神崎スバルの永い一日

冴島ナツヤ

【序章 神崎スバルの永い一日】

「人の身で鬼の所業を行うことは、やはり道理に反しているだろうか」


 燃え盛る炎しか存在しない、たった二人だけの世界の内側で、少年がぽつりとそう言った。

 少年の向かい側に立っていた青年が、ことりと首を傾げる。その全身は鮮血のような炎に包まれて、人相すら分からない有り様だったが、何故か何事もないように平然としている。

「人を造った鬼の真似事をするから?」

 青年が答える。そうだ、と少年は頷く。

「人は人を造ることも、甦らせることも出来ない。それが理だ。歴史的にも、科学的にも、それは禁忌であり外法であり失敗ありきである筈なんだよ。それなのに、

 ふうん、と青年は興味の薄い反応を返す。実際、青年にとって人を甦らせることも、人を造り出すことも、然程関心のない事柄だった。一方、少年はそれを見て苦笑すると、また別の質問をした。

「では、西行法師が鬼から伝授された秘術が失敗した理由を、知っているか?」

 西行法師の秘術――死んだ人間の魂を呼び戻して甦らせる話を、青年は思い返す。たしか『撰集抄』に記載されている「西行於高野奥造人事」という話だった筈だ。

 高野にて修行を行っていた西行が、京にのぼった友を恋しく思うあまり、昔聞いた秘術を思い出して、出来心で反魂の術を執り行う話。

 鬼が白骨化した死骸の骨を集めて人を造り出したように、西行も同じ方法を用いて一人の人を造るが、それは何故か失敗してしまう。人の形をとりながら人の心を持たず、肌の色も人とは思えぬ色であり、そして声は下手くそな音楽のそれで何を言っているのか全くわからなかった。西行はその人もどきを高野の奥に棄てると、徳大寺殿に謁見し事を報告しようとするが、生憎徳大寺殿は不在だった。西行はその足で何度も人を造ったらしい伏見中納言師仲の元に向かい、人を造り失敗してしまったことを話す。すると師仲から、何故西行の秘術が失敗してしまったのか、説明をしてくれた。

「西行は死んだ人間の骨を集めて、頭の先から手足の先まで並べて、砒霜という薬を塗ったんだよね。それから、イチゴとハコベの葉を混ぜた汁と、フジのつる、糸で骨を繋ぎ合わせた。骨を何度も水で洗ってから、髪の毛にサイカシとムクゲの葉を焼いてくっつけた。そして、地面に敷いたござの上に繋ぎ合わせた骨を寝かせて、半月と十四日経ったあと、沈と香を焚きしめて、鬼の秘術――反魂の術を行った」

 よく知ってるじゃないか、と少年は肩をすくめる。一応、仕事柄そういうことも調べるんだよ、と青年は言った。

「で、失敗した理由は?」

「香を焚いたのがまずかったな。伏見中納言は『香は聖衆の来迎を願って焚くもの』だと言った。本当は沈と一緒に、乳を併せて焚くべきだった、って。あとは、断食だっけ? たしか期間は七日間。半端な知識で秘術を行うから、人もどきの何かが生まれた。失敗した。合ってるか?」

 炎の青年がそう言うと、少年は満足そうに「合っているよ」と肯定する。その間にも、家具は焼け落ち、家屋は崩れ、炎の海はどんどん勢いを増していくが、不思議と少年に燃え移ることはなかった。

 燃えているのは、少年以外の世界だけ。

「西行法師が失敗したのは、必然だと思う。呪術の基本だ。手順に則らなければ、全て失敗するし、何なら自分自身に返ってくることもある。伏見中納言は造った人が宮中で働いている話もしていたが、それが誰なのかは西行に伝えなかった。呪い返しだな。人を呪わば穴二つ。常に命懸けだよ、自分も相手も。――でも、このようにも考えられないか?」

 少年はわらう。それは他人を安心させたり、親しみを覚えさせる為のものではなく、威嚇、敵意を教える、おぞましくも獣の笑みだった。

「『人』が造ったから、失敗したのだと」

 炎 の青年は瞼が溶けてしまったが為に剥き出しになった眼球を少しの間宙へ向けたあと、ぐるりと少年へ戻すと、「つまり、こういうこと?」と前置きをしてから、訊ねた。

「鬼に伝わる呪術だから、人が行うには不都合だった。、と言うこと?」

 少年はうふふふふふふ、と奇妙な笑い声を上げた。青年はそれを耳にして、ふと、最近疎遠になってしまった幼馴染みの笑い声を思い出していた。

「そう。あれは人を造る、或いは甦らせる呪術じゃなくて、鬼が鬼を造る、または甦らせる外法だったんじゃないか、ってね。――だから、俺は成功したんだ」

 少年は項垂れた。炎の中にいても尚、燃えることのない生白い首が露になる。子どもと呼ぶには成長しているが、大人と呼ぶには完成されていないそれは、炎の世界から奇妙に浮き出ていた。

 ふと、青年は西行法師がその後どうしたのかを思い返した。たしか、天老という鬼が二人の賢者を造り出した――人を造り出した話を思い出した西行は、己はその鬼のように、自分自身を捨てることもできなければ、世間を捨てることもできないことを悟ったのではなかっただろうか。そして、何も捨てることができない心のままでは、人を造る鬼たる資格はなし――所詮、人の域を出ることは叶わない、と知ったのではなかろうか。 

 結果として、西行は人を造ることをぱったりと止めて、その外法も忘れてしまった。

 青年は依然として項垂れたままの少年を見つめた。

 少年は暫くの間、口を閉ざしていた。

 そして、いくばくか時間が経ったあと、一言、「人じゃなくなったから……」とだけ、呟いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る