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 思わず声を失ってしまう。いつもの取って付けたような雑な思考が、ついまともなものでしかなくなってしまう。

 部屋の中央に設置された台座。そこへまるで祀るかのように置かれていたのは、悍ましい瘴気を放つ一本の右足。

 遠くからなのでそれほど断定は出来ないが、恐らく常人の二倍程度のサイズ感くらい。色はどんな不調な人間でも顔には出ない、紫キャベツに黒を混ぜたかのような紫紺の一色。形状も相まって、確かに怪物の足を切り取ったものと理解してしまうものだった。

 

「あれが呪骸ってやつ……? うっそだろおい、あんなの実在していいわけ……?」

「初見でそこまで流暢に述べられるなら上出来です。わたくしとて、初めての際は少し呑み込まれそうになりましたので。きっと一般人なら目視だけで呪いに犯されることでしょう」


 かなでちゃんは小さな歩調で十歩ほど進み、そして行き止まりのように立ち止まる。


「本来呪骸とはその名の通り、呪に染まった者の骸でしかありません。死してなお呪いを振りまくことは当然ありますが、基本的には数年程度、或いは十年単位でしか滞留しないのです。まるで人が心に残した妄念のように」

「ですがこれは別。屍鬼かばねという大化生が死の間際に自らをしかばねとして封じ込め、再び世へ顕現するために固定化された生きた死体。回帰呪骸かいきじゅがい、とでも言い直すべきでしょうかね」


 染み一つ無い小さな腕を伸ばせば、台座を囲む空間に摩訶不思議な陣が浮き出てくる。

 何かは分からないが、触りたくはない雰囲気をびんびんに醸しているそれら。投影した映像とかそういうちゃちでないことだけは容易に想像出来る。

 

「対侵入者用に編まれた迎撃結界十八式。進入阻害、拘束、警報結界がそれぞれ七式ずつ。扉は科学技術と手動の開閉システム用いた管理。そして獅子原ししはら家という本拠地ホームグラウンド。これが現状我が家が出来る、最高の防御機構ですわ」


 手を引っ込めると術式の姿は消えさり、再び部屋が呪骸の放つ雰囲気一色へと戻っていく。

 はえーすっごい。なんだかよく分からないが、これだけ厳重なら問題ないんじゃないの?


「すごいね。けど、これで心配することある?」

「ええ、大いに。現在復旧、及び改修工事の真っ只中な供物殿。我が国が誇る絶対不可侵であった独立管理領域への進入は、こんな一家系が敷ける領域の比ではありませんでしたからね」

「ええ……」


 じゃあ駄目じゃん。こんなの砂場に聳えたお城も同然じゃん。


「供物殿が破られた際、唯一残されたこの呪骸をどこが管理するか十三家で揉めたほどですもの。最終的に霊術なしのあみだくじで決めることになったくらいには」

「あ、あみだくじぃ……?」

「ええ。後に来る可能性の高い失態の押し付け合いのために。情けないことに、これがこの国を守る退魔の現状。供物殿の陥落とは、それほどまでに異例且つ未曾有の危機なのです」


 それは小さな少女が放つべきではない、心底呆れと嘆きが混じったような声色だった。


「壊せないのこれぇ? なんかこう、浄化~って感じで」

「不可能です。かつて屍鬼かばねおに大鴉おおがらすを退けたとされ、帝にすら賞賛されたとされる退魔師白狐はっこ。伝説と肩を並べる者がこの世にいない限りは」


 過去の伝説に並ぶ者と言われ、一瞬脳に浮かんだのは高嶺たかねアリスのことだ。

 復活した屍鬼かばねおにの全貌とやらはこれっぽちも想像出来ないが、それでもレベル1000という反則級チートが膝を突くとは思えない。

 下手をしたら単騎で倒してくれるのでは。ちょっと事情を話して手伝ってもらえば早々にこの一件に幕を引けるのではないか。そんな想像につい縋りたくなってしまう。


「……駄目だぁ。きひっ、それじゃ駄目だなァ」

「……すすむさん?」


 にやけが止まらない。仮面のおかげにかなでちゃんに素顔を見られなくて本当に良かったと思う。

 そうだ。そんなんじゃあ足りない。最強無敵に挑むのならば、この怪物に臆してちゃあいけない。

 何のために強くなるんだ。何を目的にして生きているんだ。

 怪物に挑むのなら、自分も怪物になる覚悟をしなければ。少しでも近づくために、あのご都合主義な女神様デウスエクスマキナに泣きついちゃいけないよなァ?


「うん、いいね。やってやろうじゃん。盗人見つけてみんなでハッピー目指そうぜ」

「……流石はわたくしが見込んだ方。この瞳とカンに間違いはありませんでしたわ」

「あァ。間違いなんかにゃさせねェさ。きひ、きひひひっ」


 先ほどまで感じた恐怖など、最早体のどこにも存在せず。

 そうだ、そうだとも。この身は既に欲望の信徒。破滅への螺旋を転がる岩も同然の命に過ぎない。

 それを忘れなければ、俺はどこまでだって愚かになれる。どんな無茶だってやってのけるはずだ。

 

 名称 屍鬼の右足

 耐久値 1000/10000

 備考 ある武士の末路。最早かつての願いなどどこにもなく。


 最早わざわざ開いた足のステータスも、そして二方向から来る視線でさえ路傍の石程度にはどうでもよく。

 最強への新たな足がかりを前に、心の中で興奮がスーパーボールのように跳ね踊っていた。






 あの真っ白な部屋から立ち去り、無事金持ちの家から脱出した後。

 帰りも送ってもらえるのかなと思っていた俺は、さっきまでとは違う意味で心がドキドキしていた。


「で、かなでちゃん。なんでこんなに人いるの?」

「あら、初めて名前で呼んで下さいましたね。嬉しいですわ♡」


 すっからかんで快適だった行きとは違い、何故か混雑した車の中。

 隣に座る少女に話を振ってみれば、何故か砂糖を音に変えたような甘え声ではにかまれ、もう一方からは反比例した冷たく鋭い視線でちくちくと刺されてしまっている。

 前にはつくさんと同じく黒スーツだが、まったく存じ上げない男女。そして後ろには俺を中央に添えた女子と女性のサンドウィッチとかいう、あまりにも偏った男女比。

 辛いよぉ。ぽんぽんがペインでいっぱいだよぉ。電車の座っているときに女性に挟まれたってこんな辛い気持ちになったことはないんだよぉ。


「っていうかこの人達誰ぇ? お付きの人なの?」

「ええ。後で紹介させていただきますが、この三人こそわたくし直属。我が指に等しい飼い犬たちですわ」


 誇るようにとは少し違う、例えるなら淡々と結果を報告するよう説明してくるかなでちゃん。 

 

「どうもっす~」

「…………」


 男の人は運転に集中しているが、助手席の眼帯を付けた女性は陽気にこちらへ手を振ってくる。

 はえーすっごい接しやすそう。隣のつくちゃんさぁ、少しはあの人を見習ったらどうだい?


「後でねぇ……? ところで一つ聞いていいかな?」

「ええどうぞ。ちなみにわたくしの誕生日は──」

「聞いてない聞いてない。あのさ? 見間違いじゃなければさっき俺の家通り過ぎた気がするんだけど、一体いつになったら降ろしてくれるのかな?」


 止まる気配を一切見せず、窓の外に映る慣れ親しんだ住宅街を走る車。

 いくら近所とはいえ、そろそろ降ろしてくれないと俺も歩かなきゃいけなくなっちゃうんだけど?


「あら、何をおっしゃっているのやら。今日はまだこれからですわよ?」

「いやもう夕方終わるよ? 俺的にはお家帰ってお休みしたいなぁーって気分ですけど?」

「そうおっしゃらずに。今朝改めてお母様に挨拶させていただいた際、どうぞよろしくと任されてしまいましたもの」

 

 あのアマぁ……!! 子供を簡単に売りやがってよぉ……!!


「はあっ、分かりましたよ。付き合いますよ。で、なんで家の前通ったんすか?」

「そんな貴方が見たかった……と言ったら怒りますの?」

「いんや? ただ良い性格してんなーって」


 皮肉に欠片も動じぬ少女を前に、俺は身振り手振りも加えて大げさに降参宣言する。

 あー愛しの家が離れてくぅ。さようなら我がおふとぅーん。どうか次会う日までに母君が干してくれていることを願っておこう。


「で、どこ行くの? 誘ってくれたからにはさぞ楽しいデートなんだろうね?」

「ええ。ですので今しばらくお待ちを。……香雲かくも。後どれくらいで到着ですの?」

「えーっと……大体十分くらいっすかね。それまでしばしお待ちを、少年君!」

 

 香雲かくもと呼ばれた眼帯の女性は、実に快活な口調でかなでちゃんの質問に答える。

 十分かぁ。じゃあちょっと寝てよ。面倒いし。

 どうせ逃げられないと諦めた俺は、両の目を閉じてのんびりと到着を待つことにした。

 授業中も高嶺たかねさんの目が厳しくて眠れなかったし、なんだかんだ疲れてたからなぁ。ふわぁ……何か本当に寝ちゃいそうだなぁ……。


「着きましたよ♡ 起きてくださいな♡ ふーっ♡」

「うひぃ!!」


 微睡みに意識を堕とす間際、突如耳元を刺激した小悪魔天使の激甘な囁き。

 吹きかけられた吐息に体は飛び起き、無事に意識は再覚醒を果たす。


「おはようございます。到着致しましたわ」

「あ、そう。……もうちょっと普通に起こせない?」

「嫌です。さ、向かいましょうか」


 香雲かくもさんに外から扉が開けられ、かなでちゃんは笑みを浮かべながら車から降りていく。

 ふう……。何か目覚めちゃいそうだったぜ。今のボイス、ASMR目覚ましとして発売してくれないかなぁ。


「惚けるな。早く降りろ、上野進うえのすすむ

「あ、はい」

 

 つくさんの夢から覚ますような厳しい一言に正気に返り、急かされるまま車から出る。

 そこに広がっていたのは、なんというかぼろ……風情のあるアパート。

 ……いや止めよう。流石にフォローなんて出来やしない。これはもうボロアパート、とてもあの豪華な本邸に住めるような人間が使うような施設じゃない建物だ。


「こ、ここなのぉ? うそぉ……」

「歓迎しますわ。とはいっても、昨日振りですのでお帰りなさいの方が適切なのですが」


 あまりの現実に確認を取ってみるも、残念ながらかなでちゃんは間違いではないと告げてくる。


「築二十年、全五部屋。見かけにそぐわずお手洗いもお風呂も完備。人払い、防音、視覚偽装の結界搭載。更には冷暖房も全部屋に設置済み。この質素な雰囲気はご愛敬ですわ」

「どうぞ寛いでくださいな。ここがわたくしが所有する中で一番好みな安全領域。その名も安寧荘あんねいそうですわ」


 意気揚々と説明してくれるかなでちゃん。

 ……薄々感じてたことだけどさ。さてはこの娘、容姿の割に結構独特の感性をお持ちですね?

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