榊優奈の夢 ー2024/7/21 Sun 23:00


 この学校は小金持ちの学生が多い。

 名門校であることもそうだろうが、子どもに湯水のようにお金を使うことができた親を持つ子どもが多いのだろう。そんな子どもが親元を離れ、親の苦労や期待を知らず毎晩を豪遊して四年間の青春を謳歌していく。入学式は人が多く、歩くのが困難だった校内は、五月を過ぎると閑散とし始め、いわゆる大学生として勉強に勤しむ学生は顔を見て覚えられるほどに少なくなった。


「で、この実験はー」

 綺麗な顔の男の子。

 それが、藤ヶ谷誠也に対するファーストインプレッションだった。友人関係はさほど広くはないが、附属上がりらしく知り合いは多い。まるで社交パーティを学内でするかのように、分け隔てなく当たり障りのない会話をして去っていく。悪い印象は誰にも受けさせず、それは生まれながらそういう道を歩むものという雰囲気があった。


 親が社長の御曹司。

 ――私はこういう人間が嫌いだ。

 私はみんなと同じ人間です、という顔をしながらその基準は普通のとかけ離れている。ブランドものには興味がなさそうなのに、持ち物全てがブランドものだったりとか。これはおそらくだけど、親のお下がりをもらったのか、それとも欲しいものがあるからと言って買い与えられたものがそれだったのか。はたまた、幼い時から当たり前のように周りにあったから、それがブランドものであると気づいていないのだろうか。


 いつも後ろの方の席に座っているが、それは親友である橋本大和に気づかれやすいようにしているから。橋本大和は遅れて講義室に潜り込む。バイトを深夜までやっているから起きるのが苦手なのだとか聞いたことがある。

 橋本大和がいない講義では前方に座っていることが多いので、元々は熱心に勉強に励む真面目なのだと思う。背筋をスッと伸ばしモニターをしっかりと見て、ノートに書き込んでいく。寝ているところは見たことがなかった。橋本大和はしょっちゅう寝ていたけど。


 ――綺麗な顔の男の子。

 きっと周りもそう思っていて、合コンに誘ったとか飲み会に誘ったとかは聞いたことがあったけど、いつも隣にいる橋本大和が断っている、らしい。まだ飲めないからとかなんとか言って、けれど一回だけ『多分違うなぁ』と思った。


「ごめん。行けない」

「えぇー。お願い! 人数合わないの。橋本くんも連れてきて良いから!」

「……ごめん、本当に苦手なんだ……」

「大丈夫。まだみんな未成年だし! ノンアルコールカクテルで良いって、先輩も言ってたよ?」

「ごめんなさい。俺。無理です」


 普段の藤ヶ谷誠也は明るく快活としていて、誰にも分け隔てなく平等に接する社交界の王子様のような男の子。

 きっとこの先の人生、会うことはないだろうなぁと私は思った。物心つく時に親は私をネグレストしていて、家に帰ってこなかった。


 母親は週に一回、一万円をテーブルに置く。その時にいつも違う男の人といて、いつも違う豪華なドレスを着ている。アパートがしっちゃかめっちゃかになってることなんてお構いなしに、何日もお風呂に入っていない汚い私を置いて出て行く。


『優奈、イイコにしててね』

 一万円。幼い時はなんとか食費だけで賄えた。中学、高校になるとそれだけでは足りない。スマートフォン代に取られてしまうし、カバンも文房具も必要だ。教科書代、テキスト代。

 受験の過去問も。


 イイコにしててね。母親が思うイイコというものは、きっと『周りに迷惑をかけない子どもでいてね』だ。周りに自分の置かれている状況を言うな、私が悪いと思われるようなことをするな、この部屋にずっといて、だ。

 でもさそれってお前の都合じゃん。


『榊優奈さん、貴方を保護しますが』

 高校の時、役所の職員さんが私のアパートに訪れた。部屋の惨状を見て私を見て、母親に連絡をしたみたいだったけど、母親はその日から私の前に姿を現さなくなった。きっと逃げたんだ。

 ――私なんか捨てて、逃げたんだ。


『学校だけは変えたくないです。成績、良いんです。あと少し頑張れば推薦がもらえるから』

 どうしても大学には行きたかった。私の家庭の事情を知らない教師がみな『榊は頭が良いから良い学校に行けるぞ』と言い、色々な学校を紹介してくれた。でも、半ば諦めていた。親がくれるのは週に一回の一万円のみ。施設に入ればゼロになった。エンコーも風俗も、お金になることをなんでもやったとしても入学費ですら賄えない。受かったとしても学費を自分で工面できない。

 そんな時に見つけたのだ。


『うちの学校から一人だけ出す予定なんだ、榊は成績も良いし推薦を出せると思う』

 推薦よりも私が気になったもの。

『あの、特待生制度って』

『あぁ、これか? 試験をやって一位を取ったら学費を免除するってやつだな。入学後も……なんだ、榊、気になるのか?』

『ちょっとお金厳しそうなんで』


 というか絶対出してくれないだろう。自分でなんとかしなければ。

『……話はつけてみるが、あまり期待はするなよ。この偏差値の学校の一位っていうと……』

 先生は渋い顔をして書類をしまった。国立の学校に行って学費をバイトで賄う、そう考えて大学を選んでいた。でもこれはもっといい手段だ。


『お願いします』

 私はそこで『特待生が受からなかったら国立に行こう』と決めた。この学校に推薦で受かったとして、学費が自分で払えるとは思えない。

 結果、特待生として合格し、学費が免除になったのは良かった。それがおそらく、どっかのボンボンの過払金で賄っているものなのだということには目を瞑ることにする。

 この学校は、一人の貧乏人が学費を払えないくらいでは困らないのだ。


「藤ヶ谷くん、大丈夫?」

 藤ヶ谷誠也がその時に見せた顔はなにかトラウマを抱えているような、嫌な記憶を思い出し顔が真っ青になって今にも倒れてしまいそうで。

 あぁ、なんとなく分かっちゃった。

 そして同時に思った。

 ――可愛いなぁ。


「あっ、ごめん。だからさ、俺は参加できない。ごめん、まじでごめん。本当にごめん!」

 ――ふぅん。

 彼の過去になにが起きたのかは分からない。けれどきっと、そのトラウマを受け付けた人物は彼のそういうところをいじらしく感じてしまったんだろう。世間知らずで純粋で、高貴なその場所から滑り落ちてしまいそうな危ういところ。

 私も思ってしまった。

 ――可愛い。可愛い。可愛い。


 それから彼に興味を持った。――私はこういう人間が嫌いだ。なんて思っていたのにね。初めに悪い印象をあえて与え、良い印象を後から与える。そんな心理テクニックがあったような気がしたけど、私はそれにまんまと嵌まったのだ。

 あーでも、この場合は違うのかな?

 私がそう思っただけなんだから。


 藤ヶ谷誠也についてもっと知りたい。

 けど、彼に直接話しかけたことはない。彼はいつも橋本大和と一緒にいて、それは王子に仕える騎士のように。

 手に届かない星のような男の子。

 けれど、そのプライドをズタズタに切り裂いてしまえばあっという間に地獄に堕ちてくれるような、天上と地上を綱渡しているような危うさ。


 きっと届かないのに、届いてしまいそうな希望を皆に与えてしまう。そういう罪作りなところ。

「誠也くん。君のそういうところが好きだよ」

 ――部屋に連れ込み眠ってしまった彼に呟く。

 藤ヶ谷誠也について追っかけをしていた時、スマートフォンにメールが届いた。

 それはデスゲームを開催する主催者に選ばれたという通知。なんの冗談なのか? メールと同時にダウンロードされていくアプリケーションには、開催の方法とルールについて記載されていた。開催すれば高額な報償が手に入る、とも。それは今までやったどのよりも高額。

 ――その時、思ったのだ。


 デスゲームを開催すれば参加者を自分の意のままに操れる。藤ヶ谷誠也を本当に手に入れるためには、私が彼を支配下に収めればいい。彼に枷をつけよう。私だけのモノにすればいいのだ。

 元はそれだけが理由だった。藤ヶ谷誠也が七人のうち六人を抹殺したのは想定外だったけど。

 それもなんだかゾクゾクしてヨカッタ。

 こうでもしないと手に入れられないのに、けれどこうするまでの手順は少ない。硬い鉄棒のような芯は、思ったより強くはない。一つ一つ丁寧に彼の心を折っていく。

 希望は与えず、絶望だけを味あわせ。


 ぶれぶれの精神性をいとも容易く捻じ曲げて、こうしてやっと心も身体も私のもの。

 愛してるよ、誠也くん。


「きっと、私は君のことが本当に好きなの」

 君を甘やかしてあげたい。お世話をしてあげたい。私がいないと生きていけないくらい、私のことを必要に思って?

 それが黒く澱んだ汚いものであっても、君が私を理解しなくても。それでも良いから。


「私ねぇ、」

 ――本当に好き。

「愛ってなにか分からないんだぁ。愛されたことがないから。だからこれが本当に君を愛せているのか分からないけど」


 ――ごめんね。こんな私で。

「誠也くんのこと、本気で愛してるんだ」


 ――だから、君が私をしてね。

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