ここで一句

「えー、ですから水素というのは、つまりでして──」

「ふわぁぁ」


 寝ぼけ眼を擦りながら爺の授業を聞き流していると、つい大あくびを漏らしてしまう。

 あー眠い。結局昨日は朝帰りになっちまったからなぁ。……昨日なぁ。


「はあっ……」


 あまりに溜まった鬱憤をため息として零してみれば、隣の席から生じた同じような嘆きと重なってしまう。

 あら、今日も変わらず峰麗しき高嶺たかねのアリスさんも現実に嫌気が差しちゃったりしたんかな?


「……眠そうですね。何かありましたか?」

「ん、ちょっと朝帰りでね。後短期バイト的なもの始めたからちょっと鬱って感じ」


 授業の妨げにならないよう、なるべく小声で内緒話を続けていく。

 外見だけ知っている人からすれば意外かもしれないが、高嶺たかねさんはその辺案外緩かったりする。昔から窓際に咲く孤高の華って感じで仕切りたがりな委員長気質ではないんだよな。


「……バイトですか。コンビニとかでしょうか」

「内緒。けどやましいことはないよ。普通のバイトさ」


 高嶺たかねさんは心配そうな目を向けてくるので、ちょっと手振りも添えて安心させる。

 ま、実際はやましいことだらけの嘘だけどね。わざわざ馬鹿正直に愚痴るほどじゃないでしょ。


「だからお願い。ちょっと寝るからちくんないでほしいなって」

「それは駄目です。授業はしっかり受けて下さい」

「ちぇ、厳しいなぁ」


 反省した素振りで会話を終わらせつつ、頬杖を突いて前を向き直す。

 あーなんでこんなことになったんだろうか。俺はただ、日常の中でせっせとレベルを上げていただけなのねぇ。






 獅子原奏ししはらかなでが持ちかけてきた取引。それは突き詰めてしまえば、自らの手駒になって欲しいとそういう類のことだった。


『現在この街は危機に見舞われています。もしも全てが手遅れになれば、それはこの街だけでなく県を超えた災害となるでしょう』

『厄の名は屍鬼かばねおに。千年も前、平安の世に恐怖をもたらした大化生、そんな怪物が復活しようとしているのですわ』


 かなでちゃんは俺への悪戯の時とは違い、実に真剣な表情でその名を口にした。

 まるで怖れるように。或いは心の底からの苛立ちを込めるかのように。

 彼女の話を聞いてなお、未だ俺にはその怪物の脅威を想像出来ないが、それでも放置していればこちらもいずれこちらも巻き込まれるであろうことだけは理解出来た。


『当然獅子原ししはらも、そして国直属の退魔師も動いてはいます。ですが現状は芳しくなく、猫の手も借りたいぐらい人手不足なのです』


 なるほど。ようは経歴不明のグレー人間であっても頼りたいほど、今は藁にも縋りたい的な状況らしい。

 だがここで疑問が生じた俺はつい尋ねてみた。裏の規模とやら知らないが、仮に地域を任される大家がそんな大事を前に人手不足というのは如何なものだろうかと。


「返す言葉もありません。お恥ずかしい話ですが、今の獅子原家は当主争いで少しごたついておりますの。せめて父上が壮健であれば、まだ一丸となってこの危機に立ち向かえるのですが」


 悩ましげに憂う少女。歳は知らないが、こんな小さな娘が悩むのは俺でもお労しく思ってしまう。

 うーんこの。やっぱそういうところがお家争いに忙しいってのはお約束なんだなぁ。


『まあわたくし共の身内事に関わらせる気はないのでそこはご安心を。貴方に協力して欲しいのは屍鬼かばねおにの呪骸、及びそれを所持する輩の捜索ですので』


 ま、その辺は心配ご無用ということらしい。いやー良かった。流石にそんな面倒事は御免だしね。


 つまり要約すれば、俺達が手を結ぶ理由は屍鬼かばねおにの復活阻止のため。その捜索に協力し、情報共有することでこの街を守りましょうってことだ。

 実に分かりやすくて結構だが、正直頷いていいのかは少し悩んだ。なんせついさっきまで殺し合った相手のお上、状況も相まって未だに信じていいのか測りかねていたからな。

 

 しかしかなでちゃんは周到で、そんな俺の思考すら想定内だったらしい。


『悩むのも当然。ですので報酬を設けます。もし協力して頂けるのであれば、わたくしに出来る範疇で何でも一つ叶えましょう』


  ん? 今何でもするって?(適当) 

 ……いかん止めよう。相手が相手なだけに犯罪臭がするわこれ。

 

 とまあそんな誘惑で乗っちまったわけですよ。実に軽く了承して、何を頼むかは保留にさせてもらったけど。

 いやー楽しみ。お金とかお金とかお金とか、候補はいろいろあるけれどなぁに貰おっかな~?


「来い。仕事だ」

「はい……」


 で、現在時間は十七時過ぎ。今日も無事に放課後を迎えた俺ですが、こうして黒い車で三十分近くも運ばれているというわけですよ。ふえぇ……。


「あのー、一体どちらまで……」

「…………」

「あ、はい。無視ですか、そうですか……」


 うーん気まずい。この苦しい空気、変わりゆく風景を見てるのにも限度が来ちゃいますよ。

 運転手は俺を車へと誘った(強制)のは、スーツのよく似合う背の高い大人の女性。ステータスを覗いて名前を確かめてみれば、昨日ぶん殴ったつくという方らしい。

 こんな綺麗な人を殴ったのか俺。……ま、あのBBAのり子も素の外見は整っていたし、容姿で罪悪感を変えるのはちと筋が通らない。殺し合いだったってことで気にしないでいこうか。


「もうすぐ着く。それを着て準備しろ」

「あ、はい」


 うたた寝でもしようかなとか思っていると、アイスピックみたいに尖った声が車内に響く。 

 怖いよぉ。やっぱり昨日のこと怒ってんのかなぁ。どっちかって言えば先に仕掛けてきたそっちが悪いんだし、大人らしく喧嘩両成敗で終わりにしてくれないかなぁ。

 そんで着るってこれぇ? この黒いローブとどっかの屋台で売ってそうな狐のお面のことぉ?


「あの、お面はどういう……」

「質問するな。黙って着ればいい」


 ちょっとした疑問すらもばっさり一刀。流石に温厚で名の通った俺でもむかっとくるぜ。


 名称 ローブ

 耐久値 30/30

 備考 世にも普通な黒い服。効果はないよ。


 名称 仮面

 耐久値 10/10

 備考 顔を隠すも尻隠せず。それしか出来ないお面です。


 わおっ、何の変哲も無い仮面。激安のテーマパークことドンキビーノでも買えちゃいそうだぜ。

 

 正直邪魔だし若干暑いしで着たくも付けたくもないのだが、妥協する自分を褒めつつ装着していく。

 うーん厨二チック。つい悪しき日の思い出が蘇ってきちまうぜ。……我が名は闇の使徒、ダークカイザルシュ──。


「着いたぞ」


 あ、はい。なーにやってんだろ我。まったく、黒色が放つ魔力ってのは計り知れないぜ。

 気恥ずかしさと気まずさの渦に囚われていると、左側のドアが独りでに開く。

 はいはい出ろってことね。わかりましたよ、とっとと出たら良いんでしょ。ルームミラーにしかめっ面が丸写りですよっと。

 不満を抱くも声には出さずに車から降り、えらく久しぶりな外の空気を体に循環させていく。

 あー酸素が美味しいぃ! 心なしか地元の空気とは違う気がする、知らんけど。


「付いてこい。お嬢様がお待ちだ」


 一言のみを俺に向け、すぐさま歩き始めた彼女の後ろを付いていく。

 周囲はなんというか、こんな巫山戯た格好で歩くには場違いとしか言いようのない厳かさ。

 あれだ。ドラマとかでよく見る、政治家とかヤの付く悪党のドンみたいなほんまもんの金持ちが住んでいる感じの住宅街。だって一軒一軒おうちがでかいしお庭があったりするんだもん。


「で、今からどこ行くわけ? いい加減教えてくれてもいいじゃんかよ」

「……獅子原ししはら家の本邸だ。本来なら貴様が立ち入る機会などない場所だ」


 いちいち辛辣だなぁ。……いや、いっそこの方がわかりやすいし気負わなくていいのか?


「一つ言っておくが、私は貴様を信用していない。少しでも不審な挙動を取ってみろ。命は無いと思え」

「……ちょっと厳しくない? 昨日熱い夜を過ごした仲じゃんかよぉ」

「……やはり信用ならん。まったく、何故お嬢様もこんな輩と手を結びになったのか」


 ほらそこっ、失礼極まりないですよ。陰口なら本人のいないところで漏らしなさいな。

 

 こっちも口を悪くしてやろうかとも思うが、言い返すのも馬鹿らしいし気にしないことにする。

 仮にも大人がその態度はどうかと思うが、まあ相手が嫌いなら仕方ない。俺も小学校時代、いじめっこの高橋君には結構露骨な態度取ってたし。

 それにほらっ、俺は我慢の出来る大人なので。俺はお姉さんよりー、心がおーとーなーなーのーでー! べーっだ!!


 愉快な内心とは違い、無言のまま少し歩くとなんか一際大きい門を構えた屋敷が目に入る。

 門前には二人ほど人影が見え、それが何故か見覚えのあったりする。

 え、まじ? まさかここが目的地なわけですか? そら確かに縁ない場所だわなぁ。


「あらっ、ちょっと失礼。来たのねつく、ご苦労様」

「遅くなってしまい申し訳ございません。お嬢様、こちらの方は……」


 こちらに気付いた二人のうちの一人──上品な青のワンピースを着こなすかなでお嬢様が手を振ってくる。

 あら可愛い。……じゃなくて問題はそっちじゃなくてもう一人のロリ体系の方。かなでちゃんと俺の中間ぐらいの身長のくせに、つくさんみたいに黒スーツを着こなす女だ。


「ええ。こちらは高月たかつき様です。四草しのくさからの退魔師ですわ」

「初めまして。高月たかつきです。……あの、そちらの方は?」


 つい昨日の醜態とは異なり、まるで礼儀を知っている社会人のように挨拶してくる女性。

 ああ由奈姉ゆなねえ 何故由奈姉ゆなねえが ここにいるん?(字余り)

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