七話 終焉
1 奈落
落ちている。ものすごいスピードで。
光が走っている。上へ、下へ、体のすぐ横をゴウッと轟音を響かせて通り過ぎる。通り過ぎるだけでなくドンッとぶつかって弾けた。眩い光が四方八方に散ってゆく。何かが緩衝材となって衝撃はあまり感じなかった。
眩い光にうっすらと目を覚ます。誰かの腕の中にいる。ゴウッとまた光がすぐ側を通り過ぎてかすかな衝撃が伝わる。
目を上げると会いたかった男の顔があった。黒い長い髪が乱れて、光が通り過ぎるたびナギの頬を掠める。
「ディヤーヴァ」
呼んでも男の目は開かない。光がまた近付いてくる。
「ディヤーヴァッ!!」
光は真っ直ぐ近付いてくる。それがただの光ではないとナギは気が付いた。ものすごい速度で近付いてくるそれは砕けた瓦礫のようだった。
「ディヤーヴァッ!!」
ナギは必死で自分をその腕に抱きこんでいる男の名前を呼んだ。男は固く目を閉じている。その腕に抱きこんだナギを離さないで。
光が近付いて弾けた。男の体が衝撃を受けて跳ねる。なのにナギの身体を離さない。
「ディヤーヴァッ!! ディヤーヴァッ!! ああ、誰か助けてっ!!」
力なんか使い果たしたのか少しも出なかった。その腕をすり抜けて自分が庇いたいのに、男の腕は自分を掻き抱いて離そうとしない。
「誰かあぁぁ────!!!!」
ナギはただ泣き叫ぶことしか出来なかった。
不意に、滲んだ金色の光が二人を取り巻いた。高速で飛び交う物体は二人の側をすり抜けてゆく。落ちてゆく体がゆっくりと止まった。
奈落の底に着いたのではない。空間に止まっている。
光を発して飛び交う物体は二人のすぐ側を通り過ぎてゆくが、もうぶつかることはなかった。
「ディヤーヴァ…、もう大丈夫だよ」
ナギが囁いても、ディヤーヴァはその身体を庇って腕の中に抱き込んだままで、ピクリとも動かない。男の背中に回した手に伝わる濡れたものは何だろう。
不安と、それ以上に恐ろしさで、ナギの頭がパニックに陥る。
「ディヤーヴァ!! ディヤーヴァ!! 死んじゃ、いやだ!!」
何も言わない男の体を抱きしめて叫んだ。
二人を取り囲んだ金色の光の輪の中央から、一筋の赤い光が近付いてくる。
それは次第に人の形になった。
長い黒髪、浅黒い肌、額に赤い宝石の美しい少女。
(ディヤーヴァの妹……?)
少女はゆっくりと手を差し伸べる。ディヤーヴァに。
「何を…、何をするつもりなんだ?」
連れて行こうというのか。ナギは必死になってその腕の中にディヤーヴァを抱きしめる。少女の手がディヤーヴァの身体にかかろうとする。
「止めて!! ダメ!! ディヤーヴァッ!!」
少女は何故という風にナギを見る。黒い黒い瞳。
一緒に行こうと手を差し伸べて、ナギも誘う。
「俺はいやだ!! 行かせない!! ずっと、ずっと一緒に居たいんだ。あんたには渡さないっ!!!」
ナギは男の背中に回した手に力を込める。
微かな温かい意識が男の身体に流れる。
暗い奈落の底で、ナギは黒い瞳の少女と睨み合った。
滲んだ光の輪がゆっくりと狭まってくる。
赤い光がチラチラと揺れる。
何人ものディヤーヴァの仲間がいる。
何本もの腕が現れる。手を差し出して呼ぶ。
おいで、おいでと──。
「――!!」
声にならない悲鳴を上げて、ナギは男の身体を抱きしめたまま首を横に振った。
どのくらい、そうしていただろうか。ふと、遠く、呼ぶ声が聞こえる。
これは仲間の声だ。ユリアーナの暖かい歌声が聞こえる。メイがヴィーが、ラプタートランが、アルの合成音声まで聞こえる。
ここに戻って来いと言っている。
「ディヤーヴァ、行こう」
男はナギの身体を抱きしめたままピクリとも動かない。
「飛べないよ……」
動かないディヤーヴァの身体を抱きしめたまま、絶望的な思いでナギは呟いた。
ふと、二人を取り巻いていた光が動き出した。
ゆっくりと二人の身体を押し上げてゆく。幾つもの赤い光が、ナギとディヤーヴァの身体を、暗い奈落の底から押し上げる。
ナギはディヤーヴァの身体を抱きしめて、呼んでいるその中に飛び込んだ。
* * *
船の中央にナギは放心したように座り込んでいる。その腕にディヤーヴァを抱え。ディヤーヴァはナギの身体に腕を回したまま死んだようにピクリとも動かない。
手当てをしようとヴィーが二人を引き離そうとしたが、狂ったように首を横に振って、ナギはディヤーヴァを離さない。
「生きているのか?」
殺しても死なないような男だった。それが今、ほとんど虫の息でナギの腕の中にいる。背中は傷だらけでメイとユリアーナは恐ろしそうに見ている。ナギの手はその背中に回されていた。必死になって気を送り込んでいる。
「止めろ、君の方が死んでしまう」
ヴィーがもう一度止めさせようとしたが、後ろからラプター・トランが首を出してヴィーを引き止める。そのままディヤーヴァの背中を舐めはじめた。
「ラプター…」
「キュルキュル」
ナギの瞳から大粒の涙が盛り上がって落ちた。
ヴィーは船の上部に取り付けたコンソールボックスから救急医療道具を引っ張り出した。酸素吸入器やら消毒薬やらカンフル剤が出てくる。
メイとユリアーナがディヤーヴァの背後に回って傷の手当てを始めた。
「あの人は私のお母さんじゃないわ」
ディヤーヴァの背中に消毒薬を塗りつけていたメイが、爆弾発言をした。その背中の肉は弾けて骨まで見える。メイは痛そうに眉を顰めて、それからナギを見る。
「私、お父さんにあんたを殺せって言われていたの」
ディヤーヴァのことで手一杯で、頭が回らないナギの代わりに、ヴィーとユリアーナが驚いた。
「メイ」
「メイ、そんなこと……」
「お父さんは、あの人が死んだらナギはあっちに行くって」
「あっちって……」
「あの人を助けた男、ナギに似ていたわ」
メイの言葉を聞いてヴィーはハッと顔を上げる。黒い瞳が真っ直ぐにヴィーを見た。
「知っているの? ヴィー」
ヴィーはいったん唇を引き結んで、それから答えた。
「あの男はJB・アームズだ」
実際に会ったことはなくても画面で知っていた。本物は印象がずいぶん違っていたが。
「何ですって!? だって、飛んだわよ」
メイが信じられないといった顔で言う。JB・アームズはルスを抱きかかえて飛んだ。ドールには出来ない芸当を、あっさりとやってのけた。
ドールがイントロンの力を手に入れつつあると、ドクター・ジンは言ったが、そう簡単に手に入れることが出来るだろうか。
まさか、ドールの総元締めアームズ社の総帥のJB・アームズがイントロンだというのか!?
では、ナギは誰の子だ。まさかそうなのか。
ドクター・ジンは知っていたのか。だから殺せと──。
どっちにしても、ルスはアームズに攫われてしまった。もう戻って来ることはないだろう。今なら、ディヤーヴァもナギも殺せる……。
瀕死の重傷を負った悪魔を抱きしめたまま涙にくれる少年。か弱い後姿。もしこのまま、この悪魔が死んでしまったら──。
ヴィーの思いを呼び覚ますようにマシンの人工知能アルが知らせてくる。
「ゴ主人、ニコヨリ連絡ガ入ッタ」
『どうした、ヴィー! 無事か。何があった』
スクリーンに赤毛の大男が映ったかと思ったら、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「ルスはアームズに連れ去られた」
『ヴィー』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます