第69話 取引終了
詭弁を弄され、ただスキルを奪われた。
不利な状況とはいえ、田辺もさすがにすぐには引き下がれなかった。
「じゃ、じゃあ返してくれ! 俺の【異界ショッピング】!」
「華ちゃんに聞いたんだけどさ」
東村は田辺に歩み寄って来た。
そのまま胸ぐらを掴まれ、引き寄せられる。
「お前『君の事を撮影したいんだ、でも勘違いしないで欲しいけど、これ、お願いだからね? イヤだったら断っていいからね?』つってたらしいじゃん?」
「⋯⋯う、ぐ」
凄まじい力だ。
これは明らかに戦闘系のスキルを極めている。
田辺では抵抗できない。
「さっき言った『過剰なサービス求める客』ってのは、テメーだよ。だからお前にも、過剰なサービス求められた側の気持ちを、俺が教育してやってんだ。なのにテメーがされたらゴチャゴチャ言うのか? 俺の『お願い』聞き続けるか? それとも──すぐに死ぬ? どっち? 俺はマジでどっちでもいいぜ?」
東村は心底どうでもよさそうな眼差しだった。
ここまで来て──田辺は理解した。
この男の目的はあくまで来栖の死体と、【異界ショッピング】の回収だったのだ。
もう自分など、用済み。
この後生きるも、死ぬも、この男の気持ち一つ──。
「すみ、ません、私が、できる事、なら、なんでも、します、殺さ、ないで」
「あっそう。じゃあまずは買い物から始めましょうか? この【異界ショッピング】に、お前の口座使いたいから、売り上げプールしてる海外のネットバンク開いて?」
「は、はい」
拘束を解かれた田辺はヨロヨロと移動し、PCを立ち上げて、ネットバンクを開いた。
「はいご苦労さん。えーと、支店と口座名、ログインパスワードを入力、スキルと口座情報紐付け、と」
もう、この男がなぜログインパスワードを知っているのかさえ、追及する気になれない。
「お前の金で買い物するけど、いいよね?」
「⋯⋯はい」
「よっしゃ買い物開始ー! おお、ドンドン買えるー! ははは、これ楽しいな!」
PCに表示された金額がゴリゴリと減っていく。
しばらくして、残金は2ドルと表示された。
「いやー、即時引き落としで買えるなんてすごいな! 取引明細⋯⋯出ないな、スゲー! どうなってんだァこのスキル!」
【異界ショッピング】で購入した物は、即時【アイテムボックス】へと納品される。
東村は大量のアイテムを手に入れた事だろう。
「じゃあ次のお願い、良い?」
「⋯⋯はい」
ピコン。
スキル【譲渡】を手に入れました。
「それで【アイテムボックス】頂戴? そうすればスキルごと、中身の所有権が俺に移るからさ」
「そ、そんな仕様、どうやって確認を!?」
「スキル関連は、異世界で盗賊相手に実験しまくったからなー。さすがにこっちだと人体実験は⋯⋯ねぇ?」
この男、異世界でスキルを徹底的に検証している⋯⋯。
かなり高難易度の『達成者』だろう。
生徒たちに、金魚のフンのように付き従う事で生き長らえた田辺が、ハナから太刀打ちできる相手じゃない。
「で、でも⋯⋯」
「うん?」
「全てお渡しすると⋯⋯エリクサーが」
あれが本当に母の死体なのだとしたら⋯⋯蘇生にエリクサーが必要だ。
「はあ? どうせお前の事だから、どっかに一本隠してるんだろ?」
「な、ないです! 全てアイテムボックスにしまってます、本当です!」
「ふーん。なら取引成立の時に一本恵んでやるからさ。ほらほら早く」
「⋯⋯はい」
人質を握られてるうえ、戦闘力でも大きく負けているのだ。
抵抗する気力も湧かない。
田辺は【譲渡】で【アイテムボックス】を選び、東村へと渡す。
「おー! お前ため込んでるなぁ! サンキュー!」
「あの、そろそろ取引の方を⋯⋯」
慈悲にすがるような気持ちで、田辺は言ってみた。
東村は「うーん」と少し考えた様子を見せた。
「仕方ねぇなあ。そろそろにするか、ちょっと待っててな」
それだけ言うと、返事を待つこともなく東村は姿を消した。
やった、とにかくこの時間が終わる。
田辺がホッと胸を撫で下ろしていると、東村が再び姿を現す。
「ごめんな、ちょっとヤボ用でさ」
「じゃあ、そろそろ⋯⋯」
──と。
田辺のスマホに着信があった。
画面を見ると──『母さん』と表示されている。
慌てて電話に出た。
「も、もしもし、母さん!」
「あー、龍一ごめんねぇ。母さん寝ちゃってたみたいで⋯⋯今起きたわ」
「ぶ、無事なんだね!?」
「何よ慌てて。どうしたの?」
東村に視線を移すと──先ほどの画面が割れたスマホを楽しそうに持っていた。
「ごめん、母さん。あとでかけ直す⋯⋯」
「うん? もう遅いから無理しないでね? 明日でいいからね?」
「うん、わかった」
田辺が電話を切ったとたん、東村が楽しそうに言った。
「お母さんには家で寝てもらって、SIM差し替えただけだよー! この機種SIMフリーじゃん! 俺、小道具にはこだわるタイプなんだよね! あ、あとこれなんだけど」
東村が、再びアイテムボックスを開き、母の姿をした死体を取り出し──手から指輪を外した。
死体は⋯⋯先ほど東村に渡した来栖だった。
渡してすぐに蘇生しなかったのは、こうやって田辺を追い込む為だったのだ。
全て少し考えればわかりそうな、単純なトリック。
それでも⋯⋯あの状況なら他に選択肢などなかった、と田辺は思う。
この男の思惑に従う他無かった⋯⋯。
「あ、これいる? 取引しよっか? 対価はお前の命でいいよ?」
「⋯⋯いらない、です」
「あっそう?」
東村は来栖の死体を、アイテムボックスへとしまう。
その姿を見ていると、田辺の口から疑問が衝いて出た。
「⋯⋯なんで」
「ん?」
「なんで⋯⋯ここまでする? アンタには関係無い事じゃないか、なのに、なんで」
そうだ。
確かに世間の尺度なら、自分が大橋華にやったことは酷いものだろう。
それでも無関係のこの男に、ここまでされる意味が分からない。
「ふむ、確かになぁ。なんでだろ⋯⋯あ、わかった!」
「な、なんだよ」
「お前さ、なんで華ちゃんの使用済み生理用品欲しがったのか説明できる?」
「それ、は」
ここでその話を蒸し返すのか⋯⋯。
田辺が答えに窮していると、東村が嬉しそうに言った。
「性癖だろ? 性癖! お前は生理用品、俺はお前みたいな奴をわからせるのが性癖って事だ! お互いド変態仲間だな! はっはっはっはっはー!」
「⋯⋯」
「たださ⋯⋯こんなに一方的に色々貰うのも悪いから、俺もちゃんと対価を準備してるんだぜ?」
東村はこれまでに無く優しげな表情になった。
田辺も僅かな希望を感じ、聞いてみる。
「なんでしょうか⋯⋯?」
「俺のおふくろの、使用済み生理用品」
「いるかッ!」
「嘘だよ! そんな気持ち悪いモン持ってくるワケねーだろバーカ! あ、でも対価といえばホームレスのオッサン助けたからいいじゃんね! 見知らぬオッサンの命、プライスレス! きっとお母さんも喜んでるよ! ハハハハハハハハッ!」
東村は腹を抱えながら、愉快そうに笑い声を上げた。
最後の最後に、からかう為なら平気で嘘をつく。
あっ、ダメだこの男、性根がねじ曲がり過ぎている⋯⋯自分が何とかできる相手ではなかったんだ、と田辺は思った。
目を付けられた時点で、もう終わり。
まさに災厄。
それがこの東村忠之という男なんだ、と。
楽しげにひとしきり笑い声を発したのち、東村は田辺の肩にポンと手を置いた。
「さて。じゃあお前、そろそろ金策にでも走ったら?」
「えっ?」
「いやいや、闇マーケットの預り金さっき使い込んだだろ?」
「あっ⋯⋯」
先ほど東村が【異界ショッピング】で使ったのは、ほとんどが預り金だ。
【アイテムボックス】の在庫まで奪われた今、返金できる目途はとうてい立たない。
「返金頑張らないと
いや、マズい。
今のままだと、それこそどこかの国に拉致でもされ、東村の言うようになる可能性がある。
引き止めないと──。
「待って! 助け──!」
「これにて取引終了! バイバーイ!」
東村はそのまま姿を消した。
しばらくは呆然としながらも──田辺は置かれた立場を徐々に実感し、恐怖に震えながら荷造りを始めた。
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