恋踏迷宮であの日の続きを

くそみたいな夏の始まり

 さて、今日も一日頑張ったなと。

 溜まった疲労に満足しながら布団に伏したら、次の瞬間には広大な青空に立っていた自分がいたと言えば、果たして世間一般の人に信じてもらえるだろうか。

 

 多分無理だろう。なんせ俺だって自分の目を疑ってしまっている。なんなら目どころか自分に備わっている五つの感覚器を疑ってしまいたくなるくらいだ。

 っていうか、まず空に立っている自分が怖い。もう玉がひゅんってなっちゃってるわ。高いところは得意じゃねえんだぜ、俺。


「やあ少年。来てくれて嬉しいよ」


 景色への恐怖を遮るように、目の前から俺へと声が掛けられる。

 誰に、なぞ野暮なことは言わない。だって俺の目の前──空へ置かれた白いパラソル付きのテーブルに肘を置きながら、そいつは余裕綽々な態度でこちらを手を振ってきているのだから。


「とりあえず座ってくれたまえ。せっかく約束通り秘蔵の品、乾き麦の砂糖漬けを引っ張り出してしたんだからさ。ねっ?」

「……なんか絶望的に美味しくなさそうだな、それ」

「そんなことないさ。さあ、さあさあっ。是非こちらでお茶会といこうじゃないか」


 断っても埒があかなそうだったので、手招きに従って恐る恐るそいつの元へと近づき、テーブルと同じ白い椅子に腰を下ろす。


「食べないのかい? これでも奮発したんだぜ?」


 テーブルに置かれたテッカテカなビスケットみたいなお菓子。林檎飴のビスケット版みたいなそれにはこれっぽちも食欲ををそそられなかったので、妥協で置かれたティーカップを持ち、中身を喉へと流し込む。

 

「……にっがっ!! なんこれ、生のピーマン?」

「おやっ、そっちを先に飲んでしまったのかい? それは苦虎ビーターの毛から抽出したお茶なんだ。ちなみにこの場合、食べ合わせ的な正解は同時に口へ含むなんだけどね? そうすれば互いの甘みと苦みが調和し、実に見事な味わいを醸してくれるんだ」


 何それ初見殺しじゃん。っていうかそれ、優雅なテーブルマナー的にどうなん?


「ま、アリスもマナー的にどうかってあまり好んでいなかったけどね。君と同じさ」

「……俺今、口に出した?」

「いや? だけどここは君の心の内側。所詮は夢に等しい意識と無意識の間でしかない。だから如何に隠そうとも、つい滲んでしまうのが理ってものさ」


 はえー。……何か小難しいこと言って煙に巻こうとしてない? 


「してないしてない。それに心が読めたってさしたる問題ではないんだ。なにせ僕にはもう、それを外部へ漏らす手段がない。所詮は死んだ生き物が残した欠片、魔法に乗せたある人間の残滓でしかないからね。……まあもちろん、心の一部を借りている君という存在を媒介にすれば例外は生まれなくもないんだけどさ」

「ふーん」

「おや、興味なさそうだね。いや、この場合は眠気が勝っているのかな? ま、君の惰眠の邪魔をしたいわけでもないし、そろそろ本題に入るとしようか。ああ、ちなみにこの空が怖いのであれば──」


 目の前の人物は指を鳴らすと、まるで最初からそうであったかのように景色が移り変わる。

 空は花畑へ。澄み渡る青一色だった世界は、数多の色が詰まった絵画のように。


「とまあ、こんな感じで簡単に切り替えられたりもする。あ、この景色については僕の提供だから、何一つ記憶になくても安心してね。そこらにあるのは大概、僕好みの食人花だからさ」


 わおっ、それは中々にグロテスク。真実なんてものは実にバイオレンスの塊ですこと。


「さてさて。それじゃあまずは挨拶だ。久しぶり……と言っても覚えていないだろうから、ここは素直に初めましてだね。僕は*****************と人が嘲笑う存在。そして君が求めて止まない美少女、高嶺たかねアリスの数少ない親友さ」

「……なんて?」

「おや、これは失敬。どうやら出力できていないようだね。君の言語能力を借りて話しているからか、やはりあちらの言葉は伝えにくい。特に癖のある人名なんかは難しいね。……ま、貴方の心に潜む美人お姉さんとでも気軽に認識してくれたまえよ」


 実に軽薄に、まるで吹けば飛ぶような綿毛のように声を出してくるそいつ。

 そうは言ってもなぁ。お前、姿をしながらお姉さんを名乗るのは、流石に無理しかないんじゃないかなぁ?


「ああ、この端麗でもなければ不細工というわけでもない姿のことかい? 別に良いじゃないか? どうせ知る価値のない情報だぜ? 僕の真の姿なんて見ちまったら、それこそ君の一途極まりない純情を横道に逸らしちまうこと間違いなし。僕としても、多感な少年の淡い思春期をもてあそびびたいわけじゃないんでね?」


 真正面にいても決して鏡面ではなく、更に言えば同じ動作を取ることすらなく。

 けれども容姿は俺と瓜二つ。まるで自分の容姿を使ってからかわれているようで、その憎たらしい笑顔につい不愉快な気持ちが湧いてきてしまう。

 だがまあそんなことは十二分に理解しているのだろう。人の心が読めると豪語したにもかかわらず、目の前の俺もどきは心底愉しそうにカップへ口を付け、この一時を満喫しているのだから。


「ま、そんなことはどうでもいいだろう? 事実君だって少々癇に障ってはいるけれど、既に興味はそこにはなく、周りでぴーしゃら喚く**花***ラに興味が移ってしまっている。そうだよね? あの骸の化生モンスターを葬ってから二ヶ月弱。あれから二つの補習を乗り越え、無事に夏休みを迎え、そして今日まで何の進展もなかった、レベル50を継続中な上野進うえのすすむ君?」

「んぐっ!! ……んぐぐッッ!!!!」


 不意に来たとんでもない威力と太さの矢に心が見事打ち抜かれ、思わず頭がテーブルに沈没してしまう。

 なんで、なんでこいつはそんなに的確にっ! 俺の傷を抉ることを軽々しく口にすることが出来るんだっ! 今俺がそれを指摘されたら、こんなにもダメージを受けることなど分かりきっていたことだろうにっ!!


「いやいや、別に貶してなんていないんだ。そもそもどれほど奇縁に恵まれようと、たったの二週間でそこまでレベルの上がる生き物はそういないからね。それこそ高嶺たかねアリスでさえ最初はこつこつ積み上げてきたのだから。つまり、はっきり言って異常だよ。君はさ」


 ちくしょう、踏んだり蹴ったりじゃねえか。このかわいそうな泣きっ面に、異常なんて毒蜂ぶつけてきやがったぞこいつ。でさ。

 

「……おや。君、見抜いていたんだ。或いはこの場で導いたのかな? 相変わらず抜け目ないね。僕よりも詐欺師の才能ありそうだ」


 ずびっ……。何驚いてやがるんだ。こんな簡単な謎解き、多と五才児だろうとちょっと考えれば何となくは察せられるだろうよ。

 それにお前、わざとわかるように匂わせながら話していたじゃねえか。構って欲しくて駄々をこねる、そこいらのガキみたいな気の引き方でさ?


「まあいいさ。そんなひらめきにも意味はないのだし。さっきも言ったけど、結局のところ僕と君との会話は無駄話でしかない。所詮はなくてもいい、コーヒーに付いた砂糖のようなものさ」

「砂糖もミルクもいるだろ。これだから異世界人は。現代にわかで嫌になっちまうよ」

「……めんどっ。あーもうだるくなってきた。少しはまともなアドバイスしてあげようと思ったけど、君がそんな態度ならやめちゃおっかーなー? ちらっ?」


 うっざ。自分の顔でそんな気持ち悪い仕草しないでほしい。それをやって許されるのは、俺の周りじゃ愛くるしい小学生であるかなでちゃんだけだぞ?

 

「へっ、へへへっ……。失礼しやすたお姉さん……。あっ、お茶でも注ぎやすか……?」

「清々しいくらいの掌返しだね。守るべきプライドとかないの?」


 ない、微塵もない。だってお前が言ったんじゃん。ここではどう取り繕おうが無駄だってさ?


「即答。うーん、我ながらよくもまあこんな奴に宿ったものだよ。凄い確率だよね」

「それはどうも。で、なに? どうしたらレベルって上がるの?」

「な・い・しょ♡ 今みたいな調子で頑張れ♡ 頑張れ♡」


 キレそう。俺にくそ胡散臭い女の声出されてることにそろそろ我慢できなくなりそう。


「ま、今回は挨拶だけだよ。ほらっ、そろそろ宴もたけなわ。君が無駄に反応してくれるから、ここも崩れてきちゃったじゃないか」


 ぴしりぴしりと、罅の入ったガラスみたいな感じで世界に亀裂が走っていく。

 なるほど。つまりこれ、睡眠の邪魔をされただけじゃな。俺、この夢で何も得ずに寝不足に陥るってわけじゃな!?


「そこは心配無用さ。次の瞬間には、きっと爽やかな目覚めを迎えることだろう。それこそ普段の睡眠よりも遙かに心地好い一日の始まりだろうさ」

「嘘つけぇ」


 崩壊していく空間の中で、何ら動じずビスケットを貪る名のない自称お姉さん。

 このまま収穫なしは嫌だったので、せめてもの回収だとお茶とお菓子を一片に口に放り込む。

 ……え、うそ。美味しいんだけど。本当にちょうどぴったりで上品な甘さなんだけど。


「さて、じゃあ最後に予言を一つ。これから来る出来事を占って進ぜよう」

「……もぐもぐっ、んぐっ。予言?」

「そうさな。ありがたく思えよ? 僕が無償でてやるなんてこと、天変地異にも等しい奇跡なんだぜ?」


 いや、別に聞きたくないかなって。なんか胡散臭いし、耳を閉じてればスルー出来ない?


「無理かな。聴覚なぞ思考に直接語ればどうとでもなるし。僕のありがたい善意とやらを、精々受け入れてくれたまえさ」

「はいはい。でなに?」

「ごほんっ。予言の*****たる僕が示す。上野進うえのすすむ、閲覧魔法の担い手よ。君はこの夏、一つの過去と向き合わなくてはならない。過去の後悔に決着をつけるため、深い迷宮を潜ることになるだろう」

 

 既になくなりかけた世界の中で、そいつは口調を改め厳粛な言葉で紡ぎ続ける。


「喜べ少年、次の舞台は旅先で君を待っている。君がよく見るネットで流行りな、所謂ダンジョン物ってやつの始まりだぜ?」

「どういう──」


 返事をする間もなく自らの下も崩れ、色すら存在しない奈落へと墜とされる。

 手を伸ばし、問いについて尋ねようと口を開き、そうして──。


「んあっ?」


 次の瞬間には、仰向けで馴染み深い自室の天井へと手を伸ばす自分がいた。

 時計が示すのは七時と四十五分。窓から見える空は青空、つまり天気は真夏らしい快晴であった。


「んぐぅ……くそっ。全然爽やかじゃねえじゃん。詐欺じゃん……」


 寝起きらしい低い声で小さく唸りながら体を起こし、だるさの残った額へ手を当てる。

 こんなにも澄んだ空だというのに気分は最悪。今すぐにでも二度寝したいくらい。夏休み初日の朝はやはりというべきか、どうしようもなく寝不足な気分だった。

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