甘き一日は瞬く間に

 高嶺たかねさんの宣告に、思わずお弁当を食べ忘れたするほどの衝撃を覚えてしばらく。

 結局、あの場は現実味の抜けないまま解散となり、そのままほわほわと次の日を迎えてしまった。

 

 あれは夢だったのか。いや、それとも俺が意味を捉え間違えてしまったのか。

 どれだけ考えようと答えは出ず。むしろ考えすぎていつもとは違う意味で寝不足に陥ってしまう。

 そんなぽやぽやと浮つきまくる朝の脳みそにながらも電車から降り、学校までの道のりを進もうとしたのだが。


「あの……高嶺たかねさん……? これは一体なんぞや……?」

「アピールです。どうせやるなら積極的に、それが一番効率的ですので」


 少し自信を孕んでいそうな声色で話す彼女に、俺はまったくもってまともな反応が出来そうにない。

 ちょうど駅から出た辺りで高嶺たかねさんと遭遇したわけですが。

 そんな俺に待ち受けていたのはあまりに唐突で奇々怪々。けれど降って湧いた、天上の楽園が如き幸福に満ちたもの。


 ──高嶺たかねアリスが俺と腕を組んでいる。なんとその完璧なやわわなお胸が、制服越しでも当たっちゃっているのだッ!!


「あばば、あばばばっ」

「こらっ、離れようとしないでください。私達は今、ラブラブで熱々なカップルなのですから」


 当たっている果実と彼女自身の匂いは、朝早くの俺にはあまりに刺激的で心地好く。

 その魔性につい恐れ、無意識の逃走を図ろうとしたのだが高嶺たかねさんはそれを許さず、更に力と密着度を高めてくる。

 俺の方が背が低いせいもあり、この姿勢じゃ随分とアンバランスで高嶺たかねさんには歩きにくさが生じてしまうはず。

 

 だが、今の俺にはそんなことを気にする余裕はなく。

 学校での高嶺たかねアリスには珍しい、誰もが一目でわかるほどの上機嫌さを全身から醸しながら歩く彼女に、俺はただ借りてきた猫のように付き従うしかなかった。


 周りの視線が痛い。所々から届いてしまう、同じ制服共のひそひそ声がこそばゆい。

 まあそれ以上に役得で優越感もあったりするが、そんな醜い自尊心の充足に更なる罪悪感も生じてしまう。こちとら体も心もえっちらほいと上機嫌ではあるが、そんな我欲のために高嶺たかねさんをトロフィーにしたいわけじゃないのだ。


 歩幅を合わせて歩くごとに、学校へと近づいていくごとに舐めるような視線は増えていく。

 多分というか、まず間違いなく知り合いの目にも入っているはず。

 大丈夫かなこれ。この作戦の目的云々より、まったく別の敵が発生しちゃったりしないかな。


「た、高嶺さぅん……? も、もう充分なんじゃないかなぁ……?」

「……何故です? 学内でこそ本番なのでは?」

「その通りだけどさぁ! その通りだけどさぁ!!」


 校門を抜けながら、高嶺たかねさんはきょとんと首を傾げてくる。

 あーもうちくしょう! 可愛い上に正論だから反論のはの文字すら出てきちゃくれねえよ!

 

 それから下駄箱でほんの一時離れる猶予はあったものの、教室までの道のりで再度繋がれてしまう。

 今歩いているのが健全で血の流れない学内であるはずなのに、まるで四方八方か形なき矢を射られていると錯覚してしまうほど、先ほどまでいたお外とは段違いな視線の密と圧。

 いつも二人で移動しているときも見られたりはしていたが、今日は明らかにそれ以上で鬱陶しいことこの上ない。正直な話、血生臭い戦闘の方が遙かに楽だった。


 そんな恥辱と圧迫感に耐えながら、どうにか教室へと到着した俺達。

 どうせおなクラの連中も煩わしいのだろうと、そう肩を重くしながら入室したのだが。

 流石に一年一緒に学んで高嶺たかねさんに慣れたからか、外の奴らよりも関心がなかったのか。多少の視線はあったものの、まるでそこまで珍しくもないと流されてしまう。


 ……なんだか肩透かしを食らってしまうが、まあ俺にとっては都合が良い。

 安堵のため息を吐き、自分の席まで移動しどっさりと腰掛け、それからまた大きなため息を吐いた。


「あー疲れた。まさか朝からこんな激動だとは……」

「でも楽しかったでしょう?」

「うーん。まあ楽しくは……なくもなかったけど……」


 机に突っ伏しながら、二度の席替えを経ても尚相変わらず隣な高嶺たかねさんに返事する。

 

 ま、まあ確かにぃ? 有象無象の視線に見合う、場合によってはそれ以上の役得ではあったけどさぁ?

 しかし謎だ。俺とは対照的に、何故彼女にはそこまで疲労がないのか。

 あれか、このくらいの注目であればとっくに慣れっこなのか。それともその胆力の勇者パワーの一端なのか。まあ多分どっちもだな。


「ま、少し物足りなかったですが最初ですしね。ここから──」

「おはよう高嶺たかねさん! ねえ朝のなに!? すっごい話題になってたよ!」


 何かとんでもないことを言いそうであった高嶺たかねさんを遮る、寄ってきたクラスメイトの声。

 確か名前は……あー、そうそう。夏音なつねさん、陽キャなポニーテール女子の夏音 向日葵なつね ひまわりさん……だったはず? 

 よく教室の教壇辺りで駄弁ってる勝ち組だからしゃべったことないけど、まあ多分合ってるはず。面倒いしステータス覗く気にはならんけど。


 夏音なつねさん(仮)を皮切りに、高嶺たかねさんの周りへ徐々に集まってくるクラスの女子の明るい連中共。


 あの文化祭以降、高嶺たかねさんはクラスメイトとの距離感は近くなったと思う。

 以前はもう少し高嶺の花感ましましの一線を引かれていたのだが、今はそこそこ話しかけられることも増えてきており、もう小中時代のような孤高の存在ではなくなったのだ。

 あの頃の孤高っぷりを知っている身としては、そんな様子に何だか少し感慨深くなってしまう。

 特に小学校時代なんてほとんど無視に近いレベルだったからな。まあもっとも、あの頃はほとんど交友なんてなかったけどさ。

 

 若干困り顔ながらも、拒むことなく談笑している高嶺たかねさん。

 そんな彼女に少しの寂しさを抱いてしまいながら、イヤホンを耳に装着して目を閉じる。

 ……はあっ、我ながら身勝手だなぁ。彼女の友達なら本来なら喜ぶべきなのに、高嶺たかねさんの交友が増えたら増えたで少し寂しくなるなんてさ。


 まあこんな風に、教室まで来てしまえば後はいつも通りの日常なのだと。

 そんな風に思いながら眠りにつき、今日も今日とて退屈な授業を受けようとしたのだが。


「ね、ねえ高嶺たかねさん? きょ、教科書は……?」

「忘れました。……本当ですよ?」


 教科書を忘れたと、何と四時間連続で高嶺たかねさんが机を合体させてきたり。


上野うえのくん。あちらでは目立ちませんし、今日はここで食べましょう。ということでこちらをどうぞ。私作のお弁当です」

「あっはい、どうも。……えっ、でも俺も弁当あるよ?」

「だから交換です。貴方の好きな味、私も食べてみたいです」


 お昼になり、いつものマイプレイスに向かおうとするも行かせてもらえず。

 そして何故か自分のお弁当と彼女の作ったお弁当を交換し、高嶺たかねさんの手作りを食すことになり、そして更には高嶺さんのお箸であーんされたり。


「次は移動ですね。一緒に行きましょうか」

「え、えっと高嶺たかねさん? 流石に歩きにくいんじゃないかなぁって」

「駄目です。アピールです。学内こそ、徹底的にです」


 そして午後には朝と同様に腕を抱き、俺に密着しながら廊下を進んでいったりと。

 その様はまさにバカップル。よくテーマパークは街中で見かける、見ているだけで口内が甘ったるくなりそうな桃色っぷりであろう。

 

 にしてもこんな付き合いたてでもやらなそうな、当事者じゃなきゃ台パン不可避ないちゃつき。

 ……いやまあ、どちらかと言えばこの上なく堪能していたりするのだが。

 果たしてこのノリで高嶺たかねさんは恥ずかしくないのか。それとも俺のために押し殺してくれているだけで、本当は内心真っ赤っかなのか。いずれにしても、鉄のハートには違いないな。


 ……あ゛ーづかれだーっ。普通に登校した中じゃ断トツに濃厚な一日だったーっ。


「お待たせしました。今日は部活もありませんし早く帰りましょう。あ、寄り道でもします?」

「……ああうん。っていうか、放課後もやるんこれ?」

「もちろんです。これはアピールですから。そう、仕方のないことなのです」


 クラスの女子と話し終えたのか、高嶺たかねさんが沈没している俺にそう言ってくる。

 表情が綻ぶほどに隠せていない上機嫌さ。普段は動じぬ美少女の見せる、ふとした一瞬の緩み。

 そんな彼女に、胸の内が何かを訴えるようにドキドキを強めて仕方ない。

 ……ああちくしょう。やっぱ可愛いなぁ。綺麗なのに可愛いって永久退場ものの反則だなぁ。


「……迷惑、でしたか? もしかして、貴方は楽しくありませんでしたか?」


 そんな疲れ切った俺に、高嶺たかねさんは小さな声で少し悲しそうに問うてくる。

 珍しい、君がそんな顔をするなんて。まるで俺なんぞといちゃつくのを心の底から望んでいたみたいじゃないか。

 

「……そんなことないよ。ただ慣れない注目だらけで疲れただけ。というか振りとはいえ、高嶺たかねさんとカップル出来て楽しくない男子高校生はいないよ。そんな不届き者、もし存在したら俺が殴ってやるぜ」

「……何ですかそれ。けれど、そうですか。……良かった」


 心の底から安堵を見せる高嶺たかねさん。

 その顔を見て、弾むように胸が高鳴ってしまう。煩いはずの教室にかかわらず、周りの音が消えてしまうほどその表情に意識の全てが持っていかれてしまう。

 高嶺たかねアリスが俺を意識して、俺の言葉と想いで一喜一憂してくれる。この一年で度々あったはずの出来事だというのに、その事実がどうにも心へ刺さってしまう。


 ──まずい。これは駄目だ。この想いには、この昂りには

 これは答えを出しちゃいけないもの。この何かは俺が自覚していけないもの。

 だってそう。これは初めて高嶺たかねさんのステータスを覗いたあの時と同じで、それよりもずっと前から持っていたもの。そして俺がとうに捨て去ったはずの、あの時の──。



「──やあ二人とも。取り込み中に失礼するよ」



 何かに辿り着いてしまう、そんな思考に待ったを掛けてくれたのは一人の女性の声。

 教室のあちこちでざわつきが生まれる。高嶺たかねアリスではなく、その人の到来で。

 

「おや、どうしたんだい後輩君? あまり優れない顔してるけど風邪かな?」

「……別に、ちょっと注目で疲れていただけですよ。それで先輩、どのような御用向きで?」

「ああ。高嶺たかねアリス、君は……まあいいや。一応関係者だし知る権利はあるからね」


 この場から離れる気のなさそうな高嶺たかねさんに、先輩は軽い調子で納得したように頷く。


「じゃあ二人とも。付いておいでよ。あるじも待っているからさ」

「……待たせている、とは?」


 高嶺たかねさんの質問に、かえで先輩は少し申し訳なさそうに顔を背ける。

 パイセンが先輩を使って呼ぶってことは例の件絡みなのだろうが、俺じゃなくて高嶺たかねさん相手に何か後ろめたいことでもあるんだろうか。


「……早くないですか? 私としては、もう少し時間があると思っていたのですが」

「ごめんね。どうやら予想以上に相手が限界だったらしくてね。……どうか、大目に見てあげてくれ」


 進み出すかえで先輩へ高嶺たかねさんは大きくため息を吐き、俺の腕を取って進み出す。

 抱きつく力は今日一日で一番に強く、そんなことなどあるわけがないのに、まるでその行為自体が名残惜しいと訴えてくるかのよう。


 ……いや違う。きっと、名残惜しいのは俺の方なのだ。

 先輩の言葉と態度から用件は何となく察しはつく。だからこそ、余計にそう感じてしまうだけなのだ。

 だってそう。例え振りでも高嶺たかねさんと、誰もが憧れる高嶺の花とカップルごっこが出来たのだ。こんな奇跡のような機会はきっと、これから一生有り得はしないのだから。


「……犯人、誰だったんですか?」

「着けばわかるよ。だから、今は気にせず歩くといいさ」


 先輩の返しは気遣いなのか、それとも哀れみなのか。

 その答えを出せないまま、俺達は言葉もなく彼女の後ろを歩き続ける。あんなにも気恥ずかしかったのに、今はこの廊下が果てなき長さであればと、そう願わずにはいられなかった。

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