何を思うか若者共よ

 生徒会室での一件を終え、駅までの道をゆっくりと歩く俺と高嶺たかねさん。

 もう腕に抱きつかれることはなければ、必要以上くっついてくることはない。

 夢のような時間は終わったのだと、つい半日前程度の出来事をまるで夢のように思い出しながら、無言のまま進み続けていた。


「……良かったのですか? あんな手温く済ませてしまって」

「ああ、うん。良いんだよ」


 ふと尋ねられた高嶺たかねさんの問いに、俺は一拍遅れながら答えを返す。

 結局、あの黒幕的な人の処遇は条件を一つだけ出してパイセンに任せることにした。

 正直それじゃ温いという高嶺たかねさんの意見には同意だが、彼へと尋ねていた気になっていたこと──何故俺を襲ったのかという動機を聞き、その判断で良いと思ったのだ。


『憎かった。嫌いだった。学生の本分である勉学を疎かにし、不快なだけの音を発しながら下品に騒ぐだけのゴミ共が。何一つ楽しくもない生活の隣で、けたたましく笑うだけなお前らみたいな蛆虫共が』


 項垂れながら力なく、されど心底心のこもった声色でそう語り出した黒幕の人。

 彼が言うには何と俺達は同中だったらしい。実際の真偽を深く確かめる気はないが、動機を語る言動とあの不愉快なあだ名を知ってるを出してきたのだから偽りはないだろう。


『その中でもとりわけ目立っていたのがお前だ。補習を受けるほど成績不良でありながら、元水泳部の淫売と共に非常識にはしゃぐ貴様は特に虫酸が走ったよ』


 久しぶりに聞いた姫宮の蔑称に少しだけぶち切れて掴みかかってしまったが、まあ言い分としては分からなくもない。

 中学時代の俺達は相当にはっちゃけていたというのは事実。チンピラほど直接人を害したことはないはずだが、それでも不良と罵られる程度には怒られることだってしていた。

 

 そしてあの人は、そんな俺達を唾棄すべき存在として嫌っていた優等生だったのだ。

 

『高校に入れば変わると思った。同じ偏差値であれば皆勤勉であると信じていた。……だが、そんなものはなかった。多少賢くとも所詮は未成年。例え勉学が出来ようと、上と下を作り好き勝手やるだけの蛆虫ばかりだった』

『それでも我慢していた。人の集まりである以上どうにもならないことだと、諦めることが出来ていたんだ。……お前がこの学校に入り、再び俺の前に現れるまでは』


 そうしてついに一方通行な因縁は完成し、俺は狙われる立場になっていたらしい。

 正直理由付けとしてわからなくもないのだが、それにしてもはた迷惑なことである。確かに俺がやったことが帰ってきたことなのだが、完全に俺が悪いわけでもないはずだ。


『それでも目を逸らすつもりではあった。所詮は忌まわしき過去なのだと、お前などに関わるつもりもなかった。だが、お前は必要以上に目立ちすぎた。あの“奔放な女王”と名高い三滝ヶ原みたきがはら先輩に気に入られ、高嶺たかねアリスと恋仲になったなどと。己が身の程を弁えずに』

『……ふっ、所詮は浅ましき嫉妬だ。お前みたいに何も持たないやつが、高嶺たかねアリスほどの女性と共にあれることに苛立っていただけなのだ。……それだけさ』


 あの人はそう吐き捨てたが、きっとそれだけではなかったのだろう。

 要は色々な積み重ねに耐えられなかったのだ。俺はその防波堤を崩してしまう、最後の一ピースでしかなかったはずなのだ。例え本人に否定されようと、俺はそう踏んでいる。


 裁定を委ねたのは同情ではない。可愛そうだとか仕方ないなんて、俺は微塵も思う気はない。

 けれどその姿を目にし、つい思ってしまったのだ。俺と彼にそう違いなどないのだろうと。

 

 あの人は俺だったのだ。姫宮ひめみやという無二の親友もおらず、閲覧魔法を手にし高嶺たかねアリスという目標を持てなかった、諦めるだけだった昔の俺と同じなのだ。

 一歩間違えば、何か一つでも掛け違えば俺もああなっていたはずだ。

 今の俺の立ち位置に他の人間がいれば、心にヘドロのような黒を抱えて爆発していたのかもしれない。そんな考えに辿り着いてしまっては、自信を正義と断罪することなど誰が出来ようか。


「ま、俺の気は済んだし後は先生次第かなー。正直普通に脅迫だし、脅されたのが俺だったら絶対に許さないだろうけどねー?」


 俺が提示した条件。それは先生にしっかりと謝罪し、彼の望む罰を与えることだ。

 あのゴリラ集団はどうでも良い。唆されたとはいえ私欲で俺を襲ったのは事実だし、何ならこの事件でそのまま退学なり留年するなり勝手にしてほしい。というか明日にでもいなくなってほしい。

 

 けれど鴨田かもた先生は違う。明らかに巻き込まれる形で被害を被ってしまっただけだ。

 俺でも分かるくらいに生徒のことを考えてくれている人だし、そんな真っ当な人がこんなくだらない一件で人生ごと潰されるのは流石に胸糞悪くてちょっと勘弁だからね。

 まあ不幸中の幸いと言える点は、あの写真以外に偽造の瞬間が記録された物はなさそうところだろうか。

 聞けばあの写真、何と十一月に撮ったらしい。つまり一月の期間があって目撃されていれば先に噂になっているはずで、それがないのだからそういうことなのだろう。

 

 ……ま、いずれにしても俺が関わるのはあそこまででいい。

 わざわざパイセンが後始末をしてくれるんだ。面倒いことは全部人任せ、それでいいじゃないか。


「……そうですか。まあ貴方がそれでいいのなら、私が口出ししても仕方ないですね」

「まあね。でもありがとう。わざわざ手間掛けて手伝ってくれてさ」


 協力してくれただけではなく、あんな人生で三指に入りそうな幸福時間を与えてくれたこと。

 その両方の意味を込めてお礼を言ったのだが、高嶺たかねさんは小さく頷くだけ。

 まあ俺にとっては事件なんぞよりドキドキが止まらないイベントだったのだが、高嶺さん的には任された仕事を熟した程度なのだろう。


「けどま、俺的にはもう少し伸びても良かったけどね。きひひっ」

「……どういう意味です?」

「あーうん。偽とはいえ高嶺たかねさんと恋人なんて、早めのクリスマスにしては随分と豪華なプレゼントだなーってさ?」


 まさか深く聞かれるとは思っておらず、出来るだけ冗談っぽい軽口で答えを返す。

 危ない危ない。高嶺たかねさんを困らせてしまうところだった。

 俺と高嶺たかねさんは友達なんだ。下世話な下心なんて働かせてしまったら、何故か歩み寄ってくれる彼女の友好に泥を塗る形になってしまうじゃないか。

 

 だからビークールの精神で、心を冷まして思考は沈めてこの会話に勤しまなければ……。


「……貴方は、そう思ってくれるのですか?」

「……えっ?」


 いつものように呆れ混じりのため息を吐かれると、そう思っていた。

 だが違った。彼女は、高嶺たかねアリスは立ち止まり、意外だとばかりに俺を見つめてくる。

 

 何だこの反応。何だこの状況。

 何かおかしい。そんな顔、君が俺に向けるなんてまずあり得ないだろう。

 だってそんな、まるで好きな人と両思いなのを知ったみたいな顔。高嶺の花である君らしくない恋する乙女のような、驚愕と嬉しさを混ぜ合わせた思春期の表情をするなんて。


「ど、どしたん高嶺たかねさん? そ、その反応は流石の俺でも誤解しちゃうかなーって……」


 妙な雰囲気になる前に、強引に早口で言葉を紡いでいく。

 多少天然な部分がないとは言えない高嶺たかねさんだ。もしかしたら、多感な思春期ボーイの感受性を測り損ねているのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。

 

 いやーまじでびっくりだけで心臓止まるかと思ったー。

 些細な言葉一つでこの魔性っぷりとは悪い女だなぁ。……いや、この場合は罪な女の方がそれっぽ──。


「……別に、誤解すればいいじゃないですか」

「──えっ?」


 その呟きで今度こそ、俺の思考は停止する。

 言葉の意味を呑み込めない。そこに含まれた奥底の真意を、俺は欠片も理解出来なかった。


「……着いてしまいましたね。では、また明日」

「あっ、ちょっと……」


 その真意を尋ねる前に、高嶺たかねさんはこの場から逃げるように駅へと走り去っていく。

 追いつくことなんて難しくないはずなのに、その背を追いかけることは出来ず、声すら出せずに背中を見送るだけ。

 

 わからない。俺には微塵も想像つかない。

 彼女は今、どういう意図でそれを言葉に変えたのか。その儚げな面様は何を意味していたのか。


 ──そして一番わからないのは、あの顔を見た俺がどうして、こんなにも心を揺れ動かされてるのかだ。


 ドキドキは違和感を通り越し、最早痛みにすら思えてしまう。

 誰が彼女を恋する乙女などと呼べるのか。これでは自分の方がよっぽど踊る一方ではないか。


「馬鹿らしい。あるわけないじゃないか、そんなことっ……!」


 そこまで考えて、無意味な思考だと必死に首を振る。

 何を勘違いしそうになっている。何都合のいい妄想に身を浸らせようとしているんだ。

 そうだ、そんなことはあっちゃいけない。恋だの愛だのなんて身勝手など通していいわけがないだろう。


「身の程を弁えろ、か。わかっている、わかってるさ……」


 そう言い聞かせても、心のざわつきは収まろうとはしてくれない。

 あのときは簡単に捨て去れたのに。いつもの俺であれば、そんな想いに意味はないと諦められるのに。

 俺と高嶺たかねアリスでは根本が違う。そんなことは、誰よりも知っているはずなのに。

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