2 届かない手


 ルスは痛みで目を覚ました。部屋の様子に焦点が合うのに数秒かかる。二重三重にぼやけた映像がやがて一つにまとまった。


 天井から下がった豪華なシャンデリア、幾重にも下がったシフォンのカーテンにはたっぷりとしたドレープが入り、サイドテーブルにはアラバスターのランプが淡い光を投げかけている。


 見覚えのある部屋だった。自分はこの部屋を知っている、遠い昔に──。

「気が付いたか」

 あの日と同じ声が聞こえた。男が一人ベッドの側の椅子に座っている。偏光のサングラスをかけた茶色の髪の男だ。


「バーナード……!?」

 起き上がろうとしたルスは、身体の痛みでベッドに突っ伏す。

「そのまま」

 男が立ち上がってルスの側に寄った。手がゆっくりとルスの身体を撫でて、温かい気配がルスを包む。

 痛みがゆっくり癒えてゆく。


「本当にあなたなの……?」

 ルスの言葉に男がわずかに頷いた。ルスの瞳が見る間に潤んで、大粒の雫が転がり落ちる。そして、ふと周りを見回した。

「ベネディクトは?」

「ベネディクト?」

 男が怪訝そうな声を出す。


「子供よ。私たちの」

 偏光レンズで隠した瞳をルスに向けたまま、男はゆっくりと動きを止める。

「私を助けに来てくれたの。小さな赤ちゃんが、あんなに大きくなって……」

「ああ、あの子が」


 ルスが倒れていた部屋の外に、金色の髪のルスに面差しが似た少年がいた。

「私と君の?」

 男が首を傾けて聞く。


「ええ、そう」

 ルスは隠された相手の瞳を覗き込むようにして言う。

「だから、私はアームズから逃げたの。子供が殺されると思って」

「私に何も言わず」

 男はルスから少し顔を背けて呟く。


「言えなかった。ベレスフォードが追いかけてきて。逃げるのが精一杯だった」

 イントロン狩りで捕まったルスを助けたのは、JB・アームズその人だった。

 若くして死んだ父の跡を継いだばかりの七代目JB・アームズはそのときまだ十八歳だった。


 助けたイントロンの少女を気に入って、自分の船に乗せて連れ帰った。ルスはそのとき十六歳。恋が生まれても不思議はなかった。

 若い二人は衝動に突き動かされるように身体を重ねた。そして、ドールではありえないことが起こった。ルスが妊娠したのだ。


 七代目JB・アームズの秘書であり補佐役であるベレスフォードは、ルスを始末しようとした。


「ステーション惑星まで逃げたとき、ドクター・ジンに出会ったの。助けてくれるって。彼にも子供がいて、双子っていうことにしようって」


「クレイグをやったが」

 その時、まだ若くて未熟だった七代目は、巨大企業アームズという組織にがんじがらめに縛られていて、身動きすら出来なかった。ルスを追いかけることも出来なくて、幼馴染で腹心の部下を追いかけさせた。


「クレイグは子供を連れて逃げたの。子供が攫われた翌日、アームズの襲撃があったわ。きっとクレイグは知っていたのよ」

「そうか……。私は何も知らなかった。知らされたときには、すでに全てが終わっていた」

 男が苦い口調で語る。


「クレイグは帰って来なかった。君も死んだと聞かされた。私は引きこもり、世間から背を向けた。何もせずに今までいた」

 男はルスの身体から手を離すと、側の椅子にぐったりと座った。


「私はもう長くない」

 ルスの顔がさっと曇る。手を差し伸べようとしたが男の身体は遠い。

「君が生きていると知ったのはつい最近だ。結婚していると聞いていたから会わずにいるつもりだったが、捕えられていると誰かが知らせてくれて、最期に会えればと……」


 椅子に寄りかかって肩で息を吐く。ルスは男の顔色がずいぶん悪いのに気付いた。

「バーナード」

 体調が悪いのに自分を癒してくれたのか。それが余計に男の体調を悪くすると分かっている筈なのに。伸ばした手が届かないのがもどかしかった。


「君をステーションまで送ろう。そこから帰るといい」

「バーナード、聞いて!! 私は結婚していない。誰とも。偽装していただけ。子供のために」

 ルスは必死になって男に説明する。


 巨大企業の頂点に立つ男に近付くことは容易ではなかった。一目会うことすら出来なかった。


「あなたが好きよ。ずっと戻りたかったの。だから組織を作って、認めてもらおうと……、堂々と会えるように、イントロンもドールも何もない……」

 ルスは涙を浮かべた瞳で連綿と掻き口説く。


「お願い、バーナード。もう離れたくないの」

 しかし、必死に伸ばす手が男に届かない。


「君は生きろ。私は今までアームズがやってきた事のすべての責任を取る」

「バーナード」

 男はゆっくりと立ち上がった。まだ動けないルスを置いて部屋を出てゆく。

「いやよ、バーナード。一緒に居たいの」

 ルスの悲鳴のような叫びが、贅を尽くした部屋にむなしく響いた。

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