Week4 ルシファー・エフェクト
これが幸せでないならば、 ー2024/7/24 Wed 15:32
これで良かったのだ、と自分に言い聞かせる。自分はこれを望んでいる。なに不自由はしていないし、望めばなんでもしてくれる可愛い彼女との同棲生活。幸せがどの状態か、そう言われると首を傾げてしまうけれど。
少なくとも苦労はない。
「誠也。……となり、いいか?」
その問いには答えず、大和が座れるように自分の荷物を引き寄せる。誰もいない図書館の実習室。講義の合間。橋本大和は藤ヶ谷誠也の元に来た。
「お前、これで良いのかよ」
「なにが?」
「……本気か?」
大和は誠也の質問に質問を返す。大和にとってこの返答は意外なものだった。なぜならば、誠也は彼女に付き従うふりをしていても内心では榊優奈に逆らいたいと考えていると思っていたから。親友は今でもあの女の支配から逃れたい、そこから逃れる術を探していると思っていたから。
「誠也、……うそ、だろ」
「大和。ここは図書館だ、騒ぐなら俺はここから出る。……誰にも聞かれちゃならない」
誠也は首元を指差す。鎖骨の辺りにある黒い刻印。それは大和にもあり、思えばこの図書館にいる誰もがみな同じ刻印を持っている。
「俺らは支配下にある。ゆうなは、今やこの大学を治める女王だ。どこで監視をしているか分からない。大和、お前も余計なことを言うな。――殺されるぞ」
誠也は大和を言い包め、机に散乱していた本を片付ける。特に自分の前で榊優奈に逆らうようなことを言うのはやめた方がいい、と誠也は大和に忠告をする。
「――本当にいいのかよ」
「……良い」
「誠也、誠也の家のこと、俺は深く入ろうとしなかったし聞こうとも思わなかったけど」
大和は去ろうとする誠也の腕を掴む。
「四年間だけなんだろ、お前の自由って。それなあんなわけわかんねぇ女に取られて良いのかよ」
誠也は大和に自分の家の都合を話したことはなかった。けれどなんとなく彼は気づいていたのだろう。気づいていてなにも言わなかった。
「誠也って昔からそうだよな。周りからそう望まれるからそう振る舞う。完璧で、完全で。才能もやりたいこともあるのに周りがそれを望まなければ捨てる。お前の人生ってなんなの? お前だって人間だろ、誰かが都合よく遊ぶための人形じゃねぇだろうが」
「大和はずっとそう思っていたのか?」
「……そうだよ、お前って本当昔からっ!」
誠也は捕まれた大和の手を振り払う。パァンっと辺りに破裂音が響いた。大和は驚いて誠也の顔を見上げる。誠也の顔は見えない。長い髪の毛が顔にかかって影を落とす。
「大和は、恵まれてるから。それ以外の生き方を知らない。学校も進路もみんな親が決めた。きっとこの先の人生みんなそうだ。俺は誰かが引いたレールを歩くことしかできない。でもそれのなにが悪いって言うんだ。レールを歩いていれば他になにを不安がることもない、きっと俺は幸せだ。榊が望んだことを与え続ければ、彼女は俺を愛してくれるし、そばに置いてくれる」
三週目が終わってから、榊は毎晩慈しむように誠也を溺愛し続けた。溺愛――まさに水の底に沈んでいくように。
「俺、幸せなんだよ。これが幸せでなくてなんだっていうんだ? 毎晩毎晩、好きって言ってくれる。なにをしても甘やかしてくれる。俺のありのままを愛してくれる。……これが幸せでないのなら、なにが幸せだっていうんだ」
家に帰ればまずお帰りのキスから、奥の部屋に連行されてベッドに拘束される。それからはずっと朝を迎えるまで恋人同士のスキンシップと、ドロドロに溶けていくような寵愛をもらう。
誠也に以前のような恐怖はなかった。前まではここから逃れなければならないと思っていたから彼女の行動は異常だと、恐怖で支配されていた。が、これも彼女の愛であると受け入れてしまってからは、彼女がこの身を拘束して縛ることに快楽のような安心感を抱くようになっていたのだ。
愛してる愛してる。何度も繰り返し脳に刻み込まれた洗脳だと分かっていても、それを受け入れてしまった方が心地よく楽だった。愛してる愛してる。これは愛なのだから、君はなにも考えずにその身をゆだねればいいの。なにも考えなくて良いの。だから君は私に存分に甘えて。
――君はなにも考えなくて良いの。
「それに、榊がもし現実の世界で自分の支配下にある俺らを使ってデスゲームをし始めたら。犠牲者が出るだろ。最悪、死人が出るかも」
窓の外を歩く女子学生たちにも皆、鎖骨の部分に黒いバーコードのような刻印がある。榊優奈の支配下にある人間は思ったよりも多い。
「榊はなにか特別な方法でデスゲームの参加者を増やしてる」
――俺は良いんだよ大和。
「俺がゆうなについてあげれば、みんなを守ってやれる。俺の言うことなら聞いてくれるから」
俺一人が犠牲になれば、きっと榊優奈はそんな恐ろしいことを考えることはないだろう。
「だから大和はもう俺にかまっ」
誠也は驚いて口を閉ざす。振り払ったはずの大和の腕が、今度は自分の胸ぐらを掴んで持ち上げていた。
「誠也っ! 本当にいいのかよ!! お前は、本当にそれでいいのかよ!?」
大和は優しい。自分の身を案じてくれている。誠也は胸ぐらを掴まれながらなんとなくぼんやりと大和の顔を見た。本気の顔だ。本気で怒って、俺を心配してくれる。
「……良いんだ、俺が耐えれば良いだけ。それにさ、別に暴力を受けてるわけじゃないよ。ゆうなは俺に優しいし、別に監禁されてるだけであとは普通の彼女……」
誠也は次の瞬間目を見張った。大和が胸ぐらを掴んでいる反対の手が、自分の顔目がけておおきく振りかぶって止まったから。大和は反射的に行ってしまったそれを、必死で止め、誠也に当たる寸前で思い止まった。
「……俺はっ、嫌だ。お前が、なんでもない顔をしてそんな、自分を犠牲にするの。俺は見ているだけで、嫌だ……」
単語をただ吐くように呟き、大和は誠也をゆっくり下ろした。誠也は乱れた衣服を整える。
「もう、俺の前に顔を出すな。次に会ったら、俺はお前を殴る。だからもう二度と俺の前に姿を現すな」
「分かった」
大和はそのまま自分のリュックを持って実習室を出た。大和は優しい。俺のことを本当に心配してくれている。
榊優奈は異常である。そんなことは分かっている。彼女の愛が自分を骨の髄まで愛す寵愛だと気づいた時、それをずっと求めていた自分がいた。
きっとこれは自分がずっと渇望していたものだ。例え、それが自分の自由を奪い、思考さえも支配されるものだとしても。
――そう思っていなければ、自分が狂ってしまいそうだった。
「大和、ごめんな」
自分の思考に色々と言い訳をつけて誤魔化した。大丈夫、これは俺が望んだことだよ。大丈夫、だから俺は幸せで、これは彼女なりの愛なんだよ。彼女に従っていれば彼女が赤の他人に暴走することなどない。俺が耐えれば良いだけだ。
――だからこれは……。
「藤ヶ谷誠也様。ですよね」
急な声に誠也は驚く。誰もいない図書館の実習室。大和が出てしまってから数分。だから、当然周りにも誰もいなかったはずだ。
「え?」
「藤ヶ谷誠也様。お話があって参りました」
背後からの声に振り返るとそこには初老の男性が一人。スーツの上に白衣を着た、医者のような男が自分に声をかけていた。にっこりと笑うその顔は優しそうで戸惑った。
「なんですか?」
「単刀直入に言います。榊優奈を殺してください」
戸惑った理由は、名刺を渡しながら男がそんな物騒なことを言ったから。聞き間違いだったのでは? なにがどうなって。というかなぜ、周りには誰もいなかったはずなのに?
「――ころ、す?」
「榊優奈は殺し過ぎました。貴方には合法的に彼女を殺す権利を与えましょう」
誠也の戸惑う声に男は一切動じない。聞こえていないのかとも言いたくなる。が、男は真っ直ぐ誠也の目を見て話してくる。
嘘ではない、冗談でもない。
「貴方は、……一体……?」
「申し遅れました。私は、いわゆる、」
誰もいなかったはず。その男はなにもない空間から出現した……それがさも当たり前かのようにいつのまにかそこにいた。榊優奈は言っていた。このゲームを総括するものは、私たちの神様だと。
「貴方たちの神様というやつです」
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