2024/7/2竅会ク弱??莠悟コヲ縺ィ蜃コ繧峨l縺ャ邂ア蠎ュ
そこは暗い闇の底。
自分が立っているのか、寝ているのかも分からない。スマートフォンはない。近くに放り投げられていた鞄にはあのナイフと、厚い皮の装丁がなされた手帳。万年筆。そして、マッチと松明のようなものが入っていた。
よく見ると自分が着ている服も変わっていた。
それは、世界史の教科書に出てくるような衣服で、煙突の掃除をする少年が着るようなもの。そういえば大学の講義で、ブリューゲルの『子供の遊戯』について考察したことがあった。あの絵画は令和の今では考えられないようなグロテスクな遊戯が紹介されているものだが、子どもというのは大人が意図しないような遊びを平然とやって退ける。それは今も昔も変わらない。
衣服は少しダボついているが、鞄に入っていた紐のようなものを使って余ったところを縛ると、多少はマシになった。
動いて捜索しなければと思ったので、とりあえず微かに見える灯のようなものを目掛けて歩き出した。坂道になっている場所、チロチロと川が流れているような場所。
灯のようなものは歩いても歩いてもたどり着けず、深海でチョウチンアンコウの光に呼び寄せられる小魚のような気分になった。
あれは幻なのかもしれない。
あれは本当に希望だろうか?
葡萄を手に入れられなかった狐のように、難癖をつけて忌々しく吐き捨てようとした時。
その灯は不意に動いてこちらに向かってくる。
その速度は恐ろしいほど速い。
「……なぜ自分を殺した」
ソレは質問を投げかける。二つの両眼が光っていること以外、そのものの姿は闇に溶けて全く見えない。
「お前に会える手段が、これだと思ったから」
夢。
「幻夢境に、――入る手段がこれしか思いつかなかった」
あれ。と、誠也は自分から出た言葉を思い返す。
幻夢境。自分は確かにそう言った。
「ここはなんなんだ」
夢の中、なにもない。権力を持つものが全てを手に入れることができる異空間。
自分たちはこの中でデスゲームを行った。
夢の中で死んでも現実で死ぬわけじゃない。夢と現実を何度も行き来して、次第にその境が分からなくなった。今いる世界が現実で、夢だと思っていた世界が現実だった。
胡蝶の夢。
誠也にはどちらが本物でどちらが夢か。
もう分からなくなっていた。
「元の世界に戻る気はあるか?」
「――ある」
「お前たちは堺を行き来しすぎた。混ざった世界を元に戻すことは困難。どちらかを諦め、片方の世界で生きた方が容易だろう」
「聞くけど」
どちらが夢か、もう判断がつかない。
「……どっちが、本物だった?」
ソレは一刻の時間を置く。
「数日後には日本人の半数にバーコードが刻印される。だから榊優奈は殺さなければならない。榊優奈を殺すしかなかった」
やはり、あの時に自分にナイフを渡し、榊優奈を殺すように仕向けたのはこの男だった。
「榊優奈を殺せば、あの世界は消滅する」
「え?」
「お前の質問に答えるなら、首にバーコードが出現する、その世界が本物だ。偽物だと思いたかったか? ――あれが現実」
「ちょっと待ってよ、じゃあ。俺が榊を殺したら世界が消える、殺さなければ無限に増殖する。元に戻れる選択肢がないじゃないか!」
――ない。
壊れた世界は元には戻らない。
「なんで、デスゲームを俺らにさせたんだよ!」
それは目が覚めれば消えゆく泡沫の夢。
「そもそも、夢の中の出来事が現実に影響を及ぼすなんてことはあり得ない。しかし、厄介なことをしてくれたな。――あれはウイルスのようなもの。お前も気がついていると思うが、あのバーコードは私が定めたルールではない」
目の前の男が榊優奈が言う、神だというのなら。この男がデスゲームを俺らにさせたのは事実のようだ。
「お前は別にバーコードを参加者に添付していないだろう。あれは彼女が作ったルールだ。全てはお前を手に入れる、ためだけの」
ただそれをするためには自分が絶対的な支配者であることを示す必要があった。誰にも逆らえないという事実を誠也に埋め込む。そのために必要だったものは、自分が支配できる人間の数だった。
「恋は盲目だ」
別にそんなことをしなくとも藤ヶ谷誠也を手に入れることは可能だったろう。その数字は彼を脅す要素となり得るけれど、そんなことをしなくても他の方法でどうにでもなったのだから。
その犠牲はあまりにも大きい。
「榊優奈を殺さず、アレを無視して生きることは可能だろう」
他人をあっさり見捨てられる君ならば。
「君の人生には関わることのないものたちだ」
榊優奈に関わらなければ、その刻印の意味を一生知ることもないものたちだ。君のせいじゃない、君がなにをしたわけではないのだから。
「私は榊優奈を殺すことを提案する。夢が現実に影響し続けるのは、――あまりよろしくない」
あの夢のように真っ黒い粘液に襲われて死ぬ。
あれが世界の消滅……?
「お前はそれを望んでいるんじゃないのか」
男がびくりと動いた気がした。もっとも、男の姿は真っ黒で、真っ暗闇の世界に溶けゆくインクのように境界すらも分からないのだが。
「榊優奈を殺した。俺は真っ黒いドロドロしたものに飲み込まれて死んでいった。そこからどうやって生き逃れたのか……いや、時間を巻き戻ってリスタートしたのかは分からないけど。榊優奈を殺したところで良い結果になるとは思えない」
「驚いたな、――」
「あれが世界の消滅、とは思えない」
違う。あれは。
「お前が夢の世界を抜け、現実の世界をも支配できるための鍵なのではないか」
そのために榊優奈を誘惑し。
俺に殺させようと仕向けたのではないか?
「それを確かめてどうする」
男の見下したような顔が見えた気がした。顔すら見えず、それは影でしかないというのに。
「ここから出て生き延びる。自分がここに出るためにどうすれば良いのか。自分が死なないようにすることは当たり前のことだろう」
「それは本心か?」
大和や榊に問われていたなら、『本心だ』と言い切れていただろう。それは相手を心配させないためでもあるが、自分の本心を隠すため。言い切ってしまえば、それを本心のように振る舞える。
けれどここは、――夢の中。
「それを言われると、自信がなくなるけど」
放り投げられた鞄の中身を全て拾い上げて持ってきた。自分の首を刺したナイフには自分の血はついていない。この男はこの地を統べる神なのだろう。神に嘘は、意味を為さない。
「現実の世界がどんなに苦しいのか、俺は理解している。姉が家を出た時、見捨てられたと思った。何もかも責任を全て投げ捨てて逃げた姉を羨ましくて恨んだ。先に生まれていれば逃げ果せたものだ。なのに、俺はここから逃げる勇気がなくて、伯父の要件をのむしかなかった」
逃げ出したい箱庭。
「一層のこと、死ぬことができたのなら、こんな思いなんてする必要はなくて、もっと違う道を選べていたはずなんだ。自分の好きなように生きて、自分が好きな人と結婚して、なんでも自由に決められた」
いつでもいい、逃げ出せる。逃げおおせる。
「それでも俺は、まだ、死にたくはない」
自分がどうしてこんなにも死にたくないと思うのか。ただ単に、痛い思いをしたくないからとか、家族を悲しませたいとかではないと思う。いつでも現実は厳しくてこんな世界を捨てて別の生き方をしたいと思ったことは何度もある。自殺する方法を考えて、明日にでも死のうと考え、自殺志願者が無意識に誰かに止めてもらいたいと願うように。
自分はどうして死にたくはないんだろう。
その答え。
「だっていま死んだら、今まで努力してきたことが全て意味がなくなってしまう」
復讐だと強がってみても。
これが自分が選んだ道なのだと自分に言い聞かせても。
「俺は、――過去の自分のために、死ぬわけにはいかないんだ」
大和がずっと羨ましかった。ピアノ教室の帰り道、近くの公園で演技の練習をしている大和を見かけた。母親が病で死んだ後、ピアノを習う必要がなくなった。これは元気がない彼女を励ますためのもので、自分が上手くなりたいからやっていたものではないから。俺が高校まで打算で続けていたのは、亡くなった母親を諦め切れなかったからなのかもしれない。母が死んだことは夢で本当は生きてどこかにいるのかもしれない。
そんなことはありえないのに。
「俺が死んだら、可哀想な自分は無駄な努力をしてきたことになる」
自分がしていることは誰かがそれをするようにと差し向けたもので、なにひとつ自分の選択じゃない。大和のように自分がそうしたいからこれを選ぶと言うものがない。その当たり前が羨ましかった。
大和のように自由が欲しかった。
我慢し続けた自分がいつか報われなきゃ、過去の自分は浮かばれない。それは報われないものなのかもしれないけれど、それでもそれを初めから無かったことにはしたくないのだ。
それがたとえ夢の中だとしても。
「だからここから出て、生きなきゃ」
誰かがそう差し向けて、自分がこうするべきだと命じたものなのかもしれないけど。
「これは紛れもない俺の選択だ」
「辛い現実が待っていようともそれを選択するか」
男はしばらく考え込んでいた。男がなにを思っていたのか誠也には分かるまい。男は誠也に説明するように、こう言葉を続けた。
「榊優奈に
男は姿を表す。その姿を闇の中から表す。
背が高く、誠也は見上げるように男を見た。両の目が白銀に輝いていて肌が浅黒い。
「人間を操るのは難しい。お前に目をつけたのは、どんな他人からの命令でも従うような人間だと思ったからだ」
その読みは外れたな、と男はいう。その言い方は理知的な研究者のようで、憤ることもなく脅しをかけることもなく。淡々とこちらを観察して自分の企みをあっさりと諦める。
「別に誰にでも従うわけでは……」
「そうだろうか? ナイフを受け取った時のお前は本気で――殺すつもりだっただろう」
誠也は答えられずに口籠った。
「……いい、のか?」
無理矢理にでも従わせるだろう、と身構えていた誠也は、その男の様子に拍子抜けしてしまう。
――死にたくない、とハッキリと伝えた。だからその命令には答えられない。しかし、この神が自分を殺せばあっさりと自分は死ぬだろう。この領域の神。自分はこの神に魂を握られている状況なのだ。
「ここから出してくれ、お願いだ」
誠也は足が震えるのを堪える。恐れたら負けだ。
恐怖で足がすくんでしまえば、ここから逃げ出すことは不可能だろう。
「榊優奈を殺させ、お前の世界を手に入れることは諦めよう。――しかし、条件がある」
「条件?」
「お前に興味がある。手放したくない」
誠也は男の白銀の目を見つめる。え、思わずついたその声に男は笑ったような気がした。
「お前の世界を二つに分ける。片方は元に戻ってお前の記憶も消えた世界。お前がデスゲームをする以前の世界に戻そう。片方は榊優奈が死ぬことはないが、お前がいた世界をそのままの状態で進めた世界。お前に記憶はあるし、そのバーコードがなにかも理解しているが、お前に干渉できるものでもましてや戻すことも不可能だ。お前だけがこの世界が――異常であることを理解している」
男は指を折りながら誠也の前に提示する。
「私は、その両方を見比べてみたい。観察者としてお前というモルモットを鑑賞したいのだ」
あぁ、目の前にいるものは神なのだ。
人間の領域には到底届かず、想定すらできないような発想を持ち。理解及ばぬ思考から、弄び翻弄する神なる存在。拒否権はない。神が提示した勅命に背けるものは誰もいない。
誠也はそれを拒否すれば自分がどうなるのかを想像した。二分の一で地獄行き。生涯、その異常と向き合わなければならない。
自分だけが異常だと気がついている。
その恐怖に自分は耐えられるのか。
「分かった」
契約成立だな、と神は言う。
首元のバーコードがジリジリと熱くなって焼き切れるように消滅した。その瞬間、意識は暗転する。
真っ暗な世界は真っ白な世界に。
誠也は目が覚めたとき、長い長い夢を見た気がした。
しかしなにも思いだすことはできない。
――なんだっけ?
なんだか壮大で奇妙な夢だった、それだけは覚えているのに。まぁいいか。どうせたいしたことではなかったんだろう。
夢なんてそういうものだ。
時間は深夜ゼロ時。
『お誕生日おめでとー! 誠也!』
スマートフォンには一件のボイスメッセージ。毎年毎年性懲りもなく誕生日を祝ってくれる親友の声。今年はちまたで話題のダンスを踊ったもので、彼の部屋の背景と、彼の母親らしき声で「うるさいよ!」という音声が入っている。
「大和、お前ってやつは」
いつもこの時間にきっちりと送ってくれる大切な友人。なんだよこれ、と思いながらもその思いはありがたい。それがいつもよりも嬉しくて。
無意識に涙を流していた。
――安心した。
なんでだろ、嫌な夢だったんだろうか。違う違うんだ。忘れちゃダメだったんだ。全て戻る、それは確かに良いことだけど。すっかりと脳から消え去ってしまったもの。
それは忘れてはいけないはずのものだったんじゃないか?
全て消えるということは、かけてもらった大切な言葉さえも、自分のために駆け回ってくれた大切な人たちの行動も全て忘れるということで。その忘れてしまったことも、全て脳から抜け去ってその出来事が元から無かったことにされてしまうということなのだ。
「なんで……こっちが地獄じゃないと思ったんだろ……」
けれど、もう、誠也にはなにも思い出せない。
end roll 2
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