エース ー2024/7/12 Fry 23:59
「藤ヶ谷くんだっけ? 次の教室ってどこ? ここ広くて分からなくてさ」
幼稚舎、初等部から通うものも多い附属校で、高校から入学するものは転校生のようなものである。
初めは珍しがり群がっても少し経てば興味をなくし素知らぬ顔。馴染んで仕舞えば自分達と同じ高校生。校内を自慢のように案内しても一瞬の娯楽にすぎない。段々と飽きていき、二週間を過ぎれば橋本大和の周りには誰もいなくなった。
彼はそんな状況に戸惑い俺に聞いてきたのだろう。周りは当たり前のように校内を把握していて新参者を差別するものもいる。
格差を明確に線引きされた箱庭のようなこの場所で大和は浮いているように見えた。
大和の明るく人懐こい性格でも。
「案内するよ。ついてきて」
彼は後ろの席だった俺を頼ってきた。わんこみたいな弾けるような笑顔をこちらに向けて。次は美術室に移動する。教室にはもうすでに誰もおらず、俺も急いで移動しなければならない。
俺にとっては幼い時から通った庭のようなものだ。
箱庭。――……鳥籠。
「藤ヶ谷って小学生からここに通ってるんだっけ。金持ちなんだな」
「別に……親が社長なだけで……」
「すご。いいなー、親が社長。ここさ、金持ちばっかじゃん。みんなエリートですがなにか? みたいな顔しちゃってさ」
やっぱりここの異常さに気がついているんだな。
「まぁ、うん」
「藤ヶ谷はそういうのないから。俺、楽だよ。俺よりもできすぎて、そういうところは違うわーって思うけど!」
大和は屈託のない笑顔をこちらに向ける。幼い時からここに通っているが俺もあまりここに馴染めていない。周りは親に求められたレールを進むご子息ばかり。例外なく俺もその一人であり、それはここにいる以上当たり前なのかもしれない。
窮屈で退屈で。――自由はない。
「そう、だね」
年が離れた姉は、十六の時に不登校になった。
それはちょうど俺が初等部でこの学校に入学した頃だった。両親はその予兆を知っていたのか知らなかったのか。俺をここに入れることに決め、その数ヶ月後に姉は引き篭もりになり学校に行かなくなった。
姉はおそらくプレッシャーに耐え切れなかったのだ。
「藤ヶ谷はさ、社長になるの?」
「そうだな。俺は……会社を継ぐことになるの、かな」
弟の俺に全責任を押し付けて家から消えた姉。どこにいるのか弟の俺でも分からない。家族との縁を切った姉。きっと知り合いが誰もいない場所で幸せに暮らしているのだろう。
恨んではいない。悲しんでもいない。
俺も姉と同じような立場だったのなら、彼女と同じように逃げ出してしまっただろうから。
「俺の義務だから」
後から生まれた俺は、もう逃げ出すことはできない。
「そっかぁ」
幼いときはそれほど感じてはいなかった。両親が期待しているのはこの家の継ぎ手としての自分。優秀な学校を出て自分の都合の良いように都合の良いレールを乗ってくれる操り人形。
それを微塵も感じさせず、自らその選択を選んでいるのだと半ば洗脳しながら着実に歩を進めさせる。
一歩一歩、確実に。自分が不出来な子どもなら叱って虐待のようなことをしたのだろう。それが最も簡単にできてしまうから両親はさも当然の如く推し進める。
「うん」
嫌なら逃げてるよ。
姉のように、――いつだって逃げられるはず。
「俺もそうしたいから」
そう思っていなければ、自由がないこの道を進む理由なんてない。
「誠也ってさ、」
大和が俺のことを『誠也』と初めて呼んだのはこの時だった。
「……ううん。俺が首を突っ込めることじゃないか。お前にはお前なりの大変なことがあるんだもんな」
「うん」
「でも、キツかったら俺に話せよ?」
それは俺に向けた言葉というよりは、自分の中で咀嚼して確かめるような言葉。大和がこの話を聞いてどこまで深く理解したのかは分からない。もしかしたら全く理解していなかったのかもしれない。それほど大和と俺は、置かれている立場が大きく異なっている。
「あれ……名前、呼び? 藤ヶ谷じゃなくて?」
「嫌? 藤ヶ谷ってあの、有名な製薬会社の、」
「いやいい。俺も、名前の方が楽、というか」
――誠也の方がいい。
「だろ? だから誠也で良いよな。俺も大和で」
きっと大和の中ではいろんな思考が駆け巡っていたんだろう。それらを全て飲み込んで今は踏み込むべきではないと解釈した。
「誠也。明日の数学の宿題教えてくんない? 俺ダメだわ、全然分かんない」
「え。この前、教えたばっかじゃん」
「そこをなんとか、誠也様!」
「大和、仕方ないな……一度だけだからな」
「有り難き誠也様!」
それは俺にとっては有り難く、いつか話せるその日までこの話題を出すことは二度となかった。
◆◆◆
勝ったのではない。
――勝たさせられた。
「どうしたの誠也。顔、怖いよ?」
大和は不思議そうに顔を覗き込む。そんなわけがないはずだ。大和には俺を裏切る理由がない。
考えすぎ、だよな。――うん。
「なんでもない」
「次のゲームするよ?」
三回戦目。今日、決着をつける。榊がこの点数差で逆転できるはずがない。前のゲームで勝ったことだって大和がイカサマをしたからだ。
大和が俺の味方である以上、榊にもう勝てる術なんて。
「榊さん、どうする? もう俺たちの方が圧倒的に有利だけど」
大和が榊に聞く。そう、もう榊がこのゲームをひっくり返す方法なんてない。ない、はずだ。ないはずなのに。
「やるよ? 三回戦をやる約束だもんね」
なのに、榊のあの余裕はなんだ。掛け金は全てこちらに移動した。
「カードを配って? 大和くん」
「はぁい。仰せの通りに」
大和が俺を嵌めるわけがない。いいやそもそも、俺はあいつを信じるほかないのだ。あいつがもし敵だとしたら、俺は勝てるわけがないのだから。
「ゲームスタート」
榊のカードはダイヤの三。そんなに強くはない。確率的に考えれば、自分のカードが榊のカードより強い可能性の方が高い。
「大和くん、私のカード強い?」
「強いよ。そのままのカードで十分勝てるよ」
大和は華麗に嘘をつく。
「大和、俺は?」
その時、確かに大和の動きが一瞬止まったように見えた。
「誠也は……交換した方がいいかな」
嘘、だ。分かりやすい嘘だった。
間違いない。大和はダイヤの三の榊のカードを強い、俺のカードを弱いと嘘をついた。つまり、俺のカードは榊よりも強い。
「榊さん。今回のゲームも掛け金の特別ルールを設けてもいい? 誠也はここで確実に勝つだろう。けれどそれじゃ面白くない、よね」
大和は『面白くない』をやけに強く強調する。
「どうだろう?」
「誠也くんはどう? 君が負けたら掛け金は全部私のもの……三回目だもの。ハラハラする展開がいいよね?」
大和の提案はリスクを伴う。俺は別に掛け金を倍にするメリットがないのだ。このまま逃げ果せて仕舞えばいい。俺はここで勝つだろう。このカードは榊のカードよりもずっと強い。その確信がある。
「良いよ。俺はここで必ず、勝つ」
「そう来なくっちゃ」
榊は楽しそうに笑いこう宣言した。
「このゲームの勝者はチップを全て手に入れる。でも負ければ全て没収」
「……は? それじゃ、今までのゲームは」
「なぁに? こんなのテレビのバラエティでもよくあるルールブレイカーでしょ。誠也くん、自信無いの? 自信ないならすんなり降りても良いんだよ?」
確かにバラエティでも『おい今までのゲームはどうなるんだよ!』という、最後のゲームだけ異様に賭け金が違うなんて展開はあり得る。
「それにぃ、お客様は楽しませなきゃ」
「……分かった。それで良い」
必ず俺の方が勝つ。大和の嘘を見抜いた今、それは確実だ。
「では、二人とも降りないで続けるんだな?」
あの余裕そうな榊の鼻を明かすことができる。俺に首輪をつけて飼い犬のように扱いやがって。可愛い顔をしているからと油断した、あの女は悪魔だ。毒牙にかかった俺はまさに遅効性の毒にやられる獲物。
じわりじわりと身体に回る毒を味わいながら、羽根を落とされ四肢を麻痺させていく。
「早くこのゲームを終わらせたい」
じっとりと絡みつくような視線から早く解放されたい。早く早く早く。
「では。このゲームで勝ったものが全てのチップを得る。――カードを空けて」
勝てる。はずだ。
「……スペードの、エース……」
「すごい、誠也の勝ちだね」
大和の声が明るく響く。ポーカーにおいてエースは最強のカード。エース以降の数字は、K、Q、 J、 十から降りて最弱は二となる。そのため、エースが来たら勝ち確といっていいだろう。
大和のその反応は嘘とは思えない。
「違う。インディアンポーカーは、」
しかし、その順序は一般的なポーカーのルールであり、インディアンポーカーは違う。
「エースが最弱のカードだ」
インディアンポーカーは真逆。エースが最弱となり数字が上がっていくごとに強くなる。二回戦目のゲームで俺が榊のダイヤのエースを見て自分の方が強いと確信できたのはそれが理由。自分のカードの方が強いと思うのは必然。
「え、そうなの?」
大和は素っ頓狂な声を出し頭を掻く。
「……うっわぁ。俺、インディアンポーカー詳しくないからヘマしたな」
確かに大和は『あんまりこのゲームに詳しくないからさ』と言っていた。そのそぶりに嘘っぽいところはない。
「それは嘘だよ大和」
人間は嘘をつく時に必ず素振りを見せる。だいたいは上手く嘘をつこうと明後日の方向を見たり、考え込んで言い淀んだり。それが普通の人間の心理というものだ。
嘘をついてはいけない、と思っているから、どうしても無意識にしてしまう素ぶりというものがある。大和が一瞬だけ言い淀んだ、それが嘘であると信じて疑わなかった。
あぁ、よく考えれば大和が俺に嘘をつく理由がなかった。
大和はこの場で一貫して榊に嘘をつき、俺には一切嘘を言わなかった。
「大和がインディアンポーカーに詳しくなかったとしたら、スートの強さを決める時にさんまと北斗なんて言わないはずだ」
「なるほど。確かにそうだ」
空気を吐くように嘘をつく。役者というものはつくづく厄介な代物だ。
嘘をつく演技まで、できるなんて。
「誠也って昔からそうだけど。自分の行動と思考に齟齬がある時、これは『自分がしたいことなんだ』って本当は納得してないのに無理矢理自分を納得させようとするだろ? 俺もそうしたいから。自分には逃げる術がないから。だからこれは自分が納得しているんだって」
――誠也ってさ、
「そういうのを認知的不協和という。講義でやった。自分の考えと行動に不協和が生じた時、人は不快に感じその歪みを修正しようとする」
親が望んだからと抵抗せずに受け入れた。嫌ならとっくに逃げている。だから親が引いたこの道を歩むことは俺が望んだことなんだ。
「それって本当にお前がやりたいことなの?」
「それは、違う」
でもそんなこと仕方ないじゃないか。
「誠也がどんな心理トリックに引っかかりやすいか。俺はよく分かってるよ。誠也ならきっと、この不協和を作れば貶められる。お前の心は案外脆い。二回勝った、しかも俺の助けで。お前は俺を不審に思っただろう。『大和は自分を嵌めるつもりだ。あいつは演技が上手いから』そう思わせておけば、親が嘘をついたふりをすればその逆の思考をするだろう。誠也のカードが低いと嘘をついたふりをすれば、お前は勝手に不協和を脳内で修正し、大和は嘘をついている。だからこのカードは強く、勝負をかけられるってね」
あぁ、俺は大和に嵌められたのか。
「お前は俺の弱点を知って……」
「お前は誰も信用してないから。この手に引っかかる」
――大和でさえも、俺は信じることができなかった。
「誠也くん、どうして負けたのか分かる?」
初めから俺に勝ち筋などない。俺が二勝し、最後のゲームでボロ負けをする。このゲームは法外な取引。賭け事である以上、勝った数ではなく途中で仕込まれた罠によって決まるのだ。
初めから決まったシナリオをなぞるように、俺は嵌められた。
「榊は俺の支配者。大和は俺のゲームの参加者」
俺が作った吸血鬼のゲームでは参加者にバーコードを打ち管理する必要がなかった。あのゲームは開催されたその中で生き死にを決めればいい。参加者がその後に何をしようと構わない。その場限りの人数合わせなのだから夢から醒めればデスゲームのことなんて忘れて日常に戻る。
デスゲームをしなければ死ぬなどと言ったような制約をする必要がなかった。
「俺は大和にバーコードを打ってない。俺は大和を支配してない。でも、榊は俺を支配している。よくよく考えればあり得ない話じゃないな。榊は俺の支配者。ならば俺の支配にある大和を支配することが可能」
会社の上下関係と同じだ。榊優菜が部長なら、藤ヶ谷誠也は課長。そして橋本大和は係長。部長の部下は課長で課長の部下は係長。つまり、部長の部下は係長も含まれる。
「ごめん、誠也」
大和は着ていたTシャツの襟を引っ張り鎖骨を露出させる。
そこにあるものは自分と同じバーコード。
「お前を裏切ることになって」
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