第2話
僧が一刻も早く、山向こうの集落まで行きたいと思っていたのには、ある理由がありました。
旅の途中で知り合った祈祷師が卜した所、近いうちに何か大きな変事が起こる兆しが現れた、と告げられたのです。
また、僧自身も、このところ言いようのない胸騒ぎをずっと感じ続けていました。
村人達から散々、山越えは無理だと止められたにも関わらず、僧は無意識のうちに、北の岩山へ向かう道を歩き始めていました。
たしか山裾に木樵や狩人の家があったはず。
そこでもう一度、道を訪ねてみよう。
山中に分け入って生計する彼らなら、里人の知らない山越えの道を知っているやもしれない。
それに、村の者らは大袈裟に止めてきたが、この辺りの山は実はそれほどの険峻ではない、と何時だかに聞いた覚えがある。
-穏やかで優しい郷の風景しか知らずに生きてきた僧は、身勝手ともいえる独り合点をしていました。
途中、扇岩という岩のそばに差し掛かった時、木樵の老夫婦の孫であるクシという少年と行き違いました。
しかし、クシは僧の様子にどこか不穏な気配を感じて、岩の陰に身を隠しました。
そして、通り過ぎる僧の様子をそっと伺っていたのです。
扇岩を通り過ぎた僧の背中が見えなくなる頃、木樵の老夫婦がクシを迎えにやって来ました。
「さあ、今日はもう早く帰るんだよ! お山のてっぺんに霧がかかり始めたから、これから雨になるからね」
祖父母の姿を見て安心したのか、クシは先ほど、目の不自由な旅の僧侶を見かけた事を2人に話しました。
けれど、山仕事に疲れていた為か、或いはたまたま間が悪かったのか、老夫婦は僧には気付かなかった様子でした。
「あのお坊さま、まさかこれから山に入るつもりじゃないだろうね。」
クシの話を聞いた木樵の老婆は、顔を顰めながら言いました。
「いや、それはないだろう。」
木樵の老人が応じました。
「山の入り口近くには狩人の家があるからの。もし誤って山に入りそうになったとしても、狩人がどうにかして諌めるだろう。」
「あの岩山には入らないほうがいいの?」
祖父母の顔を交互に見ながら、クシが尋ねました。
「そりゃあ、特別な用事のある時の他は入らないほうが良いよ。狩人がいるからねえ。」
「そりゃあ狩りの最中、鳥や獣と間違えて弓で射られたとしても、山奥では誰も助けになんて来てくれんからなあ。」
木樵の家族達は冗談めかしてそんな話をしながら、家路を急ぎました。
どんなに朗らかな晴天でも、山の天気が変わり始める時は、あっという間に変わります。
やがて、山の頂が霧に包まれたかと思うと、あたり一面が薄暗い雲に覆われて、雨音が響き始めました。
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