようにルスは微笑んで男に手を差し出した。笑って男にキスして囁く。

「明日なんかいらない。今日が永遠になるの」

 男は微かに笑って、ルスの身体に手を回した。




 アームズの建物がぐらぐらと揺れた。最上階に取り残されたナギは、ぼんやりと自分の許に残った男を見上げていた。

「ディヤーヴァ…」

「アルを呼ぶ。みんな飛んで」

 ヴィーが急かす。

「もう飛べないわ」

 メイが叫ぶ。

「最上階をぶっ壊そう。みんな掴まっていろ」

 ディヤーヴァが腕まくりをして前に出る。一人背中を向けるドクター・ジンに、ヴィーが聞く。

「ドクター・ジン。あなたは」

「私は連邦警察の船に行く。メイ、来なさい」

 だが勝気な少女は首を横に振る。

「お父様とはここでお別れします。さようなら」

 メイはきっぱりとした声で言い放った。ドクタージンは唇を少し歪めただけで、メイを見切ると、さっさと背中を見せた。

「ディヤーヴァ」

「いいのか、お前。父親と母親だぞ」

 ナギは首を横に振る。

「俺を一人にしないで」

「馬鹿…」

 ディヤーヴァはナギを背中に庇い、ガラスの壁に向け衝撃波を放った。ドーンとガラスが砕け散って壁に穴が開く。ゴウッと風が吹き抜ける。

 待ちかねたように一台のスペースシップが下りてきた。

『ゴ主人』

 スペースシップに皆が乗り移って離陸すると、それを待っていたかのようにビルがゆっくりと崩れ始めた。

 キラキラと光る破片を振り撒きながら、ゆっくりと崩れてゆく。


「歌っている…、踊っているわ……」

 ユリアーナが崩れ行くアームズを見て呟いた。



 アームズが壊れてゆく。

 人々がアームズ本社のビルに取り付く前に、ゆっくりとビルが崩壊しはじめた。ビルに取り付こうとしていた人々は、夢から覚めたようにただ呆然と振り仰ぐ。夢でも見ているように美しい。


 そして人々は先を争って四方八方に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。神か悪魔の降臨を恐れるように、叫びながら逃げ出してゆく。

 アームズが散ってゆく。夢のように――。


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