4 あなたに似た誰か


 大きな獣の顔がぐんぐん近付いてくる。クアッと大きな口が開いて、ギザギザの牙が間近に迫る。生臭いにおいが一段と強くなった。


(いやだ! 食べないで!)

 ナギは目を見開いたまま、硬直した身体でそう願った。鉄格子の隅の隅まで寄ったナギの顔を、ベロンと生暖かいものが舐めた。ざらりとした感触と生臭いにおいが残る。ゴツゴツとした牙が何本も生えた大きな口が目の前にある。


 しかし、その牙のある口は一向にナギに襲いかかる気配がない。不意にキョトと首を傾げた。グルルともう一度唸り声がする。見上げると大きな丸い瞳とぶつかった。獣はナギと瞳を見合わせたままキョトとまた首を反対に傾けた。


 不意にバサと音がした。狭い檻の中で獣が羽ばたいたのだ。獣にはどうやら羽があるようだった。ナギに近づけたギザギザの牙のあるその顔にもその下の首にも羽毛がある。ナギを見てまた首を傾けた。ベロンと大きな舌がナギを舐める。


 その頃になってようやく、その大きな羽のある獣がナギに敵意を持っていないということに気がついた。獣はキュルルルと低い声で鳴いて、翼に付いたカギ爪でナギを引き寄せた。まるで自分の雛のように羽毛の下に掻い込んだ。

 獣の臭いはしたけれどそこは暖かくて安心できるようにナギには思えた。何より疲れ果てたナギは何を考える気力も無く、獣に抱かれて眠りに落ちた。



  * * *


 ヴィーは翌朝二人の女の子を連れて、衛星都市インブリウムから母星テラのユリアーナのプロダクションがある都市へ向かうフェリーに乗り込んだ。


 テラは非常に古い星で、人種の坩堝だった。人口も多いが貧富の差も大きい。何もかもがごった煮である街。高いビルの群と、それと対を成すように広がるスラム街。

 古い伝統文化を重んじる一方で、前衛芸術も受け入れられる。混沌として何を信じていいのか分からない星。


 ユリアーナが所属していたプロダクションは、オズという大陸の中央都市ディンゴにあった。新興都市である。街は新進の設計者による都市計画に基いて作られ、うねるような前衛風の巨大な建造物がひしめく。


 フェリーを降りた三人は、レンタカーを借りてユリアーナの所属するプロダクションに向かった。

「あれがララート・ライト大劇場よ」

 街の中央大通りのユリアーナの指差す方角に、空に突き出したキラキラ輝く氷の柱のような、ひときわ目立つ建物があった。白っぽい建物の内部から赤や青や七色の光が浮き上がって広がって行く。

「スゴイ……」

 メイが息を呑んで劇場を見上げる。


 この街で成功した者は、この氷の城のような劇場の電飾で埋め尽くされた空中舞台で、劇を踊りを歌をそれらの混沌と入り混じった芸を披露することが出来るのだった。


「ユリアーナもここで歌ったの?」

「いいえ、私はまだ」

 ユリアーナが遺骨を胸に溜め息を吐いた。

「ケビンが死んじゃったし、もう私は……」


 三人が乗ったレンタカーは、他にも無数に点在する劇場やシアターを掻き分けて進む。それらの小さな舞台にも上がれない者たちが、街角で自分の芸を披露していた。

 やがてユリアーナの所属するプロダクションの事務所が入っているビルが見えた。数ある建物と同じ背の高い普通のビルである。


 ヴィーがその共有の駐車場に車を入れようとした時、不意にユリアーナが胸を押さえて叫んだ。

「ダメ、ここに入ってはいけないわ」

 見開かれた青い瞳は虚空を見て、首を嫌々と横に振って突っ伏した。

「どうしたのユリアーナ」

 メイが慌ててユリアーナを抱き起こす。チリと肌を刺すような感触をヴィーも感じた。


 慌ててレンタカーを手動操縦に切り替える。ハンドルを切って建物から出たとたん、数人の男達が走り出てくるのが見えた。

「待ち伏せ!?」

 男たちを見てメイが叫んだ。手に手に武器を持っているのが見えた。ヒュンヒュンと赤い光線が車の横を走っていく。

「そのようだ」


 アクセルを全開にしてヴィーは表通りに飛び出した。後から男たちの乗った車が追いすがってくる。メイの腕の中でユリアーナは震えながら言った。

「来るわ…」

 ユリアーナの予言どおり、男達だけでなく、ビルの上からも何台かのエアカーが舞い降りてきた。



  * * *


 一方、ナギはかすかな振動で目が覚めた。ウィンウィンとクレーンの音がする。


 ナギは獣の羽毛の中から這い出した。檻は何かのケースの中に入れられているようだが、檻の中が薄明るくなって獣の姿が見える。身体全体に白っぽい羽毛の生えたふっくらとした感じで首が少し長い大きな鳥。しかし、口にはギザギザの牙があって太くて長い尻尾がある。キョトキョトと首を傾げてそのまん丸の瞳でナギを見ている。


 カタンと音がして何かの上に乗せられたようだった。そして車のエンジン音。どうやらどこかに運ばれているらしいとナギは檻の中で思った。



(一体どこに連れて行かれるんだろう)

 ナギは急に不安になった。考えてみればディヤーヴァだけでなく、妹のメイとも自分を探しに来たと言ったヴィーとも、離れ離れになっていた。今、ナギは全くのひとりぽっちだった。自分が何処にいるかさえも分からない。


 不意に側にいる鳥やら獣やら分からないものがキュルルと優しく鳴いた。翼に生えた鍵爪でナギを引き寄せる。黒い丸い瞳がキョトと覗き込む。

「ああ、お前がいるんだね」

 見上げてそう言うと、ギザギザの牙のある大きな口を開いてバサと羽ばたいた。

 やがて車が止まって、またクレーンの音がする。どうやらどこかに着いたようだった。ナギは獣の翼に隠れた。



 檻はどこかに運ばれて、やがて設置が終わったらしく、檻を覆っているカバーが徐々に取り除かれていった。檻は広い部屋の真ん中に置かれているようだった。隅にデスクがあってその横にロッカーがある。部屋の柱と床は磨き抜かれた大理石で、天井からはシャンデリアが下がっており、どっしりとしたカーテンが下がっていた。


 こんな豪華な部屋は見たことがなくて、ナギは獣の翼の下から呆然と部屋を見回した。檻が設置されてしばらく無人だった部屋に、小さな足音が聞こえて誰かが入って来た。


「ラプター来た?」

 小さな子供の声が聞こえてきて、ナギはそっと檻の外の様子を窺った。

「ディヤーヴァ……!?」


 七、八歳くらいか、小さな少年だった。しかしその額には赤い宝石が輝き、肌は明るい褐色だった。少年は驚いたようにビクッと立ち止まって獣の方を見た。


「誰?」

「ベンジャミン様。どうなさいました」

 少年の後ろから何人かの部下を従えて男が入って来た。金色の髪を綺麗に整えた背の高い偉丈夫だった。立ち止まった少年に説明を始めた。


「大丈夫ですよ。これは非常に大人しい性格です。ベンジャミン様のために作ったんですよ」

 男の気配にナギの身体をゾワリとした悪寒が這い上がった。


 少年がゆっくりと獣の方に近付く。もう一度言った。

「誰?」

 暗い不思議色の瞳が真直ぐにナギを捉えている。

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