エンディング
end roll 3 初めからそれはそこに在り ー2024/8/14 18:20
俺だけが、この世界が異常であることを知っている。
「夏休みどこ行く? キャンプとかいかない? テナント借りてさぁ!」
待ち合わせは食堂にした。コンビニのカフェラテを注文し、席に着くと、後ろからそんな声が聞こえてきた。
大和はまだうんうんと試験に取り組んでいて、出て来れるのはまだ先だろう。手帳を開き、考え事をする。
しばらくは自分だけの憩いの時間。
「ハワイに行くんだー。ホテル、一週間取っちゃった」
「いいないいな! お土産買って来てよ!」
定期考査は本日で終了。今期の講義は全て終わり、食堂に残っているのは自由気ままに駄弁っている学生ばかりになった。この時期に試験が入っている講義はあまりない。ほとんどは十五回目の講義を試験日として定め、この週にわざわざ試験日を入れている教授は少ないからだ。
けれど試験のためにわざわざ赴くのも悪くはない。試験が終わった後にどこに行こうかと朝に考えるのも、試験が終わっていない友人を待つのも好きだった。それは高校時代から変わっていない、自分だけが好きな時間。
あの男子学生も。あの女子学生も。夏休みに浮かれて気がついていないわけではないだろう。ニュースに取り上げられることもなければ、誰かの話題になることもなく。当たり前のようにあるそれを、当たり前のように受け入れて、そのものに疑問すらも抱かない。
首にあるそれが視界に入っていないのかもしれないが。
「誠也。ごめん。遅くなった。難しくねぇ? 誠也、本当にあの時間で解けたの」
「試験範囲、レポートにまとめなかったの」
思ったよりも早かった。手帳をパタンと閉じて大和の方に顔を向ける。
「まとめたけど! うう。ああ、もう!」
大和は自販機で買ってきたばかりらしいポカリスエットをテーブルに乱暴に起き、向かい合うように座った。頭を抑え本当に悔しそうだ。大和も頭が悪い方ではないのに。というか、この大学に入れるんだから頭がいいはずなのにな。
「まぁまぁ。元気出してよ。終わっちゃったものは仕方ないよ」
大和はそれに応えなかった。これは相当だなと、誠也は閑散としている構内を見渡した。夏休み。大学生の、長い長い夏休み。バイトをいれてお金を稼ぐのもよし。サークルに打ち込んでかけがえのない青春を楽しむのもよし。将来の事を考えてインターンシップに望み、企業研究をするものもいるだろう。
大切な、かけがえのない若人の夏。
「大和は夏休み、稽古があるんでしょ」
大和は通っている養成所のオーディションのために必死に練習をしている。文化祭で主演も狙い、俳優としていつか舞台に立つための大切な時期なのだ。俺が邪魔をすることはできない。
大和はいずれ芸能の道に進むのだろう。そうなれば二人で会う時間も少なくなって、スマートフォンのやり取りだけになったり、SNSでの近況を確認するだけになるのだろうか。大和は優しいから無理矢理にでも会おうとはしてくれるだろうけど、それもいつかは難しくなっていく。
「あー、誠也くんこんなところにいた」
ばっふんと後ろから飛びかかってくるのは榊優菜だった。大和は、「ゲッ」と露骨に嫌そうな顔をする。
「優菜。危ないよ。怪我をしたらどうするのさ」
「誠也くん、優しい。私のこと心配してくれるの?」
榊を睨む大和の顔が視界の端に映る。大和がこう睨むのも無理はない。俺は榊に監禁されていて殺されそうな思いもしたのだから。
でもこれは、榊がこれ以上誰かに悪さをしないために一番いい方法だと俺が思ったからなのだ。
「――付き合ってる彼女の心配をしない彼氏がいないわけないでしょ」
俺は椅子に座っているのにも関わらず抱きついてくる榊を受け止め、その頭を撫でてやる。
「大和。顔。怖いって」
「……榊、てめぇ。誠也になにかしたら、ただじゃおかねぇからな」
「だから顔。俳優がしちゃいけない顔だよそれ」
あの夢から覚めたあと、鏡を見て確認しても首筋に残ったバーコードは消えていなかった。
どうやらこの世界は、――榊優奈が死なず、バーコードが存在したままの状態で時間を進めた世界。
デスゲームをした記憶は維持し、これがなんであるのかも理解している。しかし、これに干渉できず、ましてや戻すことも不可能。
そしてあの男は言っていた。
『お前だけが、この世界が――異常であることを理解している』
「大和くん、こっわぁい」
「優奈も大和を煽るのやめてあげて。大和は俺が心配なんだよ。優奈があんなことをしてたから」
この世界は異常だ。
首元にあるバーコードに誰も疑問視せず、今もどこかで増え続けている。やがて全世界の人間の首にこれが出現するだろうが、それは榊優奈が何者かに殺されない限りはなにも起こらない。
――榊優奈が殺されない限り。
逆に考えれば、榊優奈が殺されなければ、なにも起こらずこれはただの刻印に過ぎない。
「もうあんなこと二度としないでね? そんなことしなくても俺はちゃんと優奈の彼氏になるから」
「……誠也くんがそういうなら……」
榊優奈は俺の顔に弱い。そのカードがあるなら話は容易い。榊優奈のそばで彼女が殺されないように見守っていれば、この世界は消滅しない。
あの神の手には堕ちないのだ。
「大和。ポカリスエット、握り潰すのやめて。テーブルがびしょびしょになっちゃう」
「あぁぁぁぁぁぁぁっもう! こんなことになるなら!! 俺が誠也のそばでちゃんと見守っていれば!! 俺は、俺は、俺はぁ! こんな気持ちにならなかったんだ!!」
「お、落ち着いて、大和! 声が大きいってやめて! 本当に、本当に落ち着いてってば!」
「俺の力不足! 俺の……っ、」
「落ち着いて! 本当に! 大和ってば。聞いてる!?」
若干、大和の情緒が破壊された気がするのだが、おおむね平和に日々は過ぎている。榊は恍惚そうに狂乱する大和と慌てふためく誠也を見つめていた。
これは世界が消滅しないためには必要なことなのだ、と自分に言い聞かせ。この大切なものを守るためには、自分がこうするしかなかったのだ。
「大和にもちゃんと伝えたでしょ?」
と、何度も何度も言い聞かせたのに。大和はそれでもなお発狂してしまう。本当に心配性なんだな。それは確かに嬉しいけど。この行動も君を守る手段なんだよ。
別に自分が犠牲になったわけじゃないよ。
別に自分が犠牲になったわけじゃないよ。
別に自分が――。
「そういえば優奈。今日は伯父さんのところに行くから。帰るの、遅くなる」
「伯父さん?」
「休暇をとっているらしいんだ」
気がつけば八月も半ば。お盆である。
父に会う予定はないが、生活費やその他諸々を出資してくれている伯父にはお盆と正月に顔を見せる決まり。もらったメッセージはいつも通り無骨でなにを考えているのか分からない。
二人と別れて大学を後にする。サークルをやっていない俺は、次に来るのは一ヶ月半後になる。サークルに入っていないと文化祭も、蚊帳の外のイベントになり大和の舞台を見るくらいしか楽しみがない。次に来る頃にはすっかり秋になっているだろう。
「お坊ちゃん」
伯父は迎えを寄越すと言っていた。学内を出てすぐの通りに黒ずくめのセダンが控えていた。
「ありがと。できれば、もう少し目立たないようにして欲しいけど」
大学の目の前に高級車の迎え。自分の素性がバレたくない息子の気持ちを踏み躙り、執事は恭しくドアを開けた。
「別に乗らないとは言ってない」
誠也は急いで車に乗り伯父が待つ邸宅に向かう。しばらくして高級住宅街の一角に車は止まり、ドアが開かれる。奥で待っている主人の元へ誠也は歩みを進める。
「伯父上」
「……誠也か。元気だったか?」
「おかげさまで。ひと月前に二十歳になりました。僕も、もう大人になったんですよ」
適当な世間話をする、いつも通りの面会だった。こんなものは電話で済ませれば良い。けれど、たまにはこうして顔を出すのも、戦略のうち。
「今度、パーティがあってね。誠也も出席しなさい。そろそろお前にも紹介すべきだ」
伯父は自分を駒のように扱う。にこやかな笑顔で自分が上手く立ち回れるようにするための、道具として扱うのだ。
「気に入られれば次の商談で役に立つ」
その潔いところは尊敬している。人の上に立つものとして他人を踏みつけることに躊躇いがない。
「そういえば、大学生活はどうだ?」
あまりにも脈絡がない質問だったので面食らってしまう。が、――本来、家族ならこういった会話をするのが普通だろう。
「彼女が、できました」
「ほぉ。同じ学校の学生ならさぞ優秀な娘さんなのだろう。名前はなんと?」
伯父は、年頃の家族に彼女ができたと聞いて、その人物が付き合うに足る身分なのかを確認してくるような人だ。
「榊優奈っていいます。僕の学部の特待生で、……」
伯父は彼女についてあらかじめ知っていたのかもしれない。意地悪な人だな、と思う。分かっていてその質問をしたのか。そうでなければこうやってその鋭い目を向けては来ないだろう。
「彼女と付き合うのだけは、やめなさい」
昔から伯父の言葉は絶対だった。身に染みた習慣。逆らうことは許されない。どんなに自分が決めたことであったとしても反対されればすることはできなかった。自分のことは自分で決めなければならない、自分はもう大人なんだ、これぐらい自分で決めなればならないと決めていたはずなのに。身構えて躊躇ってしまう。
「なぜですか」
「誠也、君が一番分かっているはず、だろう?」
言い淀んでしまう。榊と付き合うと大和に伝えた時、大和は大反対していた。大和は榊の本性をよく知っている。自分も理解している。
やはり、この手段は間違えているのだろうか。
榊と付き合ってはいけない。
「――友人にも反対されました。僕のことを好いてくれるとはいえ、その手段を選ばすに僕に酷いことをした、それは確かなのですから」
一ヶ月、榊に対して良い印象を持っていたわけではない。大和が『またお前は自分を犠牲にしているのか』と、心配というよりは狂乱にも似たすがり方で止めていたのを振り払ってここにいる。
彼女に対して良い印象を持ったことはなかった。
監禁し、脅し、殺されかけた。洗脳して無理やり心を繋ぎ止めようとした彼女と付き合う理由なんかない。
「榊優菜と付き合うことは、やめたほうがいいんでしょう。俺と付き合いたいからと言っても限度がある。誰に聞いても止めるでしょう」
自分を犠牲にして付き合ったわけではない。彼女を見張っていなければ世界が消滅するから、ではなくて。
「母が死んだ時、俺は誰にも頼れなくなったんです。姉は家を出て行きました。この家が嫌になったんでしょうね。貴方が知るように父は俺のことを嫌っています。そして伯父上。貴方も俺のことを血を継ぐ器としか思っていないでしょう」
この一ヶ月で変わったものはあまりないのかもしれない。けれど、きっと今までならこんなことは怖くて言えなかった。
「彼女は手段を選ばないところがあるし、……まぁうん、というか本当にちょっと良くないところがあるから……」
伯父は黙ってこちらの様子を伺っている。沈黙が気まずい。叔父がなにを思ってこの話を聞いているのか。
「それでも付き合うと決めた理由はなんだ?」
「自分の弱いところをそれでも良いと言ってくれた、それが彼女だと思うからです」
最後に甘えたのはいつだっただろうか。自分の弱いところを全て曝け出してそれでも良いと受け止めてくれた。それは、大和にはできないし、やはり彼女でしかないのかもしれない。どんなに酷いことをされたとしてもそれを全て包み込んで隠してしまえるくらい、自分は誰かにこうして甘えてみたかったのだ。
それはまさに甘やかな支配だった。榊は脅しもしたけれど、自分の心を掴んで離さないのは、あの日の出来事。
我ながら下心が過ぎる気がする。
「誠也、――本当に彼女のことが好きなんだな」
伯父が笑うのを久しぶりに見る。昔からカラカラと笑う人で、テストで良い点を取った時に褒めてくれた時もこんな顔をしていた。そういえばこの人は、こうして褒めてくれる時はこうして笑ってくれたっけ。
「……え? あぁ、はい」
「明確な理由なんて本当はないだろう。なのに理由を見つけて提示して私を納得させなければ……と思っている。そんなこと、しなくてもいいのに」
あぁそうか。
――彼女と付き合うのだけは、やめなさい。
それは自分を否定する言葉ではなくて、心配していた言葉だったのか。
「やはり、伯父は彼女のことを知っているんですか」
どういった理由なのかは分からないが、伯父は榊優菜がどう言った人物なのかを知っているようだ。自分にどんなことをしたのかも。
「それでも付き合うんだな?」
「はい。――死なせたくない人ですから」
榊がどんな理由であれど、あんなことをした理由は許せない。でも死んで欲しいのかと聞かれると違うんじゃないだろうか。赤の他人とはいえない。けれど、彼女について知らないことが多すぎる。
それに、――彼女も自分と同じ。
「考えたのですが、人に好意を伝える時に、やり方を知らない人は自分が知っている方法で、相手が好きだということを伝えるんだそうです」
愛が分からないものは、愛が分からないなりにそれを伝えようと試みる。
「大和は俺を守るために、騎士として前に立つことを選んだ。それは大和が親からそうされてきたから。でも、榊はそうじゃなくて誰かを匿って閉じ込めることで守った」
そのやり方は相反しているが、やりたかったことは同じなのだ。どちらも自分を守るために。
その方法が違うだけ。
「そうした理由を、まだ榊の口から聞いていない。支配することでしか愛せない彼女を、今度は俺が違った方法で――」
彼女がどうしてあの方法でしかなかったのか。それを考えて導き出した答え。
「彼女に返したいと、思ったからです」
あれも彼女の愛だったのだ。
不器用で歪で、綺麗に伝えられなかっただけの。
「それは彼女を知ってからでも遅くはないでしょう」
「お前は、やっぱり雅也と美夜の息子だなぁ」
「え」
「もっとも。美夜を匿いたかったのは雅也の方か。大切にして結局失ってしまうのだから、それなら言葉で伝えればよかったものを」
雅也というのは父の名で、美夜は母親のことだ。
「私に子どもはできなかった。妻はいたんだけどね、私が忙しくて出て行ってしまった。だから雅也と美夜の子どもである君たちが、私の大切な子どもだった」
家族の中で唯一、褒めてくれるのが伯父だった。いいや、その印象が強いだけで他に褒めてくれるひとが一人だけだったわけではないけど。
「雅也は、私のことが嫌いになったのかもしれない。誠也も巻き込んでしまったことは申し訳ないね。私は昔からこういった性分なんだ。でもね、雅也は君のことを粗末にしているわけではないんだよ。伝え方が昔から不器用で上手くないだけなんだ」
――本当だよ? と伯父は笑う。
もしかしてすべて自分の勘違いだったのかもしれない。伯父は自分を駒のように扱って、こんなふうに人間の扱いをしていないと。
いつも無骨で素っ気ないから、自分のことをそんなふうに思っているとは思わなかった。
「誠也。君が選んだ彼女なら大切にしなさい」
支配されている、そんなことは自分が抱いた幻想であり、虚空だったのかもしれない。
――もしかしたら初めからそんなことは……。
「私は、ずっと君の味方だから」
誠也は伯父の顔から目が離せなかった。
それはテストの点が良かったことを褒めてくれる何十倍も、くしゃりとしわくちゃになったような、とても嬉しそうな顔だったのだから。
Fin.
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