橋本大和の夢 ー2024/7/7 Sun 00:00
憧れはあったんだろう。
テレビでドラマを見たからなのか、それとも街で撮影現場を見たからなのか。
もう覚えてないけれど。
中学三年の秋、ふらっと立ち寄った高校の文化祭で、俺は演劇部に入ることに決めた。演技なんて幼稚園のお遊戯会くらいでしかしたことはなかったけれど、舞台の上で演じ合う彼らがキラキラして見えて、俺もその中に飛び込みたいと思ったのだ。あんなふうに演じてみたい。
今の学力では難しいと言われたけれど、俺は時間の全てを勉強に費やして、必死で合格を掴み取り入学した。
そして念願の演劇部に入部した。演技をするのはとても楽しかった。普段と違う声を出したり、自分では言わないようなことを喋ったり。自分ではない誰かになることができる。
それがたまらなく楽しくて放課後が待ち遠しかった。
「誠也って芸能人にならないの?」
そんな学校で友達になったのが藤ヶ谷誠也。
誠也は帰宅部で放課後はバイオリンかピアノだなんだかの習い事をしている。
ほぇ、凄いな。と俺は単純に感心して、誠也は『別に。親がやれっていうからだよ』と本を読みながら言っていた。ピアノってなんかお金持ちっぽい、と言うと誠也はめちゃくちゃ嫌そうな顔をしていた。
この学校は附属だからか、幼稚舎からここに通ってるようなお坊ちゃんお嬢様も多い。
誠也も同じように初等部からここに通っていて、元々名家だった祖父が会社を起業し、親が会社の重役なのだと言っていた。
確かに学費が少し……いやかなり高い。
俺は『この高校に入ったら大学もエスカレーターで行けるから!』と言い、親にだいぶ無理を言って入学した。大学生になったら学費を返すつもりだし、高校からバイトを始めるつもり。周りにいる彼らの話を聞いて庶民が通えるようなところではないな、と入学式の時に思った。
「は?」
「誠也ってさ、かなーり顔が綺麗じゃん。アイドルとか出来そう。俳優とかさ、……」
「え? 興味ないからやらないよ。ていうか、俺の顔そんなに見てたの?」
俳優志望の俺もそれなりに顔が整っているほうだと思う。
街でスカウトされたことがあるし、演劇部に入ったときも褒められた。イケメンなんだ俺って、と誇らしかった。
けれど、誠也には勝てない。
鼻筋の通った顔は、中性的でもありどことなく色気がある。それは周りの女子も気づいていてファンクラブがあると噂を聞く。男の俺でも分かる。サラサラの黒い髪。赤い瞳が真っ直ぐこちらを見ているとたじろいでしまう。むかつくけれど認めざるを得ない。
顔が良くて。その上、成績も良くて。おまけに家は金持ちだ。
本当にいるんだなぁ。こういう完璧な人間。
「いや、えっと。俺、俳優志望だから。だから誠也が演技したら映えそうだな……とか」
「はぁ? やらないよ。俺、そういうの向いてないし」
「そうかぁ。でも俺、ちょっと見てみたいよ」
――誠也はその時、確かにこう言っていて。それは嘘ではなかったんだと思う。けれど、文化祭の直前に部員の一人がケガをして誰かをピンチヒッターにしなければならなかった時、俺が誠也を連れてきて演ってもらった演技は完璧だった。
――あぁ、連れてきてよかった。
という思いと、――あれじゃ敵わないなという悔しさ。舞台の上の誠也は脚本の主人公、その生き写し。
好きなだけじゃダメなんだ。
毎日練習していたのに主役の座を取ることはできず、主役の子が怪我をしたと聞いた時に名乗りを上げることもできなかった。その役の練習はやっていた。きっとできる。でも誠也を連れてきて当てはめた。誠也は完璧に役をこなし目の前に才能の差を叩きつける。
「あれ? 演劇部、辞めたの?」
玄関で先に教室を出たはずの誠也が後ろから声をかけてきた。コツコツと革靴を履いて帰ろうとした。誠也は習い事をしているから放課後は真っ先に教室を出る。俺はゆっくりそれを追いかけるように出て、そのまま部室に向かう。だからこの時間、玄関にいることはない。
「……え? あぁ」
誠也は本を一冊持っていた。うちの高校のバーコードがついている。図書室に行って本を借りていたから遅れてここに来たのか。
「そうなんだ」
「むしろ誠也がやるべきだよ。凄かった。つい見惚れた……」
あれは才能だよ。
俺には敵わない。届かない。
「やらない。興味ないし」
「………………そっか」
誠也はあっさりと俺が手にできない物を捨てる。
「あの役。練習してたんじゃないの?」
一瞬。反応が遅れる。
どうしてそんなことを知っているんだ。知っているはずがない。練習は誰にも見られないようにこっそりとしていたんだから。
「してない、よ」
「してたじゃん。学校の近くに公園があるだろ。そこで毎日やってるのを見た。あの公園は俺のピアノ教室の近くだから」
見られていた、のか。
「してない」
「いや、してた。俺があの場で出来たのは、それを毎日見てたからだよ。お前だってあの代役はできたはず。なのになんで俺を」
毎日見ていたから、できた。
誠也は悪気があってそう言ったわけじゃない。見ていただけで、できた? よく言うよ。俺はそんなことはできない。
まじまじと才能の差を見せつけられているようで。
ますます惨めになるじゃないか。
「だからっ! できないって言ってるだろ!」
誠也の瞳が大きく開く。驚いた顔。この高校には演技をしたかったから入った。合格もやっとのことで掴んだもの。だから、あっという間に赤点ギリギリになり最下位から数えた方が良い成績。涼しい表情で上位にいる誠也を疎ましく思った。いや、周りにいる誰もがそうだった。
地頭が違うんだ。
きっと俺は、ここにいる誰にも勝てない。
「お前には分からないよ。なんでもできる完璧な、誠也にはっ!」
そう言った時、誠也は震えるような瞳をこちらに向け――ごめん、と謝った。
そんなつもりはなくて、と誠也は言う。そんなこと分かってる。
お前と俺の住む世界が違うだけだ。お前はなんでもできて、俺はそうじゃないだけ。お前に当たるなんて間違ってる。
俺ってほんとカッコ悪い。
「別に」
――信じてくれないかもしれないけど、と誠也は前置きをして。
「俺は。大和の演技、好きだったよ」
と言った。それは静かに呟くような声だった。
「俺は将来やりたいことなんてないし。親が望むままに進学して会社に入って、望まれるがままに与えられる物をこなすだけだから。だから、大和が一生懸命演技をやってるのが羨ましかったんだよ」
「え?」
「芸能人になれ、って言ったじゃん。興味がないって言ったけど。親が許してくれないから興味ないって言った」
あぁ、誠也ってやっぱり俺と違う世界を見てるんだな。俺は親にこれがやりたいと言ったら頑張るんなら良いよと許可してくれる。この高校に入ったのもそうだ。難しかったら止められるけれど、最後には俺の意思を尊重してもらえる。
誠也にはその選択肢が始めからない。
「興味を持ったらやりたくなる。絶対に怒られる。そんなことより勉強しなくちゃ。父ぅ……いや、父さんは俺のことが嫌いだけど、伯父さんが俺に良くしてくれてさ。それを裏切ることなんてできない」
俺はやりたくてもできない。だから羨ましいんだ、と誠也は言う。
「本当に止めるの? 演劇」
「……やめる。進級試験があるだろ。それ落ちたら本当にまずいから。勉強しないと」
「そっか」
誠也は空を見上げる。ちょうど野球部がボールを飛ばしていた。
「じゃ、俺もピアノやめる」
「え? なんで。めちゃくちゃ上手いのに」
「そりゃ小さい時からやってたら上手くなるよ。でも楽しくない。楽しくないものを続けてるの馬鹿馬鹿しくないか?」
誠也がピアノを弾いているところを聞いたことがある。去年、音楽の授業の時に誠也が合唱のために演奏を弾いていたのだ。流れるような旋律。寸分の狂もなく楽譜を完璧に弾く姿は女子生徒の心をときめかせ先生たちを唸らせていた。勿体無いな、と思った。
あれをやめてしまうのか。
「それにいい加減、――やめないと」
「そう、なんだ」
――あれ、楽しくなかったのか。
楽譜を完璧に弾く誠也は素人の俺が聞くかぎりでもピアノがとても上手い方だと思う。でも確かにそうか。『楽しくない』――その言葉を聞いた時なにかが腑に落ちた。誠也ってコピーは上手いけど、その先、表現やそれをして楽しいのかという感情が抜けている。
文化祭の時の演技もピアノも。なにかをコピーしたもの。
「その代わり、大和の勉強を見てやるよ」
「ふぇ?」
「だから赤点ギリギリはやめてくれよな。進級試験は文理を分ける試験でもあるんだから、ちゃんと進学クラスにならないと大学に行けなくなるぞ」
あぁそうか。やりたくないピアノをやめて、今やりたい俺の勉強を見てくれるのか。
「……あ、ありがと」
「今日もピアノあったけどサボるつもりだから。大和って良いサボり場とか知ってる? どこでもいいから時間を潰さないと」
「駅前のマック、とか?」
「いいな、マック。よし行こう。明日は英単のテストだし。俺も一緒にやる」
親に怒られるから、と言いつつ、あっさりとピアノをやめ今日はサボると言い出した誠也は、親に押し付けられた物を受け取って黙々とこなす普段の彼よりもどことなく素であるように感じた。
「あ、そうだ。大和ってバイトしてたよね? 時給が良いとこ知ってる?」
「え? なんで?」
「大学に入ったら一人暮らしをするつもりだから」
「長期休みに入る短期バイトとかかな。元旦の年賀状の振り分けとか」
「それいいな。家にいなくてもいいし」
◆◆◆
「ようこそお越しいただきました。それでは皆様には殺し合いをしていただきます」
真っ暗な視界に首を傾げると、モニターから聞き覚えのある声が聞こえた。なんで誠也が? それにここはどこだ。見間違いだろうか? いや、あの仮面の奥に見えるあの赤い瞳は誠也のもの。見間違うはずがない。
「うぉぉぉぉ! ゲームがなんじゃ、殺し合いだとぉ! 上等だ、拳で相手してやるわ!」
「ちょ。やめろよ、やめろって!」
ガヤガヤと騒ぐ大学生くらいの男女たち。誰も知らない。どういう意図で集められたんだろう?
いや、このメンバーどこかで見たことがある。
「え。菜絵……ちゃん?」
「うん! 菜絵だよ。どうしてえみりもここに?」
――間違いない。あの時、カフェラウンジにいた人たちだ。大勢の中から無作為にではあるけれど、カウンターに座っていた人、席の端っこに座っていた人、グループで固まって喋っていた人。
「……ねぇあの」
彼らのもとに行こうとした時、ポケットの中になにかが入っていることに気がついた。
それは一枚の紙切れ。例えるならばゲームの攻略チャートのようなもの。
『ごめん。この通りに行動すればお前だけは生き延びられるから』
――間違いない。誠也の字だ。
『大和へ。ここだけは絶対に見とけ。二日目が一番のターニングポイントであり、一番の正念場だ。ここで、柳瀬を処刑しても、保留になっても良いが、自分だけは殺されないようにしろ。なぜならば、柳瀬、出島、中村の三人、志麻、佐伯、秋葉の三人は同じ行動をしており、お互いにアリバイがあるが、……――絶対にここで疑われるな。けど、ここを乗り越えたらもう作業的に俺が殺しておく』
このゲームがなにかは分からない。モニターの奥の男は主催者で、ここにいる参加者はプレイヤー。プレイヤーは主催者が出したゲームを遂行し、このゲームに勝利するのが目的だ。
だが、主催者の思惑は違う。
これは確実に、七人のうち六人を抹殺するための最適解を示したチャートだ。
合理的でもあり非道でもある。ここにいるプレイヤーを全て騙し、主催者が創り出した舞台の上で、プレイヤーが踊るための。俺は人間を全て殺しこのゲームに勝利しようと暗躍する、たった一人の吸血鬼。主催者に選ばれた真の黒幕。
悪役をこの俺に演じろと。
『だから頼んだぞ。――やれるよな?』
やれるよな? という文を口に出して読む。
「……当たり前だろ」
あぁ、演れる。俺にピッタリの役だ。
「君が眷属なら吸血鬼がまたお前を操って殺人を犯すかもしれない。そうなる前に処刑することは不思議なことじゃないだろう?」
誠也の指示は『気が良さそうな青年が実は吸血鬼で、眷属を増やしながら人間が共倒れになるのを狙う』だった。どの順番でなにをするのか、全て事細かく記載されていた。脚本家はこう言っているのだ、この通りに行動すれば良い。
あとは全て、
ひっそりとなにも喋らずことを見守るのも手だろうが、そんなことはしたくない。
この物語の主人公は俺だ。俺のセリフが一番多くなきゃ嫌だ。
「もう詰んでるんだよ。出島さん、志麻さん。俺は君たちに命令をする。――秋葉勇大を殺してくれ」
あぁ、楽しい。
誰もがみんな俺を見ている。俺がこのストーリーの主人公。こんなに楽しいものがあるだろうか。あぁ、やっぱり演技が好きだ。誰かの意のままに赤の他人を演じ切る。そうだろう、誠也。
『これはお前にしか頼めないことだから』
ナイスキャスティングだよ、誠也。
俺を信用してくれてありがとう。
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