お悩み相談

 家に帰ったら、何故かおきにのぬいぐるみがしゃべれるようになっていました。まる。

 ……いやどういう状態だよ。いくら傷心メンタルだからと言って流して良い問題じゃねえぞこれ。


「まあまあ、そんなこと言わずに。ほらっ、早くお湯に浸かりなって。気持ちいいよ?」


 そんなぬいぐるみが質問は後だと急かしたので、とりま言われるがままに風呂へ入ったわけなのだが。

 浴槽にお湯を貯めている間に体を流しつつ、ちゃぱちゃぱと水面に浮くイルカを薄目で眺める。

 やっぱりこいつ、俺のぬいぐるみ……だよな? いつも枕元に置いている、昔転校前に由奈姉ゆなねえにもらった地味にお気に入りなやつ。


 まさか大事にしていたから命が宿ったとか? Pで作られた動くおもちゃの物語は実在した……?


「ん? どうしたんだい? さてはこのふんわりボディに見惚れちゃったな?」

「どっちかと言えば困惑かな。……っていうか、後で乾かすの面倒だから水に入らないでくれると嬉しいんだけど」


 まあ動く理由なんて、とりあえずは塵程度にはどうでも良くて。

 割と今の心配はそこなのだ。お前はイルカではあるけれど、所詮はイルカではないんだから。


「ああ、そんなところかい? やっぱりズレてるね、君は」

「じゃあ聞くけど、私物が勝手に汚れようとしたら気にならない?」

「なるね、確かに。まあ気にしなくて大丈夫だよ? 借り物の宿で君の大事な私物だし、いろいろ保護はしたからね。何なら火山の中に放り投げられても無傷で帰ってこれると思うよ」


 まじかよ。マグマの中も平気とか俺より頑丈じゃないか。……そういうことじゃないんだけどなぁ。


 釈然としない気持ちを抱えながらもシャワーを止め、貯まったお湯の中に体を浸けていく。

 ……ふう、あったかい。やっぱり湯船ってのは最高、体内の疲労が水に溶けていくようだよ。


「……意外と大っきいね。男らしくて好きだゾ♡」

「イルカ如きに褒められてもなぁ。せめて美少女なら滾るってもんだけどさ……ふうっ」


 性すらないぬいぐるみの戯言に思考など使いたくないと、だらだらと気の抜けた声で返答する。

 俺も思春期の端くれなので別にシモの話は構わないのだが、何故か動いているだけの無機物相手にするほど悶々とした日常を送っているわけじゃない。

 というか今はそういう気分じゃない。どっちかと言えば真面目な話がしたいテンションだし、むしろ真面目な話以外はノーセンキュー。美少女になってから出直してきてくれ。


「そうかい。まあそうだよね。相手のレベルが下だから良い経験値になると挑んだは良いものを結果は見事に惨敗。口先だけで手も足も出ず、その上勝負の土台にまで立ててないと実感しながら知人に助けられて慰められてしまったんだ。これで傷つかないような男の子だったら、君はアリスを卑しく付け狙ったりしないもんね?」


 水面をパチャパチャ泳ぎながら、まるで何もかも視ていたかのように話してくるイルカ。

 言葉の槍でぐさりと心臓を刺されながら、ようやくこのうざい口調が誰のものだったのかを思い出す。

 

「……お前、もしかして備考欄のやつか? 俺の姿パクってた自称お姉さん?」

「せいっかい! 君の理想の姿はぬいぐるみのイルカさんだったのだ~なんてね?」


 辿り着いた答えを提示してみれば、けらけらと笑いながら正解を告げてくるイルカ。

 夏休み初日に俺をよく分からない場所へ呼んでお茶会させてきた謎の人物。俺の姿を借り、俺がしないであろう言動をしながら、自らをお姉さんなどと呼称したわけのわからない存在。それがこいつの正体だ。


「……あれ、でも外に干渉する手段はないって言ってなかったっけ?」

「言ったとも。その上で足したのだとも、例外はあると。つまりはそういうことさ」


 ……そういうことさと自信満々に言われてもね。

 生憎事情を知らない身の俺じゃあ察することなんか出来ないんだよ。知識不足は何処行っても変わらないというわけだ。とほほでつらみは全開よ。


「まあ大事なのはそこじゃないだろ? 僕の存在理由なんてのは忘れてなければ後でちらっと教えてやるからさ。君が思い悩んでいるのはそこじゃないはずだぜ?」

「……お見通しかよ。そういえば、お前は心が読めるんだっけ?」

「まさか。ここは君の心の中でもないし、閲覧魔法の真髄はあらゆるものを見通すことにあったりするんだけど、残念ながら今の僕にはそんなに深くは視えないさ。これはあくまで経験から基づく観察力だよ。そんな俯いてる若者の心なんて、それこそ星の数ほど見てきたからね」


 ……そうかよ。そりゃ結構なことで。どうせ俺の心は単純ですよ。


「で、どうするの? ……いや、あえてこう聞いてあげようじゃないか。君はこれから、どうしたい?」


 イルカは泳ぐのを止めてふわりと浮き、真っ正面から黒丸の瞳で俺を見つめてくる。

 

「君は負けてしまったわけだけど。あの獅子の申し子に関わるなと遠ざけられてしまったわけだけど。このままのうのうと日常へと帰ってしまって納得出来るのかい? 満たされるのかい?」


 イルカの問いへすぐに返そうとするが、逡巡してか言葉が出てこない。

 もちろん一度負けたからびびってるわけではない。

 この数ヶ月、程度の差はあれ負けなんて何度もあったのだし、ここで退いたりしたらいよいよ本当に折れてしまうのも何となく理解している。だから臆することなんて、ないはずだ。


 ……もしもあるとすれば、このままじゃどう足掻こうと勝ちの可能性を見出せないことか。

 

「うんうん、わかるとも。今のままじゃ勝ち目がないと、何より自身が痛感してしまっているからびびってるんだね? 今の自分がどれだけ策を練ろうとも、異界の修道女には手も足も出ず。今度は本当に殺されてしまうだろうと、心が恐怖に負けてしまっているんだね?」


 そんな黙ってしまった俺を見透かすかのように、イルカはふてぶてと言葉を紡いでくる。

 きっと彼女がイルカでなく人の面なら、さぞや殴りたくなる喜悦を露わにしていることだろう。そう断言できるほどねじくれた、心のこもった性悪さで。


「悔しいかい? 悲しいかい? いいや違う、違うとも。君は今、例え無意識下であっても安堵を抱いてしまったはずだ。それこそ普通の人間のようにね」

「…………」

「恥じることはないとも。恐れることはないとも。何故ならそれは、その想いは人間であれば当たり前の感情もの。人であれば誰もが抱き、人でなければ誰もが理解出来ずに欲しがる輝きなんだ。だから大事にしないとね。そうでなければ、君は一途の獣に成り果ててしまうのだから」


 今度は一転、恐怖で縮こまった子供を励ますような慈愛の籠もった声色へ。

 まるで七色の声を持つ声優のように。或いは即興で一人芝居を組み立てる役者のように。俺の心を振り回しながら、イルカの中にいる怪物は一人愉快に口なき口を動かすのみ。


「そう。だから止まっても良いんだよ。どうせ叶いっこない最初の目標なんざ掲げるだけにしておいて、身の丈に合った幸せを生きるのも手ってもんさ。きっとアリスだってそれを望んでいるだろうさ」

「……叶いっこない、か」

「そうとも。今のままで充分だろう? いつものように彼女を諦めようと、君には僕のあげた魔法と常人を凌駕した身体能力が残るんだ。だから、どうせ届かない世界一高い花を摘むのなんて諦めてさ? 闘争なんて面倒で辛いことなんて捨てちゃってさ? 妥協の人生イージーモードで生温い人生の中で慎ましく生きていこうぜ?」


 俺を拐かす魔性の妄言。傷の付いた俺の心に染みこむ、甘ったるい砂糖で舗装された逃げ道。

 きっとそれに頷けば、自分で自分を言い聞かせれば、認めてしまえば楽になれるのだろう。

 高嶺たかねアリスは俺には手の届かない存在だと。俺の手ではあの頂きに聳える一輪の華は愚か、今目の前に立ち塞がった壁すら壊すことが出来ないのだと、いつものように納得言い訳すれば。


 ……嗚呼、でもやっぱり嫌だな。今回だけは、何か捨てたくないや。


「……そうとも。それでいいんだ。そのの内に滾る火が燃え尽きない限り、君は諦めるにはまだ一ヶ月ばかり早いってものさ。それでこそ、無謀に脳を焼かれて道を進む者なんだから」


 イルカは再び変声する。今度は今までとは質の違う、悪性の欠片すらない優しい声へ。

 その声に初めて、このイルカの中にいる存在の──声しか知らない何かの本音以上の奥底を垣間見た気がした。

 

「断言しちゃおう。このまま逃げ出せば、あの異界の女とは二度と会うことはない。あれは君に狙いを定めたと言ったけれど、これからこの街を呑み込む一件に関わらなければ再会はあり得ない。そういう運命、揺るがない未来で確定されているからね。……それでも行くかい?」

「ああ。腹は決めた。このまま負けっぱなしで終わりなんて真っ平御免だね。……それにお礼参りリベンジはしなくちゃね。俺、こう見えて負けず嫌いなんだぜ? きひひっ」


 俯く時間は終わりだと、愉しげに泳ぐイルカを掴んで立ち上がる。

 消沈していた俺をここまで焚き付けたのだから、もう一蓮托生だと逃がさないように。


「そこまで言うなら協力してくれるんだよな? 生憎見返りを渡せない一文無しだけどさ?」

「当然だとも。何故ならもう貰ってるからね。その選択をした時点で、君は実質僕の求めるものまで一直線ってわけなのさ」


 胡散臭さを存分に孕む、最初と同じに戻ったイルカの声。

 こいつの言っていることは分からない。どういう目的で、何を求めているのかこれっぽちも理解出来ない。

 きっとこの選択でさえこいつの掌の上なのだろう。これから進む道ですら、こいつの望むべくままなのだろう。最後がどんな結末を迎えようと、こいつだけは満足して終わるのだろう。


 ──それならそれで構わない。最後に俺も笑えていれば、いくらでも踊ってやるさ。

 

 全ては彼女に近づくため。彼女を見てざわつく心に答えを付けるため。

 彼女を殺すために。彼女の隣に並ぶために。彼女の足下に食らい付いて、俺を見てもらうために。


 ……あれ? そういえば俺は、どうして彼女に見てもらいたいんだっけか?


「ならばお風呂タイムはもう終わりさ! とっととご飯を食べて、それから伝授してあげよう! 今の君に必要なことを! これから進む道を! この閲覧の愚賢者フルスペクションの名において!」


 イルカの導きのままに、シャワーを浴びて風呂場から飛び出していく。

 まあいいや。今は高嶺たかねアリスのことは置いておこう。どうせ今回は無関係だろうし。

 それよりまずはご飯だご飯。気持ちがすっきりしたら、急にお腹は減ってきちゃったぞ?

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