第14話 F65

 朝に目を覚ますと、カーテンの隙間から外の光が漏れていた。

 なんとなく早朝というかんじではなくて、九時とか一〇時というくらいのかんじ。

 すぐに寝る前の記憶が浮かび上がってくるけど、いったいいつ寝たのかが記憶にない。


 同時に、途端に僕の胸は鳴り始める。ふと横を見ればレイラが寝息を立てているんだから。

 無意識に胸元を見ていた僕は、そんな自分に気づいて視線を天上に向けた。

 見たいか見たくないかといえば、そんなの答えは決まっているよ。

 でもそれでどうするかっていうのは話が別。

 そんな視線を向けることはいいことじゃない。そう思っているのに知らない間に見てしまっていたのだから、なんて難しい問題なんだって思った。


 最後に記憶があるのは、レイラの胸の音を聴いていたこと。

 今寝ているレイラはTシャツを着ているから、僕が先に寝てしまったんだろう。

 昨日のASMRはすご過ぎて、僕の人生は終わるのかと思ったけどそんなことはなかったみたいだ。

 今思ってもすごかった。きっと僕の人生のなかで、生でASMRをしてもらうなんてことは二度とない。

 近いことがあったとしても、それは美容院のシャンプーやヘッドスパ。

 あと可能性的にあり得なくないことは耳かきってところだと思う。

 昨日のような生でのASMRなんて、されたことある人はいるのだろうか?


 

「っ――――」


「――どうして翔也くん、いい匂いがするの」



 まだ寝ぼけ気味な口調でレイラが抱きついてきて、顔をくっつけてぎゅーっとしてくる。

 当然そんなにくっつけば触れてしまうのに、レイラは気づいていないのだろうか?

 まだ起きた直後で、そんなこと考えもしないのかもしれない。

 僕の腕ごとくっついてきているから、僕の腕はレイラのF六五に圧をかけてしまうことに。

 圧力が加わればTシャツを押し上げている胸は逃げるように形が変わる。

 そのやわらかさがなんなのかは、無意識に見てしまう僕にはすぐにわかった。

 でもそれを言う勇気なんて僕にはない。それを言うってことは、僕がレイラの胸を意識していると言うようなもの。

 だから僕は努めてそんなことには気付いてないように振る舞う。



「洗濯した匂いっていうことですか?」


「――――ううん、翔也くんの、匂いがする」



 どうやら悪臭とかではなくって、レイラは僕の匂いがいい匂いで寝間着を嗅いでいたっぽい。

 臭くてチェックされていたとかではないみたいなので、その点においては安心でもあった。



「…………」



 動けない。レイラが僕に顔を埋めていて動く気配もない。

 レイラが家に来た日から非現実的なことが起こっているけど、昨日からそれはさらにエスカレートしている気がする。

 なにかがおかしいとしか思えないでしょ。そうじゃなきゃこんな状況はあり得ないんだから。


 ぐうぅぅぅー。


 レイラのエメラルドグリーンの瞳が見上げてきた。



「翔也くんのお腹が、お腹空いたって言ってるね?」


「あんまり僕は感じてはいないんですけどそうみたいです」


「せっかくお休みだし、カフェとか行く?」


「そうですね。じゃぁ行きましょうか」



 二人で起き上がると、ベッドの下に置かれている箱が目に入った。

 綿棒とか耳かき、オイルだとかASMR用だと思われる道具がある。

 綿棒一つにしても、そこには五種類の綿棒があった。



「あ、片付けておくの忘れちゃった」



 そのなかで手前にあったジェルボールだと思われるのを手に取る。

 ぶちゅちゅぶじゅぅぅ~。……おかしい。

 もう一度握り込んでみる。ぎゅりゅぶちゅぅうぅぅ~。



「……たぶんこれ、配信でジェルボールって言っていたやつですよね?」


「ふふ、う、うん」



 レイラがちょっと笑いながら肯定する。だけどレイラが出していた音とまったく違う。

 僕が出したジェルボールの音は、まるで内蔵を握り潰しているような音だ。

 とても水のなかにいるような音なんかじゃない。



「こうやってやるんだよ」



 レイラがもう一つのジェルボールを握り込むと、確かに僕が聴いていたジェルボールの音が出ている。



「――――」



 ぶぶちゅぶじゅぅぅ~。僕の手からはまたもバイオレンスな音が出ていた。

 ただ握り込めばいいというものではないようだ。


 着替えを終えた僕たちは、並んでカフェへと歩く。

 レイラのタワーマンションはわりと駅近で、徒歩圏内でほぼすべてがそろうような場所だ。

 カフェにしてもどこに行こうかと選べるくらいにはお店がある。

 僕の実家とは違って、どこもスタイリッシュでオシャレだ。



「今日はお一人じゃないんですね?」


「え……えっと」



 注文でレジに行くと、レイラは男の店員さんに話しかけられた。

 だけど途端に緊張しているのか、言葉が少なくなる。

 視線も下に向いていて、配信で言っていたようにコミュ障気味みたいだ。

 初めて会ったとき若干そういうところは感じられたけど、ここまでじゃなかったので本人が言うほどではないのかもと思っていたんだけど。



「…………」


「「っ――――!」」



 レイラが僕の小指を握ってきて、心臓が飛び出そうなくらいドキッとする。



「一緒に、頼も」



 すぐ前にいる店員さんの顔がムスッとしていた。

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