第29話 私たちのマギアレインボー

 私の耳に聞こえるのは辻くんの声をした何者かの言葉だけで、周囲の音は一切聞こえない。

 ぼやける視界の端では辻くんが魔人スピロヘーテと戦っていた。


 辻くんがこんなことを言うはずがない。

 そもそも、必死に戦いながらこんなにもひどいことを言うはずがない。

 そう信じたいのに、絡みつく言葉たちが私の気持ちを離してくれなかった。


「アロマロッテ嬢、その調子だ。聖なる魔法でリリアンヌの心を壊してしまえ」


「はい。リリアンヌからフェルド様を解放します。この女の魔力に魅了されたフェルド様を救えるのは私だけなんだから!」


 ゲームの中でも見たことがアロマロッテの邪悪な微笑み。

 このままだと、本当に壊されてしまいそうだった。


 アロマロッテの魔法に抵抗しようにも、ただの魔力では太刀打ちできない。

 手足にも力が入らず、逃げ出すこともできなかった。


「死になさい、リリアンヌ」


 本来フェルド王子やガルザ王子を補助するはずの聖なる魔法での精神攻撃に耐えかねた時、どこからともなく炎をまとったブレスが放たれた。


 ガルザとアロマロッテが怯んだ隙に助け出された私は力無く地面にへたり込み、巨大なドラゴンの壁のような鱗を撫でた。


「……ジーツー、ありがとう」


 本来の姿で王宮の上空へと舞い上がるレッドクリフドラゴンがガルザとアロマロッテを目がけて、再びブレスを吐こうと口を開ける。

 しかし、単眼の巨人の拳を受け、王都の町に墜落した。


「いいぞ、さすが魔王軍四天王だ。レッドクリフドラゴンがなんだ! トカゲなんかやっちまえ!」


 アロマロッテの魔法が消えたことで周囲に気を払えるようになったが、あまりの惨状に目を瞑りたくなった。

 ゲームの最終章と同様に王都での国王軍対魔王軍の構図ができてしまい、町中は阿鼻叫喚の嵐だった。


 空ではジーツーと魔王のマオさんが、地上では騎士団と魔術師団が、ガルザ率いる魔王配下の大軍と戦っていた。


「……なんで、こんなことに」


 ドサッと何かが落ちてきた。

 ぎこちない動きでそれを見る。

 弱々しい声で私の名前を呼ぶのは、ボロボロの彼だった。


「辻くん!」


「美鈴さん、逃げて」


 あの時と同じだ。

 狼の魔族――ロウオウガが私を勧誘にきたときも辻くんは私を逃そうとしてくれた。


「だ、大丈夫だよ。マギアレインボーを渡すから、スピロヘーテを倒そう」


 声が震えて、上手く話せているのか分からない。

 さっきの声は辻くんじゃない、と自分に言い聞かせても体が言うことをきいてくれなかった。


 私の震える手を握ってくれた辻くんの表情が一瞬にして曇ってしまった。


「……魔力が伝わってこない」


「え?」


 以前とは異なり、中等量以上の魔力を抜き取られない限り、私は魔力譲渡を感じない体になっている。

 だから、今も辻くんは勝手に好きな色の魔力を好きなだけ持って行ったのだと思っていた。


「ふふふふ。殿下、その女の汚らしい魔力を枯らしました。これで殿下にかけられた魅了魔法チャームも解けるでしょう」


 私の魔力が枯れた……?

 そんなはずがない。まだ私の中にはちゃんと魔力が存在する。

 それなのに辻くんに渡すことができないなんて。


 辻くんは立ち上がり、アロマロッテの肩を掴んだ。


「馬鹿な真似はやめるんだ。あの魔人を解き放ったのは君じゃないのか? こんな大事になって何も感じないのか!」


「私は殿下を卑劣な魔女から救い出すために魔人の封を解き、その女の魔力を封じたのです。聖なる魔法の継承者である、この私が!」


 辻くんが苦虫を噛み潰したような顔になり、アロマロッテの肩を押した。


「君は間違っている。あの魔人を倒せるのは美鈴さんだけなのに」


「美鈴、美鈴って。一体、誰のことを言っているのですか! 殿下は魔力を持たなくても剣の腕前は超一流です! 私の補助魔法で魔人を倒して、私が殿下の隣に相応しいと、私の方が必要なのだと、再び認めてください!」


 そんな、そんなことのために魔人の封印を解いたって言うの?

 こんなにも多くの被害が出てるのに……。


「分かった。僕に補助魔法をかけろ」


 その言葉にアロマロッテの表情はすぐに華やいだ。

 嬉々として辻くんに近寄り、聖なる魔法の補助魔法を完了させたようだった。


 もしも、これで辻くんがスピロへーテに勝てたら、本当にアロマロッテが彼に相応しい女性になってしまう。

 その後、マオさんが人間を攻める側に回ったら?

 アロマロッテを殺そうとして、彼女を辻くんが庇ってしまったら?


 嫌な想像ばかりが頭の中をグルグルと回る。

 その度に私の魔力が小さくなるような気がした。


 騎士団員が持っていた剣を握った辻くんが走り出す。

 今まで一度も振ったことのない彼が本当に剣を扱いきれるのか不安だった。


 案の定、実体を持たないスピロへーテには物理攻撃が効かず、反撃された辻くんはアロマロッテの足元に転がった。


 彼女は辻くんを抱き起こそうとはしない。

 ただ、口元を手で隠し、壊れた機械のように同じ言葉を繰り返しているだけだった。


「これで分かっただろ。君と僕では魔人に勝てない。僕に必要なのはリリアンヌなんだ」


「うそよ、そんなの嘘。まだ魅了魔法チャームが解けていないのね。あの汚い魔力を洗い落とさないと」


「やめろよ!」


 辻くんの怒声にアロマロッテの体が硬直する。

 私もこんなに怒った声を聞いたのは初めてだった。


「僕に触れるな。僕に触れていいのは美鈴さんだけだ。僕の隣は君の居場所じゃない。美鈴さんだけの場所だ。これ以上、彼女を傷つけるなら許さない」


 体が熱い。

 辻くんの感情の爆発と共に私の魔力が暴走し、モヤモヤした何かを破壊した。


「美鈴さん?」


「なによ、私の聖なる魔法が破られたっていうの!?」


 立ち上がり、動きだそうとするスピロへーテをひと睨みする。


「思い出したよ。アロマロッテは一時的に敵の魔法攻撃を封じるんだった。なんだっけ、ネガティブシフォンだっけ。でも、もう大丈夫だよ。辻くんのおかげで解除できたから」


 スカートの土埃を払い、髪を耳にかける。


「アロマロッテちゃん。あなたが汚い魔力って言ったのは、元々フェルド王子のものなんだよ」


「そ、そんなの、嘘よ! だったら、証拠を見せてみなさいよ。あんなに汚い濁った黒い魔力が殿下のもののはずがない!」


「いいよ」


 差し出した私の手に、手を重ねた辻くんにありったけのマギアレインボーを譲渡する。 

 懐かしい感じだ。

 マラソンの後のような疲労感が生じるまで魔力を送り続けた。


 やがて辻くんの体から漏れ出る七色の魔力は七人の精霊を召喚し、彼らは七人の騎士の姿へと変貌した。


「辻くんが剣を振れるわけないじゃん。だから、代わりにお願いするの」


 私の言葉に続いて、辻くんが腕を振り下ろすと、七人の騎士が同時にスピロへーテに剣を突き刺した。

 実体のないスピロへーテの中から眩い光が漏れ出し、やがて王都の空には虹が架かった。


「残りの四天王も倒そうか」


「ガルザも探さないと」


「いらないよ。まずは人命優先。騎士の魔力操作は私がやるから、辻くんは王子としての行動をして」


 絶望顔でへたり込んだアロマロッテを紫色の騎士に、動かなくなったスピロへーテを橙色の騎士に拘束してもらい、他の五人は各地で暴れる魔物や魔族の討伐にあたらせた。


 それから程なくして事態は沈静化した。

 迅速な避難と対応が功を奏し、幸いなことに被害は最小限だった。


 今回の首謀者であるガルザと、魔人の封印を解いたアロマロッテは拘束され、幽閉されることになった。

 そして、魔王軍を離反した四天王たちはマオさんがその場で存在を消滅させた。

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