第81話 不束ものですが
【死に戻り】と【闇魔法】はニックのアイデンティティだ。
自分の事を特別だと思える、掛け替えの無いスキル。
この取引の申し出がループ前ならば、一笑に伏した事だろう。
だが、今は差し出す事にためらいは無かった。
数十年間何もできず、エリクサーのプールの中で過ごす要因こそ、【死に戻り】だというのなら──。
そんなものに、これ以上執着する理由は無い。
ただそれでも、ニックは生きることを諦める、その踏ん切りがなかなかつけられない。
「わかった、スキルは【譲渡】する。た、ただ、命だけは、命だけはどうか⋯⋯! いや、命と言ってもこんなプールの中じゃなく、そうだ、私は娘がいるんだ、まだ娘には、父親が必要なんだ!」
愛娘まで引き合いに出す、哀れな男の嘆願に、東村はしばし考えたあと「はーっ⋯⋯」と面倒くさそうに溜め息を吐き出し、ヤレヤレといった感じで言った。
「なら約束はできないけど、希望はやるよ」
「⋯⋯き、希望?」
東村は【アイテムボックス】を開き、空いた左腕を突っ込んだ。
そのまま、ニックから奪った両手両足を、プールへと投げ込む。
「スキルの【譲渡】を確認したらさ、お前をこのプールに落とす。頑張って手足繋げば生き残れるんじゃね? それでいい? 邪魔はしないし、お前を俺の手で直接殺したりしないってぐらいは約束してやるよ」
「ほ、本当に⋯⋯?」
「まあ、疑うなら別に。スキル寄越さないなら手足回収してプールにドボン、それだけの話だし」
「し、信用します、そ、それで構いません、ど、どうかそれで!」
「俺は一切助けないよ? いい?」
「は、はい!」
ここは信じるしかない。
ここまで東村には散々な事をされてきた。
だが、一つだけ、縋る要素がある。
こちらを誤解させるような言い回しが多数含まれるものの、この男は、これまで嘘を一切
この提案にも、恐らく何か裏はあるのだろう。
だがそれでも受け入れる価値はある。
胴体だけの状態で泳ぐのは困難だろう。
だが、【身体強化】を使い、這いずり回るように動けば、長い時間を掛ければ手足の回収は可能なはずだ。
回収さえすれば、プールに満たされたエリクサーによって手足は繋がる。
「ほら、じゃあ譲渡しろ」
「は、はい!」
言われるがまま、【死に戻り】と【闇魔法】を譲渡する。
東村は満足そうに「うんうん」と頷いてから、ニッコリ笑って告げた。
「あ、ちなみにこのプールの中、エリクサーじゃないよ? ただの水ね?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯はっ?」
水?
なら、このまま中に落ちてしまうと⋯⋯。
「お前がどうやって手足繋げる気かわからないけど、まあ、頑張って」
「だ、騙したのか!?」
「いや、俺ちゃんと『プールに百年浸かれる権利』って言ったよ? まああくまで権利だから、そうしたきゃどうぞって話だけど。ただ、これがエリクサーだなんて一言も言った憶えはないね」
言われてみれば、東村は【死に戻り】や寿命にエリクサーは効果がない、という話をしただけだ。
それを勝手に『死ぬまでエリクサー漬け』だと誤解したのは自分、と言えばそうだろう。
だが──。
「そ、そんなの、この状況なら、誰だって」
ニックの抗議に、東村は呆れたように言った。
「そもそもこの量のエリクサーは、さすがの俺も用意できねーよ。国家予算くらい必要だろ、そんなの。ちゃんと考えろよなぁ?」
「お、おま」
「まあこの状況なら死に戻ったところで、お前またここに喚ばれるわけで、どっちみち詰みなんだからさ、まあ怒るなって」
結局の所、この男に誘導されたのだ。
悲惨な未来を想像させたうえで、そこに希望を与えるフリをして、スキルの譲渡を促す──。
自分は恐怖に負け、アッサリと、自らのアイデンティティを差し出してしまった。
──詭弁を弄し、希望を餌に魂を搾取する男。
そう、詰んだのは今の状況じゃない。
おそらく、この男の標的になった、その時なのだ⋯⋯。
「や、やめて⋯⋯」
「バイバーイ!」
東村は別れの挨拶をすると、ニックをプールへと投げ込んだ。
バシャンと水音が弾け──手足の無いニックはそのまま沈んでいく。
エリクサーの水槽に浸かっていた時に感じていた息苦しさとは違う、確かな感覚。
そう、確かな──窒息の感覚。
「ご、ゴボゴボゴボゴボ⋯⋯」
肺の中に水が流れ込んでくる。
手足を失った状態では、ただ沈むに任せるしかない。
ニックの意識は暗転し、そして──。
──────────────────
気が付けは、ニックは再びあの部屋に戻っていた。
エリクサーが入った水槽のある、あの部屋。
手足は──繋がっている。
ただ、身体が思うように動かせない。
だがそれでも生きている、その事実にまずはホッとする。
結局、東村忠之が自分を助けた、という事だろうか?
いや、そうに違いない。
でなければ説明がつかない。
命まで奪わなかった理由は何か、と、ニックが考えを巡らせていると⋯⋯。
バタンとドアが開き、男が入って来た。
かなりの大男だ。
「おお、あの野郎が言ってたように、良い男がいるじゃねぇかぁ!」
ニックは男の事を、何故か知っていた。
相手は刑務所に入っているはずの凶悪犯。
──ある犯罪で、白人の男だけを執拗にターゲットにして犯行を繰り返したと、ニュースにも取り上げられたハズだ。
「へへ、お前動けねぇんだってな。へへへ⋯⋯」
男は舌なめずりすると、懐から注射器を取り出した。
「あの男が言うにはよぉ、これは『ドラゴンでさえ発情しちまうヤバい薬』だってよ、へへへ、楽しもうぜぇ?」
ニックは今置かれた状況について悟り始めていた。
「や、やめろ」
身体は動かないが、何とか抵抗の声は出せた。
ただ、男はニックの制止など聞く耳持たず、腕に注射器を刺した。
「へへ、大丈夫だって、オレは上手いからよぉ。ノンケのお前でも天国に連れてってやるよ」
「や、やめ、やめ」
しばらくして、身体が熱くなる。
興奮を覚える状況から程遠いはずなのに⋯⋯抑えられない。
男はこちらの下半身を見て──目を輝かせた。
「おっ? やる気になってくれたみてぇだなぁ、嬉しいぜ? ただ俺は刺されるより刺す側なんだ、わりいな」
身をよじりながら、にじり寄ってくる男の手に抵抗する。
ただそれも、どうやら相手を喜ばせるだけのようだ。
「へっへっへ、さっさと観念してこっちにケツ向けろ、この白豚野郎。初めてか? 力抜けよ」
抵抗虚しくベルトが外され、身体をうつ伏せに転がされる。
男はズボンに手をかけた。
いよいよとなった状況で、ニックは叫んだ。
「そ、そうだ!
「ノォオオオーーーーーーッ! アァーーーーーッ!」
────────────────────
「ねぇ、灘さん。ニックの奴に、【催眠】でどんな幻覚見せてんの?」
【催眠】のスキルで、ヤツに幻覚を見せている灘さんに聞いた。
視界の先には、何だか気持ち悪くハアハア言いながら、腰をヘコヘコさせているニックがいる。
「BL⋯⋯ってやつですかね?」
彼女は質問に答えると、クスッと笑った。
灘さんの【催眠】は、来栖くんたちの転移を目撃した生徒らの記憶改竄なんかにも使われたらしいが、こんな使い方もできるらしい。
自由に記憶や幻覚を見せられるってんだから、結構強力なスキルだな。
俺も欲しい。
「BL⋯⋯ねぇ? 俺はちょっと専門外だなぁ」
何だか1人で悶え「んっ! んっ! アオッ!」と呻きながら、腰を地面に何度も押し付けるように動かす男を見ながら、俺は口元に苦笑いが浮かぶのを感じた。
「まあ流石に、SACA日本支部長に今死なれると困りますし⋯⋯ね?」
そう。
ニックは最近渋谷さんと接触したばかりだ。
それにSACA側には、田辺先生に関する情報は当然共有されているハズ。
この状況でニックが行方不明にでもなれば、特対の関与は間違いなく疑われる。
それは流石に、俺の知ったことではない、とはいかない。
そこで、以前灘さんが生徒の記憶を改竄したって話を思い出し、協力をお願いした訳だ。
本人に自覚はなくても、ニックによる被害者だし。
あの野郎がループ中に、彼女に対してやっていたことを話すのに、躊躇いが無かったと言えば嘘になる。
だが、伝えても大丈夫だと半ば確信していた。
それは──。
「じゃああとはニック君に、ここでの出来事や、灘さんにやった事は綺麗サッパリ忘れて貰って、灘さん自身もアイツから何かされたって事を忘れる⋯⋯って感じでいい?」
「そうですね⋯⋯」
そう、灘さんのスキル【催眠】は、恐らく本人も対象にできると踏んだ。
その理由は【追体験】中に見た、彼女の態度にある。
灘さんはニックから辱められたあとも、一切のブレが無かった。
それは彼女の精神力もあるだろうが、何より【自己催眠】で、嫌な記憶はサッサと消せるのではないか? と思ったのだ。
つまり、物事を超割り切ることができる人。
それが灘鏡子という人物。
だから事情を話す前に、それは彼女に確認済み。
事が全て終わればイヤな記憶を、彼女自身に消して貰えばいいってワケだ。
⋯⋯俺がパンツ撮影したって記憶も、そろそろ消して貰えませんかね?
ま、これでニックには俺の事を含めて、灘さんへの所行なんかも忘れて貰い、その『BL』とやらだけ覚えて帰って貰おう。
アイツにしてみれば、BLされたら死に戻りと闇魔法が無くなってました、って事だな。
充分キツいハズだ。
まあ、ここでの生首生活を忘れられちゃうのはちょっと癪に触るが、まあそれこそ『無かった事』ぐらいで丁度いい仕打ちかもしれない。
変に恨まれても堪らんしな。
あくまでも【死に戻り】と【闇魔法】をアイツから奪う為だった、と割り切ろう。
俺のメリットは色々と大きかった訳だし。
これで万事解決──と思っていると。
「ニックには、私にやった事は忘れて貰います。ただ⋯⋯私は忘れません」
灘さんは首を振りながら、俺の提案を否定した。
「⋯⋯なんで?」
「正直実感もありませんし。今の私にとっては『あ、そんな事あったんですね』程度の話です。それに⋯⋯」
「それに?」
灘さんは──俺の顔をジッと見つめながら、少し顔を赤らめながら言った。
「ニックが私にした事を忘れるってのは、私が東村さんに助けられたって事実も忘れるワケで。それは⋯⋯ちょっと、もったいないです」
そのまま、灘さんは視線を外す事なく俺を見てきた。
俺は、その視線を受け止め続ける事から逃げ出し、顔を背けながら軽口を叩く事にした。
「あ、俺に感謝してるって事? それとも俺に惚れちゃった? じゃあさ、弟さんが独立したら、俺と結婚してくれない?」
ちょっと間を開けてから、なんてね、と言葉を続けるつもりだったのだが。
──俺が次の言葉を発する前に、灘さんは頭を下げながら言った。
「はい。不束ものですが、どうぞ末永くよろしくお願いします」
⋯⋯ん?
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