昔語の覚書

@choco_iguana

第1話

昔々の話です。青い山々の峰が連なり、八重雲がわきたつ空の下。麓の小道を1人の僧侶が歩いていました。

僧は肩に大きな袋を背負い、杖をついて歩いていました。目や身体が少し不自由なのか、やや覚束ない足取りです。

このあたりは小さな集落が多く、村内の家は数軒ほど。

僧は村の中心にある家の戸口の前に立つと、背負った袋から、四つの弦を張った琴に似た楽器を取り出し、おもむろに弾き語りを始めました。

僧の声が響き始めると、家々から人が出てきて、しばし演奏に耳を傾けます。

山間の集落では、時折こうした語り部の僧侶が村を訪れる事がありました。

僧達は弦楽器を爪引きながら、古の詩歌や物語を歌ったり、海を越えた遠い大陸から伝えられたという、異国のありがたい経文を人々の前で読み上げてみせました。

けっして語りや演奏が巧みであるとは言い難い面もありましたが、僻地に暮らす人々にとっては数少ない貴重な娯楽となっていました。

僧の演奏が終わると、人々は米や麦、果物などを入れた小袋を持ち寄り、布施として僧に渡しました。

クラ、という名前の少女が、布施を入れた袋を抱えた母親と、連れ立ってやってきました。

「お坊さま、お布施をどうぞ」

「ああ、いつもいつも、ありがとうございます」

僧は布施を受け取りながら、クラの母親に大仰な感謝を述べました。それから、少し憂いのある顔で、クラ達に尋ねたのでした。

「ちょっとお尋ねしたいんですがね、村の北にある、あの大きな山を越える道はありませんかね?」

僧の言葉に、母娘は驚いて目を丸くしました。

「超えるって、あの岩山を?」

「あの山は岩だらけで、とても歩けるような道ではないよ」

「そうですよ。村の男衆も、山の神さまを祀る特別な日の他には、あの山に入ったりしませんよ」

母娘は口々にそう言いました。

僧はどこか思い詰めたような顔で、

「どうしても、無理ですか」

と呟きましたが、母娘はすでにお喋りに夢中になっており、僧の様子を気に留めてはいませんでした。

僧は荷物をまとめて肩に担ぐと、また村の小道を歩き、川のそばにある家々の前にやってきました。

そしてまた家の戸口の前に立つと、袋から楽器を取り出し、古い物語の詩歌を歌い始めました。

「お坊さん、次に来た時は、あのありがたいお経というのを読んでくれないか」

渡し守をしている、若い青年が言いました。

「難しいことはよく分からないけど、あのお経を聞くと魔除けになる、と隣村の者から聞いたよ」

少し年配の川守りの男も言いました。

「ああ、水神さまに川に引き込まれたりしないように、儂らも仕事の前にはいろんなまじないをするよ」

僧は食べ物が入った布施の袋を受け取りながら、

「ええ、ええ! お経というものには大変な功徳があり、耳にするだけでも素晴らしいものですからね!」

と、身振り手振りを交えながら、この異国から伝わったお経の加護や御利益がどれほど優れたものか、語り始めました。

僧はひとしきり終えた後、

「ところで、私はこれから山向こうの集落まで急ぎ行かなければならないのですが、どうにかして、あの岩山を越える道はありませんかね?」

渡し守と川守りは僧を見つめ、いったい何を言い出したんだ、という顔をしました。

「お坊さん、岩山を越える道なんか無いよ、やめときなよ」

「山向こうに行きたいなら、山を避けてぐるっと大回りする道を行ったほうがいい」

「それに、あんたはいつもたった1人でこの辺りの集落を回ってるけど、誰か、道案内してくれる仲間はいるのかい?」

男達は口々にそう言って、僧を止めました。

僧は何か言いたそうな顔をしていましたが、しばらく立ち話をした後、諦めて立ち去りました。

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