【幕間 楽土に至る為の道】
六連、前に地獄って何? って訊いてきたよな。俺、あれから調べてみたんだ。だから、今日は特別授業で教えてやるよ。
あ? うるさい? 分かっとるわ。ふざけてねえと頭おかしくなりそうなんだよ、こっちは。返り血浴びて血だるまなんだぞ。発狂しそうだわ。察しろバーカ。……あっはい、お前もそうですよね。すみませんでした。だからその警棒ぶん回すの止めない? 当たると痛いって……。痛っ! 当たってる! 俺の鎖骨にクリーンヒットしてるから! 止めろ馬鹿!
……
…………
では、僭越ながら、地獄とは。
地獄とは、「那落迦、泥黎の訳。地下の牢獄の意」。仏語にて、「六道の一。この世で悪いことをした者が死後に行って苦しみを受けるという所。閻魔大王が生前の罪業を裁き、獄卒の鬼が刑罰を加えるという。八熱地獄・八寒地獄などがある。地獄道。奈落 」を指す。また、キリスト教では、「神の教えに背いた者、罪を犯して悔い改めない魂が陥って永遠の苦を受け、救われないという世界」。イスラム教では、「この世の終末に復活して受ける審判によって、不信仰者や不正を行った者が永劫の罰を受ける所。罪人であっても信仰者はやがて天国に入れられる。ジャハンナム」。宗教的な意味でないならば、「非常な苦しみをもたらす状態・境遇のたとえ」。自然現象を指すとすると、「火山の、絶えず噴煙が噴き出している所。また、温泉地で絶えず煙や湯気が立ち、熱湯の噴き出ている所」。他の意味は、「劇場の舞台の床下。奈落 」「下等の売春婦。私娼」。反対の言葉は、極楽、天国を表す。以上、「デジタル大辞泉」より! 因みに、類義語は奈落、煉獄など。
……はい、覚えてきました。丸暗記です。だからあんまり意味は分かってない。まあ、アレだな。つまり、なんかクソヤベエ場所に死んだあと行け! 死ね! ってことかな。取りあえずの罵倒ってわけね。お前が地獄に落ちろっての。なあ、六連? 使い方、これで合ってんのかな。
というか、お前のところの祖先信仰はそもそも、海上他界から来てるんだったら、地獄は馴染みないよなあ。うん? 根の国に通じる地下、海中の異界があるわけ? ニライカナイみたいなものか。でもそこは、死者の罪をあらためて償わせる場所でもなければ、この世の悪夢を煮詰めたような場所でもないんだろう? 神様のおわします場所だもんな。やっぱり、根本的に考え方が違うんだよ。
海上他界って言うと、やっぱり有名なのは柳田国男先生の『海上の道』だよな。
海の彼方にある他界、竜宮、ニライカナイ、根の国、蛭子、鼠の浄土、常世の国。これらは、お前たちの信仰に通じるものがある話がたくさんある。
蛭子、知らない? 後の恵比寿神、不具であったが為に親に捨てられ海に流された子ども。南の島々の神話の一つ、「オトヂキョの神話」が日本の蛭子伝説に通じるものがある。曰く、「その数ある所生の中に、生まれそこないのふさわぬ子があって、災いを人の世に及ぼす故に、小舟に載せて、これを大海に流す」。流された子どもはさっきも言った通り、変遷して立派な神になったり、流された世界で五体満足になって戻ってきたりする。
これは、まあ、俺の思いつきだけど、蛭子と水子って似てるよな。形を保てぬまま、流れてしまった命。海の彼方に消えた子どもに成る前の存在。でも蛭子も名を変えて、或いは姿を変えて戻ってくるならば、水子も帰ってくることは出来るかもしれないな……?
ああ、うん、何でもない。忘れてくれ、独り言だよ。
話を戻すけど、お前の祖先は、やっぱり、海の彼方より来たるカミだったんだよ。来訪神だな。福をもたらし、歓待を受けて、また海の彼方の世界に帰っていく神々。……俺も? ははは、俺は信仰してないから、無理。
ついでだから、根の国ほか、地下世界と海上他界について、覚えていることを話してやるよ。ありがたーく聞いてくれよな。興味ない? お前の信仰の解釈がより拡大されると思うけど? あー、はいはい。わかりましたー。じゃあ、話半分に聞いてくれ。
柳田国男先生曰く、「根の国という語は、日本に常世の国という類の文芸語が現われた結果として、次第に記録には使われなくなっていて、それを説明する資料は乏しく、従ってすぐれた近代の学者の中にも、びっくりするような解釈の相違があって。今もなお多分に研究の楽しみを残している」世界らしいよ。根の国の「根」、この字をあててしまったがために地下にあるという誤解を招き、結果死後の世界であるヨミノクニまたはヨミヂに「黄泉」の字を用いて地下の世界である認識が生まれたと説く。「根」には「その起こりはやはり地下に入って行くものにあったらしい」とあるが、あてられた「根」には別の意味があったらしい。当時の日本の葬送では土葬はまだ新しい方式であり、そもそも、物質永続信仰を持っていなかった日本人が「黄なる泉の流れるという土の底まで、入っていく場合など有り得なかった」。だから、根の国とは生きている人の行き来が可能であったもう一つの世界――死者の世界ではなかった。
お前の家の信仰の先に理想郷も、死者の世界を内包しながら、神がいる場所なんだろう? その神は、海から来るんだったらさ、もしかしたら、そういう考え方がずっと受け継がれてきたのかもしれないね。
根の国の考え方は、沖縄の海上他界ニライカナイにも通じるところがある。ニライカナイのニライの部分、彼方の言葉で「ニーラ」とは「土の底」を意味する。カナイの部分にも意味があるし、その意味をひもとくことでニライカナイの語源とその世界の理を知ることが出来るけれど、この辺りの話を延々とするには時間がないからざっくり進めるよ。つまり、ニライと根には繋がりがあるっていう説を立ててるんだ。ニライカナイも根の国も、地下世界の側面を持つ一方、遠く遥かな地にある世界でもあった。地続きなんだよ。
そして、ネズミ。ネズミも共通項だ。海からやって来るネズミの話は多い。ネズミは厄災でもあったが、福をもたらす神の使いとしても有名だな。大黒天なんかはそうだろう? そのネズミは、ニライカナイからやって来ると信じられていたらしい。また、ネズミの語源、これを「根の国に栖む者の義ならん」と説明したのは知ってるよな? 知らない? あっそう。でもそのまんまだよな。根住みでネズミ。俺、こういうの好き。皆が知ってるのだと、『こぶとりじいさん』が有名かな? おむすびころりん、ってやつ。あれはまさしく「鼠の浄土」。もっと遡れば、『古事記』の根堅洲国にて大穴牟遅神を助けたのはネズミだ。「大穴牟遅神の訪問された根の国は、十分に明るかった。境に黄泉比良坂という名のあるのが不審なくらい、自由に人の世から往き通う旅の神があり、また恋があり人情の葛藤があった。神が鳴鏑の矢を捜しに、大野の中に入って行かれると、火をもって焼き廻らされて、出る路がわからなくなった。鼠来て云ひけるは、内はほらほら外はすぶすぶ。乃ち其処を踏みしかば、落ちて隠れ入りたまふ間に、その火は焼け過ぎぬとある」。根の国の住人、黄泉比良坂のある世界に住まう生き物、地下他界または海上他界より来訪せし神の使いであり、厄災の申し子。また、さっき話したオトヂキョはネズミを産み出したり、自らネズミに返信することもあるという。海、地下、ネズミは密接に関係しているんだな。ネズミのいる世界はニライカナイで、根の国で、他界だ。
まあつまり、根の国には地下世界のイメージ、それを踏まえての死者の国のイメージがあるが、基はそんな概念なんてないし、ニライカナイも地下世界のイメージと海上楽土のイメージが並立している。根の国とニライカナイは語源からも、思想からも通じるものがあり、住人にも共通点がある。
更に、根の国はある一定の時期まで行き来が可能であり、ニライカナイからは来訪神がやって来て、帰っていくという考えがあった。俺が言いたいのは、お前の家の信仰も――いずれ至る理想郷も、行き来できる世界なんじゃないかな、っていうこと。は? 何でそんな話したのかって? 鈍いなあ。まあ、いつか思い出してほしいからだよ。思い出したら、少しは救われる可能性もあるだろう? 何に? さあね……。
そういえば、沖縄には山中他界信仰であるオボツカグラもあったな……。海上他界と山中他界が同時成立してる世界観、興味深いよなあ。あと、坂。黄泉比良坂が一番有名な異界との境界線だけど……。あ、いや、これは余談だな。
よくそこまで覚えてるな……って。職業柄だよ。あと普通に好きなんだよな、こういう話。面白くないか? ふうん、そっか……。お前、逆に何が好きで面白いんだ? ……おい、何で俺を真っ直ぐ指差してるんだよ。その指、逆に折り曲げてやろうか? いっだだだだだ、何でお前が俺の指を曲げてんだよ! 加減しろ、指取れるわ! 指取れたら金取るぞ、コラァ!
はあ、なんか余計に疲れた……。ん、俺? 俺はさっきも言ったけどさ、お前ん家の信仰は信じてないなあ……。いや、信じてる人に向かってそんなこと言うのが失礼なのは理解してるよ。俺もそれくらいの思慮分別はあります。ごめんな。でも、ほら、俺の家は……アレだろ? 母さんもおおっぴらには言えなかったし、その信仰のせいで何度も殴られてたからさ。俺はイマイチ、ピンときてないわけ。それに、祖先信仰なら、あいつのことも大切な神様? みたいな感じで扱わなきゃいけないんだろう? 絶対に嫌だね。虫酸が走る。え? あいつは家の人間じゃないからノーカン? ずいぶんざっくり判定なんだね……。何でも良いけどさあ……。
良いよ、俺は俺の理想郷を目指すからお前はお前が信じる理想郷に行けよ。ふふっ、お前は行けると良いな。何だっけ?
むかうのさと? というやつに。
……
…………
……………………
さあて、じゃ、この地獄みたいな状況をどうにかすることから始めるか。俺は血だらけ、お前は満身創痍。それに、何だか焦げ臭い。もしかして、燃やされてる? そういえば、最近、連続放火が起きてたもんなあ……。とうとう俺の家も標的かあ。怖いよな。お前の家も燃やされてたよな、そういえば。無事で良かったけどさ、気を付けろよ。火の用心、マッチ一本火事の元! は? 今この状況でべらべら喋ってる俺が一番怖い? それはそう。
じゃあ、始めに解体、行っときます?
はァい、ふざけません。六連くん、すみませんでしたァー……。怒らないでくださァーい……。
……
…………
……………………
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます