ばっちゃま〜

 夏の魔物とは、なんと魅惑的で恐ろしい存在であろうことか。

 夏の暑さは人の理性を奪ってしまう。夏の日差しは人の本能を刺激し、より開放的にしてしまう。

 まさに魔性の季節。四季という四色の中で最も激しく、それでいて爽やかな色。誰しもが疎み、多くの者が焦がれる時期。

 無論、俺とて例外にはならず。屍鬼かばねおになる本物の化け物を討ち果たし、見事この国を救った立役者の一人、上野進うえのすすむもまたこの魔物を望む者である。


 ……え、何故って? そんなの簡単じゃん? 小学生に聞いたら九割は同じこと言うんじゃない?

 だって休みだぜ休み。七月から八月の学生ってのは、基本活動停止でごろごろしたいものだろ?


「ぐでーん」


 そんなわけで夏休みも中盤戦に入り、現在お盆の真っ只中。

 ただ今俺は我が家恒例の帰省に付き合い、ばっちゃまの家の縁側で馬鹿みたいに寛いでいるのである。

 

 毎年戻ってきているとはいえ、やはり一年に一回なので懐かしさというのは湧き出てしまうもの。

 父の転勤に会わせて都会に出てきたわけだけど、これでも小学三年くらいまではこっちで田舎の子供やってたからね。やっぱり肌に合うのはこっちの風かなぁ。


「んなー」

「よしよーし。毛が暑苦しいからどっかいけぽち丸ー」


 ぼんやりと、どこかから流れてくる蝉の声を聞き流しつつ。餌を求める犬っぽい名前の飼い猫を軽く撫でながら、たいして回ることのない自堕落極まっている脳みそで己を省みてみる。

 

 しかし振り返ってみれば、今年の俺も例に漏れず、何することもない怠惰な休息を謳歌しちゃってるな。

 まあ休み中に部活があるわけではなく。別に友達と夏祭りや花火大会に繰り出すなんて青春を送ることもなく。更にはレベルを上げるための事件が起きることすらない、透明ですらない無色な日々だったわけだしね。

 

 結局、夏休み初日に受けた俺もどきの予言は何処へやら。

 何ともまあ胡散臭い適当なものだったが、それでも特別感は出していたし期待はしていた。けれど現状見事に裏切られていると言う他ない。実に平和で結構だけどね。


「あー暇ー。暇潰してー」

「おんや。んなところで寝ていたら蚊に刺されちまうよぉ?」

「あ、おばあちゃん」


 そんな寝転がる俺の元にやってきたのは、父でも母でもなくばっちゃまであった。

 俺の隣へと座り、切ったスイカの載った盆を側に置いてくる。ゆっくりと体を起こし、食べても良いかと聞けばにこやかに頷いてくれた。


「いただきー。うーん冷えてるー、うまぁ……」


 しゃりしゃりと赤い夏の果実を貪り、喉を通る甘みと冷たさの心地好さに浸ってしまう。

 やっぱスイカは旨えなぁ。俺は基本メロン派だけど、こういう物静かな縁側で食べるならこっちの方が乙ってもんだよなぁ。


「ばあちゃんは食わんの? スイカ嫌いだっけ?」

「ええよぉ別に。気分でねーから、すすむがたんと食べなぁ?」


 別に地方独自ってわけでもない固有の訛り方で、ばっちゃまはこちらへスイカを譲ってくる。

 そういやばっちゃまはスイカをそこまで好きじゃなかった気がする。ということは、わざわざ買って準備しておいてくれたってわけだ。あったけぇなぁ、スイカは冷たいけど。


「もらいもんなんだがぁ、食い切れなくて困ってたんよぉ。和葉かずは孝弘たかひろにも少ししかもらってくれねぇし、すすむが来てくれてよがったよぉ」

「ばあちゃんや。そういうときは正直に言うより適当に誤魔化した方が好感度上がるんだよ」

「なんねぇ。家族に気ぃ使っても良いことなんかねぇからええんよぉ」


 身も蓋もねえけど確かにそれな。流石は我が母の母、他とは違うざっくらばんな性格だぜ。

 

「で、最近はどうなぁ? すすむも恋にうつつを抜かしたりしてんのかぁ?」

「うーん、残念ながら浮いた話はさっぱりよ。ばあちゃん達みたいな真夏の逢瀬は提供出来ないなぁ」

「そらそうだよぉ。私と爺様みてえな巡り会い滅多にねえからなぁ」


 ばっちゃまは意気揚々と、水を得た魚のように跳ねた声色で自分たちの馴れ初めを語り始める。

 不審者に襲われたところを見事に助けられ、それから何か色々あって見事結ばれるっていうこってこての恋愛話。まるで初回みたいな話し方だが、それこそ齢が一桁台の頃から聞かされ続けた鉄板ネタだ。


 だがまあ、俺としては何回目だろうと別に遮る気にはならなかったりする。

 これを話しているときのばっちゃまはとても楽しそうだし、もういないじっちゃまを懐かしむという意味でも悪くない。俺がばっちゃまと話すときの恒例行事、所謂夏の風物詩みたいなものなのだから。

 まあ仮にこれを話しているのがクラスの知り合い程度なら、飽きたとばっさり切って他のことをし始めるけどな。


すすむは告白とかされたことねえんかぁ?」

「あー、うん。ないなぁ。都会じゃ俺の魅力は通用しないんだ」

「はえー。すすむはええ子なのになぁ。今は厳しいんだなぁ」


 ばっちゃまの問いに一瞬だけ、瞬き一回分にも満たない程度の間だけ言い淀んでしまう。

 告白、告白ねえ。こっちからしたことは一度もねえが、されかけたことならあったりするからなぁ。

 嫌でもあれはなぁ。実際されたってわけでもないし、そもそも自意識過剰だった可能性すらあるからなぁ。……ま、くだらない冗談だけどさ。

 

「ねえばあちゃん。何か涼しくなる話あったりしない? 心霊的なやーつ」

「うーん。そんなら去年から近所で噂の不審者についてなんてのはどうだいぃ?」


 ちょっぴり心がもやもやしたので、とりあえず都合の悪い恋愛話を逸らそうと。

 まるでお見合い直後の男女みたいな雑さで夏らしい話題を求めてみれば、意外にもそれっぽい話を提供してくれるとばっちゃまは口を開いた。


「なんでも去年の夏頃だったかぁ、季節は忘れちまったがなぁ。この辺りで噂があったのよぉ。夜に一人で歩いていると、制服の女の子からぁ声を掛けられるなんてよぉ」

「ほうほう」

「それで興味が湧いたからぁ、一回試してみたんだがよぉ? そしたら何と、本当に声を掛けられちまったんだぁ」

「ほーう?」


 本当に遭遇したことに頷くべきなのか、それともじゃあ試してみようとなったばっちゃまの腰の軽さに感心するべきなのか。個人的には後者だと思うんだ。

 

「そのはこの辺じゃ見慣れねえべっぴんさんでよぉ? 何されたかと言えばぁ、一つ質問されたんだぁ。『お前は私を覚えているか……?』ってよぉ? それで知らねぇっつったら、その娘は寂しそうな顔をしてすぐ消えちまったんだぁ。後で他の人に聞いたら、近所の連中も会って同じ質問をされたって話なんだぁ」

「……悪ふざけとかじゃないの? 都会育ちの美少女とかが映えを狙ってとかさ?」

「ばえ……? なんかわかんねぇけんど、多分悪戯とは違ぇ。見れば分かると思うんだがぁ、あれは普通の人じゃねえ、親を失った迷子のような、なんかいけねぇものってもんだよぉ」


 ばっちゃまは怖れるように、けれども物寂しそうに思い出しながら話してくるそれに、スイカ一個分の力で少しばかり頭を働かせてみる。

 以前ならただの怪談話で終わるのだが、いろいろと経験した俺的にはいろいろな可能性が頭に浮かんできてしまう。

 もしかして怪異とかなのかな。見えちゃいけない系のあれとか、この辺りにいたりするのかな。久々に体動かせたりしちゃうのかなぁ?


「ねえばあちゃん。それ、どこに行けば会えるの?」

「なんねぇ。変なもんに首を突っ込むのはよくねぇよぉ?」


 そんなあからさまなもんに自分から突っ込んでいったばっちゃまには言われたくないです。

 

「いいじゃんいいじゃん。孫は活動的なんよ。麗しきばあちゃんに似てさ」

「あんれぇすすむぅ。おべっかまで上手くなっちまってぇ。すすむもすっかりぃ都会の荒波に染まっちまっただなぁ」


 ばっちゃまはひんやりとした細い手で俺の頭を撫でながら、若者の成長を寂しく思ってそうな瞳を向けてくる。

 ばっちゃまは昔から変わらない、何かある度にわしゃわしゃしてくる癖がある。まあ俺だけじゃなくて母にもやったりしているし、孫限定のスキンシップとかではないんだろう。人=猫なのかな?


「あんたは爺様似で抑えきれんたちやろうねぇ。行くなら気をつけなよぉ?」

「うん。虫除け忘れなきゃ問題なしさ。なんたって俺、若者らしい成長期だからね」


 楽観のまま最後の一口を喉へと流し込み、口内に残った種を適当に外へと飛ばす。

 我が家の庭を放物線を描きながら落ちる黒粒達。うーん、やっぱ夏のスイカはこうするべきだよね。形式美ってやつだぜ。


 微かな潮風は吹き抜け、上の柱に括り付けられた風鈴が音を鳴らしてくる。

 それはようやく訪れた面白いこと。夏の退屈を紛らわしてくれる、遅すぎる始まりののように思いながら、だらけきった心に少しばかり鞭を打った。

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