ある勇者の憂鬱

 都会の喧噪から少し離れ、静まりきったビルの屋上。

 そんな埃と孤独に塗れた場所には相応しくない制服姿で、美少女──高嶺たかねアリスは疲れと艶めかしさの入り交じった吐息を空へ零す。


 高嶺たかねアリスは秘密がある。それが彼女が異世界召喚され、世界を救った勇者であることだ。

 土日に一回ずつ。何の切っ掛けもなくたった一人で召喚された彼女は一度目は三年、二度目は一年で偉業を成し遂げ帰還した。

 戻ってきても肉体は歳は取らず。未だ体は土曜日を迎える前の小娘でありながら、四年の年月を修羅場を乗り越えた彼女は、まるで役目を終えた主人公のように元の学生生活へと戻れる。そのはずだった。


 ──けれど現実は違った。平穏だと思っていた自分の世界ですら、この世は未知に溢れた箱庭だったのだ。


「やあ。待たせたかい?」

「……ええ。すぐさま帰ってしまいたいくらいには」


 高嶺の背後へと着地し、デートの待ち合わせであるかのような軽い口調で高嶺へ声を掛ける男。

 まるで若獅子のたてがみのような金に染まった逆立ち髪。170㎝と女性では長身な高嶺よりも背は高く、それでいて日頃の鍛えが目で分かるほど引き締まった体。

 彼の名前は獅子原司ししはらつかさ。異世界からの帰還後、高嶺アリスが初めて遭遇した化生、嵐蜘蛛らんぐもと呼ばれる怪物を討伐した際に出会った退魔師であった。


「それはすまない。ちょっと爺様方への報告が長引いてね」

「どうでもいいです。貴方の事情など露一粒分すらも」

「ははっ、手厳しいな。……じゃあ行こうか。付いてきて」


 高嶺のそしりを軽く流し、空へと飛び上がる獅子原。高嶺は彼が飛び去ってから一拍置き、それに追従するよう地面を蹴る。

 屋根から屋根へ、まるで瓦を駆ける忍者のように。

 誰かの建物しぶつを踏み台にしていくことに少しの罪悪感を覚えながら、それでも足を止めることはなく。風を切るほどの速度に見合わず、夜の散歩同然の気楽さで目的地までひた走る。


「ここだよ。この建物さ」


 軽い音で着地した獅子原に合わせるように、高嶺も静かに足を止める。

 立ち止まったのは薄暗い雰囲気を漂わせる廃ビル。外観のぼろさは目を引くけれど特別珍しくもない、都会であればどこにでもありそうな施設の成れの果てだった。


「最近ここら周辺で穢れだまりの出現が増加してね。少し奇妙に思って調べたところ、見事このビルが発信元であると掴んだのさ」

「……調べた、ですか。苦労したのは貴方でなく、後ろと上で見張っている彼らでしょうに」

「ははっ、相変わらず手厳しい。そこはその優秀な部下を持つ人望と俺の勘を褒めて欲しいところだね」


 獅子原の爽やかな返しに欠片も口を開くことはなく、高嶺はその建物へ目を向ける。

 不良の溜まり場程度の価値しかなさそうなただの廃ビル。けれど少し探れば、確かにおどろおどろしくヘドロのように粘ついた気配が滲み出ている。

 間違いなく何かいる。何も知らぬ無辜の人々に害を為し、野放しには出来ない悪しき存在が。


「さあ行こうか。今日も頼むよ、高嶺さん?」

「……ふん」


 掌を入り口へ翳す獅子原に小さく鼻を鳴らし、一瞥すらせずに建物へと入っていく。

 かつかつと、叩くように響く足音。

 外よりも更に薄暗い屋内。窓から月の光が入っているにもかかわらず、それ以上の暗さが周りを染め上げている。この気配も相まって心霊スポットとでも噂されていたのだろう。

 とはいえ特に臆する要素はない。高嶺アリスにとって、こんな暗いだけの場所など都会の闇と大差ないのだから。


「少しペース速くない? もしかして、さすがの高嶺さんでもちょっとびびっちゃったり?」

「……鬱陶しい。それ以上不快な声を漏らすのであれば、口ごと縫い潰して帰りますよ?」

「あらら。じゃあ今はチャックしておかないとね」


 高嶺が苛立ちを声に表せば、ファスナーを閉めるような動きをして口を閉じる。

 口と家柄だけは達者な弱い男。そのまま必要以外は沈黙を貫いてくれればいいのに。

 戻ってきた静寂に少しだけ気持ちを穏やかにしながら、変わらぬ歩調で階段を上って気配の濃い部屋の前へと到着する。


「ここだね、一際強い悪気は。地縛霊でもなければ相当な負念が溜まっているよこれ」

「どうでもいいです。入りますよ」


 心の準備をしたそうな獅子原を無視しながら、錆がこびり付く扉を蹴り飛ばす。

 鉄の塊は勢いよく壁へと激突し、建物を揺らしながら重く鈍い音を響き渡らせた。


「わおっ。……わざわざ蹴る必要あった?」

「触ると手が汚れるので。後始末は貴方方でどうぞ」


 八割の事実を淡々と告げ、高嶺はそのまま部屋へと踏み入る。ちなみにもう二割は嫌がらせだ。


「いましたね。で、どうですあれ。自分でやれますか?」

「無理かなぁ。悪いけど頼んで良い?」

「……はあっ」


部屋の右端に蠢く禍々しい靄を指差し尋ねるが、返ってきたのは苛立ちをそそる否定のみ。

 まあその言葉は予想はしていた。なにせ軽く見ただけでも差のある存在の密、少し才に恵まれただけのこの男では歯が立たないだろう。

 

 吐けども湧き上がる呆れに嫌気が差しながら、ゆっくりと、靄へ向かって進み出す。

 三歩ほど進んだ頃、靄は高嶺を呑み込まんと急速に形を広げていく。

 まるで巨大な虫の群が獲物へ迫るかのよう。

 それは足を踏み入れた餌への歓喜か、それとも敵対への警戒か。或いは本能から来る怖れか。


 いずれにしてもどうでもいい、最早答えなど必要ないこと。

 靄は選択を間違えた。攻撃よりも先に、例え土地に縛られていようと逃げる意志を見せるべきだった。

 例え相手の正体を知らずとも。高嶺アリスを自らの領域に招き相対した時点で、既に結末は決まっていたのだから。


ピュア


 目前まで迫る靄に構えすら取らず、高嶺はたった一言に魔力を乗せる。

 刹那、靄の中心を食い破ぶるように溢れる白光。

 この暗闇に慣れた目を焼きそうなほど眩しいその光は、瞬く間に靄を霧散させ無に帰した。


「……あの強さの霊を一撃。さすが、圧倒的だね」

「どうも。では帰ります。お疲れ様でした」

「あー待って待って! まだ少し話あるから!」


 用は済んだと踵を返し、早々にこの場を去ろうとした高嶺を呼び止める獅子原。

 高嶺は小さく舌を打ち、一切の苛立ちを隠そうとしないまま、それでも足を止めて男の方へ振り向く。

 

「なんです? これ以上、貴方の尻ぬぐいに無駄な時間を割きたくないんですが」

「連れないなぁ。仮にも取引を交わした仲じゃないか」

「そう、それだけの関係です。まあもっとも、今となってはそれすらも後悔していますが」


 馴れ馴れしく話す獅子原に、高嶺の言葉は尚更に声を低くなる。

 用件は為した。別にこの後に予定など無いが、それでもこいつに掛ける一分一秒すら勿体ない。

 だがもし仮に聞いておいた方が話であればと、そう思ってしまえば足を止めざるを得ない。

 何せこの男の失態はやがて自分に、そして自分の生活範囲である街に影響を及ぼしかねないのだから。


「今回は外れだったけど、供養殿から持ち出された屍鬼かばねおにの呪骸の封印が解けかけているのは事実なんだ。だから君の強さを見込んで取引した訳だけど」

「ええ。私がその怪異の対応に手を貸し、貴方が私の日常を巻き込まないよう取り計らう。それが私たちの結んだ契約です。まあ、貴方は今日僅かに侵してきましたが」

「ははっ、ごめんって。まさか君にあんな場所で話す友達がいるとは思わなかったからさ」


 実に軽薄な獅子原の言葉が紡がれる度、高嶺の苛立ちは風船のように膨れていく。

 本題に入るまでが長いことこの上ない。おまけに聞いているだけで不愉快な気持ちになってくる。

 まるで昔揉めた自己中海魔オンチセイレーンの奇声のよう。あの階段で過ごした休憩時間の心地好さとは雲泥の差だ。

 

「で、明日四草しのくさ……外部から腕の立つ退魔師がこの街に来るんだ」

「……はあ。で、それを聞いて私にどうしろと?」

「気をつけてねって話さ。ほら、さすがに関係者に目撃されてしまえば俺もフォローは難しいから」

「……そうですね。私としても、不要なごたごたは避けたいですし」


 獅子原の話を聞き、少しだけ考えるもすぐに結論を出す。

 ただでさえ面倒だというのに、これ以上余計な問題を抱えたくはないのは事実。ようやく戦いから抜け出したというのに、この世界でも使われるのは御免なのだ。

 最悪全部消し飛ばしてしまえばそれで解決するのだが、それが通じるのは異世界だけだ。

 もしいらぬ罪まで背負い、日常まで滞ってしまえば学校にも通えなくなれば。

 そうなれば唯一と言っていい、変に気負わなくていい友人と会う時間すら無くなってしまう。それは自分としても嫌だった。


「……本当に気をつけてね? その人マジで強いから」

「ええ。それだけですね? では帰りますので」


 男との会話を切り上げ、高嶺は早々に用の済んだ部屋から立ち去り帰路につく。

 異世界から帰り、たまたま強い力を感じて向かってしまったせいで始まった面倒事。叶うならばあの日に戻り、関わる前の自分を止めてやりたいくらいだ。

 嗚呼、こんなはずじゃなかった。折角彼と同じ高校に通い、隣の席になれたというのに。

 

「……ままならないものですね。本当に」


 まだ少しだけ冷える夜風に打たれながら、また一つ空へとため息を零す。

 高嶺アリス。異世界帰りの勇者は今日もまた、平穏からほど遠き日常に嫌気が差したのだった。

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