9 私はイントロンだ


 ナギが当然のように皮肉な男に寄り添うのを見て、ヴィーの胸がちくりと痛んだが、今はそれどころではない。

 ヴィーの血を分けた両親が軟禁されているのだ。イントロンとして生まれたヴィーを育て、地下組織に身を投じた後も、陰ながらずっと援助し庇ってくれた。


 イントロンとして生まれたことを何で虐げられなければならない。何で命を脅かされなければならない。人より優れた資質があるだけなのに。

 全てドールが、そしてその背後にいるアームズが、人より有利にならんとする為のエゴゆえではないか。


 疑問にも思わなかった事が、イントロンのアジトに行って沢山の仲間を知ることで浮かび上がる。そのことで、ヴィーは両親に反発した。

 人がいて様々な組織があれば、衝突することもある、弱者が強者に飲み込まれることもある。

 だが、その命を、生きる権利を踏み躙ってよいものではないと。

 しかし両親は答えをくれなかった。ただ営々と、アームズに寄り添い、望む製品を生み出し続けたのだ。

 今、忠誠を尽くしたアームズに軟禁されて、両親はどう思っているのか。


 船団はアームズに向かって移動している。

 やがて、まるで要塞のような警備隊の建物が見えてくる。それは幾重にも厚い層を成している。その奥に、ドールの総本山アームズ本社は、幾つもの部門社屋と関連社屋を従えて中央に燦然と聳え立っていた。




 アームズ本社の最上階である。

 高い天井から豪華なシャンデリアが下がり、床から天井まであるガラスの壁面からは、遠くアームズの市街が見渡せる。

 広い部屋は所々中世風の彫刻を施された柱と、観葉植物で区切られて、贅を尽くした応接室へと続いている。広い部屋の中央にある立派なデスクの後ろには、大きな一枚絵が壁画のように飾られ、その前の豪華な革張りの椅子に座った男がいる。


 この椅子に座ることが許されるのはJB・アームズその人しかいない。

 偏光サングラスで隠した男の顔色は悪かった。肘掛に片肘をつき、その手に顎を乗せている。いつものその姿勢も大儀そうだった。それでも男は全神経を集中して事に及んでいた。


 突然その部屋のドアが開いて、金髪の男が入ってくる。偉丈夫な男のいつもは冷たい青い瞳は幾分和らげられている。

 と、椅子に座った男の体がぐらりと傾いだ。

「大丈夫ですか、アームズ様」

 金髪の男が側に駆けつける。

「大丈夫だ。ベレスフォード」

 男はかろうじて自分の体を支える。


「もうすぐ司法の手が伸びる。ここに連邦警察が来るだろう」

「何と仰いました」

 男の重大な発言を聞いて、ベレスフォードの冷たい瞳が見開かれた。

「私は全てを白日の下にさらす」

「何を馬鹿なことを。アームズの全社員はどうなるのです。関連企業は」

「今までした事の、あるいは黙認したことの報いを受けるべきだ。人の上に立ち、甘い汁を吸ったことの……」


 男は椅子に寄りかかって苦しそうに息を吐く。ベレスフォードはデスクに手を付いて男の考えを正そうとする。

「我々は正しい事をしたのだ。間違っているのはあなただ。イントロンなぞほんの一握りの人種ではないか。大多数のドールや新人類の意見が通ってどこが悪い」

「私はその数少ないイントロンだ」

「あなたはドールです。我々の象徴だ」

『私はイントロンだ。そして、最早それを隠すつもりもない』

 男の言葉は直にベレスフォードの頭の中に響いた。

「何を――」


 ベレスフォードは男がしていることに気が付いた。男は演説を行っているのだ。人々の心の中に。

 ベレスフォードは銃を取り出し男に向けた。

「もうお止めください。それ以上は危険です」

 しかし、男は止めない。人々の心に語り続ける。

『私はイントロンだ』

 ベレスフォードは男に向かって引き金を引いた。

 男の体でバシュッと音が弾ける。


「あなたはご病気なのです。お気が弱くなっておられる。八代目のアームズ様がもうすぐ誕生します。あなたはもうお休みになっていればいい」

「ベレスフォード……」

 男は唇をかすかに歪めて椅子にくずおれた。

「あなたがこの前開発されたドールはすばらしい。子供の内から入ることが出来る。ベンジャミン様があなたの後を立派に継がれましょう」

 ベレスフォードはくずおれた男の体を抱え上げた。



 アームズの市街を、ルスは自分の記憶を辿りながら走っていた。


 昔、身に宿った小さな命を抱えて逃げた。捕まれば自分も子供も処分される。愛した男から、贅を尽くした虚しい部屋から、追ってくる恐ろしい男たちから、必死で逃げた。


 あの時は、お腹の中の小さな子供が唯一の味方だった。

 小さな赤ん坊は大きく成長して戻って来た。

(もう大丈夫。だから私は、私のあるべきところに行こう)

 不意に頭の中に声が響いた。

『私はイントロンだ』

「バーナード」

 つい最近聞いたばかりの愛する男の声だ。痩せて顔色も悪かった。ルスは声に向かって叫んだ。

「バーナード。私を呼んで。あなたの側に行くわ!!」


「ルス……」

 男は夢の中でその声を聞いた。

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