第11話

それから一ヶ月が経った。


事態は全く好転していなかった。いやそれどころか更に悪い状況になっている。為替は1ドル663円を示していた。ニュースでは国家破綻、外貨準備最早消滅、スワップ協定機能せず、首相が外交ルートを通して各国へ支援要請、等の内容が放送されていた。


そんな中で国債だけが何事も無かったかの様に0.5%の金利を示していた。日銀が義務感なのか何なのか買い入れ制限を取っ払い、全ての国債を買い入れたのだ。


しかし健太にとってそんなことはどうでもよい事だった。健太は既に3日を水で過ごしているのだ。少し前までは運が良ければ食料を手にする事も出来た。毎日出歩いていると稀に閉じているスーパーの駐車場で露店を開いて販売を行っている者がいたのだ。


最後の販売は2週間前だったか。


為替で1ドルは5倍になったが食料は更に5倍、詰まり騒動以前の25倍で売っていた。卵一個1000円、キャベツ一玉6000円、常温で日持ちするインスタント食品は更に高かった。その上お一人様袋一杯までの制限がついていて買える量は高々知れている。


健太はATMから引き出していた現金を握りしめ、どうにか袋一杯分の食料を購入して安堵した。彼が歩いて輪を抜けるとそこには露店を遠巻きに見ている人々がいた。多分露店の価格があまりに高く、躊躇しているのだろう。


戦争、震災、不況、インフレ、いつだって一番割を食うのは貧しい人々なのだ。


健太は一瞬袋の中のあまりそうな食材を分けようと考えたが、はたして卵一個を分け与えたところでどれほどの救いになるだろうかと考えなおし、歩き出した。歩きながらも何とも言えない罪悪感と何もできないという諦観がぐるぐるしていた。


それから少し歩いた所で他にも渡せるものがあると思い至り、踵を返す。


健太はスーパーの前に戻ると、遠巻きに見る人々の中から子持ちの家族を探し出し、次々に5万円ずつを渡してやった。色々な事態を想定し、100万ほど入っていた彼の財布はカラになったが、最早お金そのものにビスケット一枚程の価値も無かった。


お金を受け取った家族は何度もお礼を述べ、ある家族は涙を流して感謝した。そうして健太も心晴れた気持ちで家へと帰ったのだった。


だが今、健太は後悔していた。この三日で急速に浮き出て来た頬骨を触りながらつぶやいた。


「もっと上手くやれよ俺・・・。」


それから露店が開く事はなく、今日に至る。あれは最後のバーゲンセールだったのだ。あのとき、お金を渡した家族から少しずつでも食料をもらえる様に交渉しておくべきだった、健太はただ良いことをしただけで満足していた過去の自分に怒りすら感じていた。


食料の底が見えて来たとき、健太は大いに焦った。流石のコミュ障であっても背に腹は代えられぬと近所の家々を周り、以前ためておいた金貨との交渉を試みるが全くなしのつぶてであった。最早一食は金1トンより価値があるのではないかと思われた。


自衛隊が食料の配給を行うのではと期待した時期もあった。確かに基地の付近等の地域ではそういう事もあったらしい。だが、それもすぐに在庫が尽きたのか全く聞かなくなった。


最後の望みは海外の支援だった。

だが、それもどこまで期待できるのか、はたして自分の様な一般市民にまでちゃんと行き届く程の食料が準備できるのか。1億以上の国民の食料を全て支援で賄うというのはかなりの事だ。


今ですら貧しく餓死が日常の国は珍しくない。そんな中で没落していく日本にそれだけの食料を支援する国があるだろうか?とは言え今まで日本は先進国としてやってきていたのだ、少しの期間であればそう言う事もあるかもしれない。だがあったとしても自分にまで回ってくるのにはやはり時間がかかるだろう。


ソファに気怠い身体を預けながら健太はこれからどうするかを考えようとした。しかし空腹のせいなのか頭は働かない。消す気力も無くつけっぱなしになっているテレビが何かを言っているが、何だか遠くで聞こえている様でよく判らない。


ヤバいかもしれない。


食料が全く供給されないのに、生活インフラは以前と全く変わらず維持されていた。

電気もガスも水道も止まることなく供給されつづけ、テレビ番組も殆どが過去のドラマや番組の再放送に差し替えされたとは言えニュースは同じ様に流されていた。

街も同様で電車もバスも本数が大幅に削減されたとは言え運行されている。


全てのモノが綺麗に残っているのに食べるものだけがないアンバランスに笑えもしないシュールさを感じる。


たまにニュースの背景として映し出される街の様子に殆ど人は映っていなかった。

誰もが消費カロリーを抑える為に息をひそめる様に家に閉じ籠り、ただただ助けが来るのを待っているのだ。


静かになったこの世界で以前より活発になったものもある。救急車の音だ。もしかしたら死にかけたら点滴を打ってもらえるのだろうか。救急車のサイレンの音を聞くたびにぼんやりとそんな事を考える。


健太はふとまだやれることが残っている事に気が付き、どうにか立ち上がると、リビングのテーブルに歩いて行く。ほんの少し立ち上がっただけで眩暈がし、それを我慢しながらよろつく足を手で支える様にしながらどうにか進んでいった。


健太はここ何日も触らず放置されていた携帯電話を手に取ると良助に電話を掛けた。

良助だって健太と似たような状況にいるかもしれない。いや、子供がいる分あちらの方が苦しい可能性だってある。それどころか既に餓死している可能性だって否定できない。


しかし最早、健太には良助しかすがるものが残っていなかった。自分がコミュ障である事をこれ程恨んだ事はなかったかもしれない。いや、好きに生きようとするのではなく、無理をしてでも人と関わるべきだったのかもしれない。もっと知り合いがいればそのつながりから別の状況に至った可能性だってあるのだ。


そんなことを考えるが、それは既に取返しの付かない過去への後悔でしかなかった。

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