藤ヶ谷誠也の夢 ー2024/7/7 Sun 22:00

 あぁ、これは寝過ごした。

 藤ヶ谷誠也はぼんやりと天井を眺めていた。脳はすでに覚醒している。だが、布団から起きることはなく寝返りを打つ。

 仕方なかったのだ。身体はなんだか怠くて、けれどなにか達成感はあり……いや、これは達成感だろうか?


「違う、な」

 身体が動かず惰眠を貪るようにまた目を瞑った。

 ベッドから起き上がったのは夕方から始まるバイトのため。アパートから大学に向かう途中にバイト先であるコンビニがある。いつも通りの日常。なにも特別なことはない。クレームもない。変な客も来なかった。トンカツ弁当が割引になって、それが持ち帰りできることにガッツポーズをしたくらい。実家は頼れないからこういう小さなことでコツコツお金を節約していかないと。

 ぼうっとしながら業務をこなし、あっという間に深夜勤の人と交代する。

 あぁ、いつも通りの日常。

 ――デスゲームをやったことなんて嘘みたいだ。


「藤ヶ谷誠也くん」

 コンコンと踵を鳴らし裏口から外に出た。もう辺りは真っ暗だ。キラキラと都会のネオンが輝く、二十二時。

 脳は覚醒する前の微睡の中にある。目に突き刺さるような光が眩しくて舌打ちをする。車の騒音、人の騒ぐ声。都心の繁華街はこんな時間になってもうるさい。他の誰もが起きているのに自分だけは夢の中。

 夢、夢、夢。

 夢。

 彼女が立っていた。あぁ、これも夢か。


「ねぇ、君さ。心理学部の藤ヶ谷誠也くんだよね?」

 そこにいたのは榊優奈だった。ふふっと笑う目元にホクロがある。榊はふんわりとしたアッシュグレーの髪を揺らしながらこちらに近づいてくる。フェミニンなニットワンピースが華やかで可愛い。かすかに甘い匂いがした。


「どうしてここに?」

「君のこと待ってたんだ」

 憧れの榊が目の前にいる。なんだこれは。落ち着け。落ち着け。心臓が痛い。落ち着いてくれない。まるで全身が心臓になったみたいだ。

「誠也くん。君も」

 ぎゅっと手を握られ手元からトンカツ弁当が落ちた。


「私と同じ、デスゲームの主催者なんでしょ?」

「へ?」

 榊は首元のニットワンピースの襟をグイッと引っ張って鎖骨を露出させる。なんだかその行動が艶かしくてごクリと唾を飲み込んだ。

「君も首元にこれがあるでしょ」

 誠也は壁に押し付けられるようにそれを見た。榊の首筋には黒い筋が四角く残っている。

 バーコード。

 ――誠也の首筋にあるものと同じだった。


「君のゲーム見たよ。とても面白かった。凄い」

「え、あぁ」

「でもさ、君。なんでも殺したの?」

 一人だけ殺せばよかったはず、と榊は続けた。この台詞にはどこか怒気と哀愁があり、誠也はどうしてそう問われたのかを考えた。なにか怒らせるようなことをいっただろうか。いや、そんなことよりも。


「榊さんが、俺と同じ、主催者……?」

 ぼんやりとまだ頭が追いついていない。今日一日、そうだった。あのゲームを俺が閉じたこと。あれからどこか現実ではないような、自分が別の世界に行ってしまったかのようなそんな逃避行感がある。

 あれは夢だったのではないか。


「……君、今日ずっとそんな感じだったの?」

 榊の口元がニヤリ、と笑ったような気がした。

「あ、そう。これは夢だったのかも。あぁ、だから私がここにいることにも驚いてないんだ。……夢、かもしれないから」

 それは口の中でなにかを確かめるようで。榊がその後に言った独り言のような小声は、誠也には聞こえなかった。


「藤ヶ谷誠也くん。ここじゃなんだから着いてきて。二人だけでおしゃべりしよ?」

 ぎゅっと握られた手のひらが指を絡めて強く結びつく。

 あぁ、夢だなこれ。

 榊優奈が俺の手を握って歩いてる。何かを話しかけてきたけれど誠也の耳はなにも受け取ることはできなかった。すべて滑るようになにも聞こえない。大和が聞いたら羨ましがるだろうな、頭を打ったのかと思われそう。


「誠也くん。誠也くんってば、」

「え、なに」

「シャワー先に浴びてきちゃって? それとも、一緒に入る? やば。クレンジング忘れてきちゃったな。下のコンビニで買いに行かなきゃ……」


 シャワー。先に浴びてきて。――なぜ。

 気づくと見知らぬ部屋にいた。榊優奈はダブルベッドの片方に荷物を置き、片方を俺のために開けておいてくれている。どうして俺はここにいる。なんで。ぼんやりとしていて記憶がない。瞬間移動? いいやそんなわけ。

 どうしてどうして、ホテルなんかに。


「榊さん、なんでホテ、え。なんでホテルに?」

 立ち尽くしたままの誠也を置いて榊はTシャツとハーフパンツに着替えていた。ハーフパンツから見える、ふとももがすべすべで柔らかそうで今にも触りた……いや! そんなことじゃなくって! いつもよりガードの緩いTシャツの胸元からうっすらと真っ白なレースとフリルで飾られたブラジャーが見える……とか、そんなことじゃなくって!


「な、な、な、なんで、俺たちホテルにいるの!」

「え? おしゃべりしようって言ったじゃない。だから誰もいないところ。もうこんな時間だよ? ファミレスも閉まってる。いきなり誠也くんの家に押しかけるのもダメでしょ。それとも、私の家に来たかった?」

「め、め、め、滅相もございません! 違う、違うって、あのさ、こういうのはこういうところは付き合ってる男女が行くところでしょ! お、俺、帰るよ! ダメだよ、っ」


 沈黙が辛い。榊はなにを思ってここに俺を連れてきたんだ。まさか、いや、そんなわけない。そんなはずがない。仮にあったとしても今日はやめて欲しかった。

 誘われてる? いやいやそんなこと。

 あり得ない。


「……ダメ、だよ。俺、男だから……そんなつもりがなくっても、二人っきりは……」

 あぁ、俺みっともない。きっと顔が真っ赤になって、女の子にこんな狼狽えているところを見られるなんて男として不甲斐ない。穴があったら入りたい……。

「……誠也くん」


 鞄を持って帰ろう。帰る。帰る。帰ろう。


「帰らないで」

 腕を絡めとるように引っ張られ後ろに重心が移動する。尻餅をついたのは榊の柔らかな膝の上だった。腰に手を回されぎゅっと拘束される。背中に榊のゆったりとした胸を感じる。自分の息が荒くなっていく。

「私、別にいいよ?」

 心臓は痛いほどに鼓動をやめない。榊の香水と吐息が混ざっていく。自分との境界線がだんだんと分からなくなって。体温が一緒になって、震える自分の体を包むように。

 トドメを刺すように甘えた榊の声が耳を撫でる。


「ねぇ、今晩、――君の好きにしていいから」


 理性は飛ぶ。

 こんなことをされて抑えられるはずがなかった。


「さかき、さん」

 憧れの人。遠い星のように手が届かない人。

 どうしてホテルになんか連れ込んだのか分からないけれど。ねぇ、その気にさせて。そんなことをするなら覚悟はできているんだろう?

 あぁ、やっぱりこれは夢なんだ。

 自分でも笑わせる、なんて都合のいい夢を見るんだ俺は。あり得ないだろこんなの。やっぱあんなことをしたから頭が狂ったのかも。まさか、榊優奈から誘われるだなんて。これが夢ならば自分が好きなようにしても構わない。

 ねぇそうだろ、神様だって見逃してくれる。


「ゆうな、俺、いまから君を抱くから」

 眼下に彼女がいる。あんなに手が届かない星のような存在だと思っていたのに、押し倒して仕舞えば他の女と変わらない。少し怯えた目が加虐心を煽る。自分でもよく分からない笑いが込み上げてきた。


 今からを好きにしても良いんだ。


 それはあのデスゲーム中にずっと抱えていたものだった。人間を好きなように支配して操ることができる幸福感は、なんとも甘美で麻薬のようにドロドロと脳を溶かす。人の生死を自分の裁量で決められる。

 ――俺は、そういう人間なんだ。

 知ってしまったからには戻れない。


「好きだよ」

 とりあえずそう言っておけば彼女も安心するだろう。そうだよ、君のことが好きだった。でもさ、目の前に女体として存在する君は俺にとって欲をぶつける肉でしかない。

 男ってそういうものだ、俺だってそう。

 まぁそんなことはいいや。とりあえず抱こ。


「好き」

 自分がしたいがままに榊優奈の柔らかくてしっとりとした唇にキスを落とした。

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