やわ、やわわわっ!?
億劫さ全開ながらも四つのコマを乗り越え、何とかお昼休みまで辿り着いた俺。
気分はどん底から持ち直し、年がら年中煩いだけの教室を無事脱出。
その足のままぱっぱらぱーと我がお気に入りスポットへと向かい、珍しく作ってくれた華やかでもないけど絶対に外れはない母上のお弁当を食べようと思っていたのだが。
「おや、奇遇だね。また会えて嬉しいよ。後輩君?」
「……はあっ」
せっかく昇ろうと頑張ってくれていたテンション君が、ガタガタと音を立てて崩れ去っていくのが聞こえてしまう。
朝の記憶通りな灰色の髪と大きな胸。そして何故か、昨日までここになかったはずのハープを側に置いてパンツが見えそうな危うさで足を組む女性。
この一年、
「……それ、自前なんすか?」
「ん? ああ、私の愛楽器さ。家にはもっと大きい物だってあるよ」
とりあえず、一番気になったその楽器を指差してみれば、自慢げに鳴らして答えてくれる。
わあ良い音色……じゃないよ。確かにちょっと好いなとは思わなくもないけれど、流石にこの場面で羨みながら話が弾ませて蛇足する気はないんだよ。
「ほら、そんな立ち尽くしていないで座るといい。何なら隣でも構わないよ?」
「あー結構です。他探しますんで、どうぞお構いなくお過ごしください」
「そう言わずに。ほらっ、どうぞ」
もう僅かたりとも疲れたくはないと、くるりと踵を返そうとしたのだが。
彼女による、絵面とは裏腹な優しい声色とハープの音に少しばかり申し訳なくなってしまう。
……ま、いいか。別段悪い人ではなさそうだし、うざくなったら教室にでも帰ればいいや。
せっかくの誘いを無碍には出来ず。
とはいえ隣の座るのも何か違う感じがしたので、同じ段の端っこに座って一息つく。ちなみに下の段に座らないのは、何かの間違いで見上げたときに困るからだ。
「ふふっ、君はシャイだね。そんな遠慮せずとも私は気にしないのに」
「俺が気にするんですよ。知らない女性と二人きりとか」
出来るだけ短めに、当たり障りのないよう言葉を返しながら弁当の包みを外して蓋を開ける。
緑色は僅かあれど少なめに、そしてご飯にはお好みのおかかふりかけが満遍なく。
……きひっ。流石は母上、わかっているじゃないか。高校生のお弁当なんざ色合いよりも味と好みが何よりも優先であることを。
「見事に偏ってるね。僕としてはもう少しバランス良くがおすすめだけどね」
「そうですか。ま、女性はそっちの方がいいかもしれませんね。偏れば太りそうですし」
意見の相違をまったくもって気にせず、手に持つお箸の先を米へと吸い込ませる。
白と焦げ茶のマリアージュを口に運べば、冷めたいながらも確かに美味が口の中に広がっていく。
うーん悪くない。個人的に冷えたご飯ってくそほど好きじゃないんだけど、それでも弁当であれば不思議と許容出来てしまう。……あ、でも冷え茶漬けは美味しいよね。
お気にの味を数口楽しみつつ、おかずのからあげだの卵焼きにも舌鼓を打つ。
良き良き。卵焼きは甘々だし、からあげはまあ……冷凍食品だから特に言うことのない安定感が弁当らしくてたまらない、そんな感じだ。
「君は美味しそうに食べるね。そんな顔をしてくれるなら、作った側も感無量じゃないかな」
「……そうでしょうかね。喜びよりも作る手間の方が大きそうですが」
「そんなことはないさ。料理というのは意外なことに、誰かのために作るのも悪くないこと……ああ失敬。そんなこと、あの料理部に所属している君の方が理解していることかな?」
……当たり前のように部活のことも話してくるなぁ。俺の個人情報ってそんなに軽いのかなぁ。
「……んぐっ、どこで知ったんですか? そんなに俺って上級生の華だったり?」
「少なくとも、部活に関しては原因は君じゃないかな。あの
微笑しながらの説明に納得がいく。
そういや部長、自分が気に入った部員にしか勧誘していないもんな。まあ明らかに入学前からの関係っぽい
「その上、君は現在渦中の人物だ。それはもう注目を浴びてるよ」
「……三年って皆暇なんですか? 浮かれ事より大事な進路決定の時期でしょう?」
馬鹿な先輩共に呆れながら、目を細めて問いを投げると途端に彼女は首を傾げてしまう。
「おや、僕が三年なんて教えたかな?」
「名前も学年も聞いてませんよ。けど流れで分かるでしょう? 我らが部長に先輩の敬称をつけずに呼べるのは三年だけだって」
「……ふふっ、なるほど。確かにそうだ。そんな無謀な不敬、並の後輩じゃ果たせないだろうね」
それっぽいだけの思いつきでそのまま返すと、何が面白かったのか噴き出すように笑い出してしまう。
こんな雑なかまかけ一つ、果たして何がそんなに面白いのか。まあ確かにあの人初見の圧は強いけど、別に部長を知らなかったり下心全開だったら無意味な敬称なんて外す人もいるだろうに。
「ふふっ、失礼。君と話すとつい声が大きくなってしまうね。こんなにお腹を押さえて笑ったのは久しぶりだよ」
「……そうっすか。笑えたなら良かったっすね。あむっ」
そんな顔をされようと、俺的には心底どうでもよく。
結局名も知らぬ、えっちな体と僕とハープにしかない先輩に微塵の興味すら抱けず、ただひたすらに弁当を咀嚼するのみ。
はよ食ってはよ帰ろう。このままじゃ俺の昼休みが台無しになりそう。これなら便所で食べた方が幾分かましってもんだ。
「しかし大変だね。君、この学校で自分を貶めようとしてきた犯人を捜さなきゃいけないんだって? この時期に随分と辛気くさいことに手を染めないといけないなんてね?」
「……あ?」
そう結論づけ、食事のスピードを上げようと思った矢先であった。
突拍子のなく吐かれたその言葉に、初めて箸が止めて置いてしまう程度には意識を割いてしまう。
なんて言ったこの女? 何故、そんな俺とパイセンしか知らないはずのことを?
「ふふっ、初めて僕に興味を持ってくれたね。その刺激的で力強い眼光、思わず悶えちゃいそうだよ」
「そりゃどうも。実に光栄だね、盗み聞きが趣味の女朗に褒めてもらえるとは」
名称 七草 楓
レベル 20
生命力 140/160
魔力 60/65
肉体力 大体68
固有 羅針の笛 幻惑の奏
称号 失敗作
万が一に備えて弁当箱の蓋を閉じ、頭を上げて女へと視線を飛ばす。
なるほど。そこいらの人気者ってだけな
しかしついに学内の束の間からも平穏が失われるとはね。動乱に生きる武士やピーク帯の社畜じゃあるまいし、食事と睡眠と風呂と休憩時間にそういう波乱は必要ないんだけどなぁ。
「いいぜ、じゃあとっとと
「ああ待った! 違うんだ! 誤解しないでほしい! 僕は君の敵じゃあない、味方だよ。だからその戦意は収めてほしいかな」
まどろっこしいので始めようと思ったのだが、女は慌てて両手を上げて敵意の無さを訴えてくる。
敵意がない……ねえ。悪いけどちょっと信用出来ないな。その軽いだけの言葉を信じてやる根拠がなさすぎる。
「ならどこで知った? パイセンはあんなんでも守秘義務は守る人のはずだし、そもそもあの場に俺達以外の気配がなかった。偶然なんて冗談、通るわけがねえだろうが」
「……はあっ。もう少し後輩と戯れようと思ったんだけどね。君、ちょっとくらいは余裕持った方はいいよ?」
毒気を抜かれるようなため息に、納得いかないながらも仕方なしにと戦意を解く。
何で俺が呆れられなきゃいけないんだ。これで碌な言い訳じゃなかったら、その時は今度こそハッ倒してハープの弦にでも変えてやろうっと。
「さてと、それじゃあまずは自己紹介だ。僕は
「やかましい。敵ではない確かな証拠と近づいてきた目的を隠さずに話せ。それが出来ないならハープの弦を引っこ抜いてお前を吊す」
「怖っ。ま、敵でない根拠は簡単だ。昨日貰ったパイセンとやらの連絡先に、僕の名前を尋ねてみるといいさ」
わけのわからない根拠に、つい訝しげな視線を返すが彼女はどうぞと手を差し出すだけ。
仕方がないのでおスマホを取り出し、
『
『髪の色が濃いめでグレー? 一人称が僕でキザったらしい感じの三年生かな?』
『そっすね』
『なら俺の部下だよ多分。一見怪しさ全開だけど、別段疑わなくて大丈夫だよ』
……どうやら疑いは晴れたらしい。これだけ特徴が合っているのなら、わざわざ駄目押しに写真検証をする必要もないだろう。
「……確認が取れました。けど謝りませんからね。パイセンの部下なら最初に言ってくださいよ」
「そこは申し訳ないとは思ってるよ。けど、それ以上にからかってみたくてね。あの忠義に厚い頑固者な
絶対申し訳ないとは思ってないであろう、そんな程度に頭を下げてくるこの女。
……まあいいや。俺が寛大な慈悲の心で許してやろう。午後の授業に忌まわしき数学があるし、これ以上無駄な体力を消費したくないからね。
「それで……あー……
「昨日の件についての伝言と提案さ。いろいろ目処が立ってね。これから出す僕の提案に乗れば三日ほど、反るのであれば一週間ほど要するってことをね」
するりと立ち上がり、軽くジャンプして踊り場へと着地した
その態度がどうにも嫌な予感をそそって仕方ないが、まあ思いの外早く片付くんだなとパイセンの優秀さを内心だけで拍手してしまう。
「……ちなみにどんな案なんです?」
「前者は今日から僕とカップルの振りをする。後者は君は何もせず、僕達の諜報能力のみに頼ってのんびり待つ。この二択だね」
「なるほど。つまり一択ってわけですね。単純明快で結構です」
予想以上にしょうもない提案だったので即答し、意識を先輩から弁当へ戻していく。
んなもんみなまで言う必要はないだろ。こんなよく知らない女とカップルの振りなんて七面倒なこと御免だわ。それやるなら怪しいやつ全員絞めて回った方が早いつーの。
「即答かい? いやー照れちゃうなぁ。まさか君が僕にそこまで熱烈になってくれるとは」
「…………はっ?」
「おや、違うのかい? てっきり君ならば了承してくれると思っていたよ。だってこれは、意中の
あまりに自信過剰な解釈をされてしまったので、思わず手に持ち直した箸を落としてしまう。
「一応聞いてやるけど、なんで付き合ってる振りをすれば炙り出せるんだ?」
「簡単だよ。今回の件、下手人は間違いなく嫉妬で動いているだろうからね。つまり君が何らかの行動を起こせば相手も確実に何か動きがあると踏んでいるよ」
「……まるで相手のことを知っているような口振りだな。普通脅迫相手が要求を呑んだらもうそれで満足するってもんだろ」
俺の疑問に先輩は小さく口を緩めて微笑むだけ。……さてはビンゴか?
「ま、概ね想像通りだよ。実のところ、もう九割方の見当は付いているんだ。けどさ、せっかくなら現行犯で捕まえたいじゃん? それに闇討ちでの報復とか、わざわざ下種な相手と同じ土俵に立ってやる義理もなくないかってのが
「……あの人結構甘々だよね。普通はさ。そこまで気にするものなん?」
「どうだろうね? 少なくとも
呆れるように、されど大切な宝物を慈しむような口調でそう話す
……何だよ。そんな素直な言葉を吐けるなら初めからそうしろよ。甘ったるい惚気だぜ、まったく。
「どうだろう? 乗ってくれると嬉しいな」
「……三日か、三日かぁ。うーん……」
確かに先輩の言葉は一理あるし、納得出来なくもないので断る理由はないかなと。
そう思って了承を声に出そうと思ったのだが、何故かその音が出る瞬間に言い淀んでしまう。
確かに合法的に迫るなら乗るのが最適且つ最速。それはわかる。
けどどうしてだろう。自分でも驚くほど、その手を取ってカップルの振りをしたいと思えない。
俺が手をこまねいていれば、巡り巡って
どうしてだ。何だこのもやもや。この前の隠し事の比じゃないくらいには胸がざわついて仕方ない。
何が駄目なんだ。何処が問題なんだ。所詮は嘘っぱち、すぐに切れる関係じゃないか。
それなのに。それなのにどうして。こんな些末なことで、俺はどうして迷ってしまうんだ。
「……どうしたんだい? 顔色が悪いけど、そこまで嫌だったかい?」
「ああいや、何でもない。……何にもないはずなんだけどな」
先輩の心配の混ざった問いかけで我に返り、大丈夫とばかりに頭を振る。
そうだ。理性的になれ俺。大事なのは、とっととこの面倒事を解決するために動くこと。それだけのはずだ。
俺のくだらない内心などどうでもいい。そんなものは無意味で、無価値で、無駄でしかない。
こんな下賤な
「……確認するけど、三日だけなんだよね?」
「予定ではね。場合によっては、少しだけ伸びる可能生もあるけど」
「……そっすか。うん、なら──」
軽く深呼吸をして、もやもやを無理矢理振り払い、それからゆっくりと手を伸ばして彼女の手を掴もうとした。
「──待ちなさい。そんな提案、呑ませるわけにはいきませんね」
その瞬間だった。先輩と結ぼうとしたその手を掴む、真っ白で冷たい感触を覚えたのは。
「た、
「話は聞きました。また面倒なことに巻き込まれているようですね」
「……おや、君も来たのかい。盗み聞きとは無粋だね」
「それは失礼しました。ですが私も無関係とは言えなさそうなので、この場はどうぞお許しを」
先輩へ塵一粒分でさえ思ってなさそうな謝罪を吐き捨てる
この瞬間、彼女が現れるまで気配は欠片も感じなかった。俺と先輩、仮にも戦える人間が二人いて見逃すことなどありえないはず。
つまりそれは、この人がそれだけちゃんと身を潜めていたということに他ならない。その事実がどうにも俺のもやもやを尚更に膨れあがらせてきていた。
「そうだねぇ。……ま、僕は構わないよ。後輩君の目論は叶わなかったけど、この方が手っ取り早くていいかもだ」
「……そうですね。私としても、この件は非情に都合が良いです。利用させていただきます」
「うんうん。なら利害の一致だね。積極的で何よりだ。……ああいや、互いに想うのも一苦労ってことかな?」
だがそんな俺の心中などお構いなしに、二人は謎の理解力で勝手に話を進めていく。
中核から一転して蚊帳の外かぁ。やっぱ華の登場ってのは劇的に状況を変えるんだなぁ。
物寂しさに浸りながらも、先ほどまでのもやもやが静まっていくのを実感してしまう。
まるで越えちゃいけない一線に踏み越えなくて安堵しているかのよう。何故かも何かもわからないが、自分にとって譲りたくない何かを差し出さなくて済んだみたいだ。
……馬鹿らしい。俺が捨てちゃいけないものなんて、彼女に対しての殺意のみだろうに。
「──さて。話はまとまりました。
「あっ、はい? 何のことがさっぱりなんだけど……」
「……察しが悪いですね。というわけで、えいっ」
頭の悪い俺には正直さっぱりだと、
彼女はそんな俺へ小さくため息を零し、次の瞬間には俺の手を取りぎゅっと包み込んでくる。
滑らかなその手は冷たく、けれど暖かく、障っているだけで情緒の一切を溶かしてきそうな柔らかさ。
その手に触れているだけで幸福な気持ちになる。この場にそぐわない、抱いてはいけない劣情を催させてくる。
「あっ、えっ、んっ……??」
「要はこういうことです。今日から数日、私達はカップルですよ。ダーリン?」
そんな手の感触に戸惑うしかない俺へ、
その口調はからかうようでいて真剣で。どこかいつもの彼女と異なる、そんな声色だった。
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