第25話 嫉妬の対象

 遅れてきたお父様と共に国王陛下、フェルド王子からの謝罪を受け、婚約破棄の件は一旦は落ち着いた。

 そうは言ってもそれは内輪だけの話で、国内外の問題までは解決に至っていない。


 まだ国民にとっての私は、平民で聖なる魔法を継承するアロマロッテに嫌がらせをした上に、王子を連れ去った悪役令嬢なのだ。


 汚名返上はこれからだ!


 と、息まきたい気分だが、そんな簡単にはいかなかった。


 執務室の机に置かれた大量の書類。

 リリアンヌさんはこれを一人で捌いていたらしい。


「あー、頭痛くなりそう」


 パラパラと書類をめくり、つぶやく。

 一旦、現実逃避したくて辻くんの部屋の扉から顔を覗かせると、真剣な顔で書類と向き合う姿があった。


 彼も苦戦しているようだ。

 筆が止まるときもあるが、何か閃いたようにサラサラと書き進めるときもある。


「……私も頑張るか」


 それからというもの、運び込まれる書類を読み、必要なものを辻くんの元に持っていくという作業を続けた。

 別の人に頼もうにも「重要書類だから紛失しては……」とやんわり断られる日々。


 そして、遂に我慢の限界を迎えた。


「どう考えても効率悪いよね! 力持ちさん集まってー!」


 使用人にお願いして私の執務室の机や椅子を全部、辻くんの部屋に移動してもらった。

 並べた机に座って書類業務をこなしていると、中学や高校のときを思い出す。

 たまに隣を見ると視線が合うときもあった。


 日本で出会っていたらこんな感じだったんだろうな、と妄想してみたりもした。


 最初は女が男の部屋に、しかも王子と一緒に過ごすなんて! と騒いだ連中もいたけれど、私たちの連携プレイを目の当たりにして黙った。


「これ、印鑑」


「はい。こっちの書類に領主のサインがありません」


「じゃあ、返還で」


 まさに阿吽の呼吸。

 互いの部屋を行き来しなくてよくなった分、作業速度が倍以上になった。


「美鈴さん、ここ間違っています」


「えー、うそー。二重線ピッピってしといてー」


 ちょうど私の集中力が切れる頃に扉がノックされてお茶が運び込まれた。


「殿下、リリアンヌ様、こちらに置いておきますので、お時間のある時にお召し上がりください」


「なんで?」


「え、今すぐに飲まれますか!?」


「うん。せっかくだから温かいうちにいただこうよ」


 困惑した様子の侍女たちの姿を見て、私は更に困惑する。


「リリアンヌ様は、自分の好きな時に飲む、とおっしゃっていましたので」


「あー、それ忘れて。今すぐにいただくわ。きゅーけーい!」


 侍女が不安そうに辻くんを見ている。

 辻くんも手を止めて、ソファの方に移動してきたことで彼女たちはティーカップにお茶を注いでくれた。


「いい香り。癒される」


 最初はこれまでのリリアンヌと私の違いに戸惑っていたようだが、慣れてくると彼女たちの態度も柔らかくなった。

 かつての私はかなりキツい性格だったのだろう。


「リリアンヌ様はそのような可愛らしいぬいぐるみがお好きなのですか?」


 ある日、侍女の中でも特に若い子が、膝の上に置いたジーツーを見つめながら問いかけた。

 ジーツーはサイズダウンすると本物のぬいぐるみにしか見えない。擬態の天才だ。


 面と向かって聞いてくれる人が初めてだったから嬉しくなって話し始めようとした時、短くもキレのある叱責が聞こえた。


「申し訳ありません、リリアンヌ様。後で言い聞かせておきます」


「そんなことしなくていいよ。この子ね、ジーツーっていうんだけど触ってみる?」


 侍女長の隣で涙を溜める小さな少女にジーツーを渡す。震える瞳に頷き返すと彼女は手でやさしく包み込むように受け取ってくれた。


「もふもふ、です」


「でしょ? 可愛いよね」


 他の侍女も、触っていいんだ、といった風な顔となり、興味津々に見ていた。


「みんなもどうぞ」


 ジーツーをひと撫でして隣へ回していく彼女たち。

 最後には侍女長も丁寧に頭を撫でていた。

 やっぱり可愛いものはコミュニケーションを円滑にしてくれるのだ。


「どちらでお買い求めになられたのですか?」


「え? あー」


 返答に困る。

 強いて言うならクリフマウンテン。

 しかも受注生産というか、一個限定というか。


「こんなにも手触りの良いぬいぐるみは初めてです」


「お部屋に飾りたくなってしまいます」


「一緒に寝たいです」


 その言葉で私は閃いてしまった。


「欲しい?」


「はい!」


 声を揃える侍女たちと、私の腕の中で震えるジーツー。

 大丈夫だよ、という気持ちを込めて背中を撫でる。


「じゃあさ、手先の器用な女性を集めよう。強制じゃなくて、仕事をしたい人とか、少しでも家から出たい人とか。心当たりはない?」


「それでしたら王都の外には大勢いるかと」


 それからの行動は早かった。

 すぐに辻くんに相談し、ぬいぐるみ事業へと着手した。

 ジーツーの肌触りに近づけられるように、糸の研究をする人も出てきて、あっという間に一大事業となってしまった。


 同時に辻くんはクリフマウンテンに目をつけて物流の要として機能するように道路整備に着手した。

 おかげで隣国からグッドナイト王国への行き来が楽にできるようになった。


 ジーツーを模したぬいぐるみは抽選で選ばれた土地での限定販売となり、爆発的な人気を誇っている。

 辻くんは製造工場も造り、職がなくて食べるものにも困っている人たちを救った。


 ただ、どれも私たちは指示するだけで他の人が代わりに作業を進めてくれた。

 私たちが王宮に戻っているということは極秘事項となっているのだ。


「あれ、これってガルザルートじゃない?」


「そうなんですか?」


 夜空を見上げながらグラスを傾けていた私は、ふと乙女ゲームのストーリーを思い出した。


「ガルザは最初はとんでもない政策をするんだけど、アロマロッテに叱られて考え方を変えるんだよ。それから辻くんと似たことをやって、国民から支持されて本物の王様になるの」


「そうなんですか。役目を取っちゃいましたね」


「今、すっごく悪い顔してるよ」


 否定せずに笑う辻くん。

 彼がこんな風に笑うようになるなんて、最初はイメージできなかったな。


「悪い噂を流した上に、僕と美鈴さんを引き離そうとしたんですから、これくらいで文句を言われても。僕は怒っています」


「そっか」


「そうですよ。美鈴さんに手をあげるようなら容赦しません。その時は魔力をお借りします」


「いいよー、好きなだけ持っていって」


 彼はガルザに敵意を抜き出しにしているが、私はアロマロッテに対してそういう感情はなかった。


「辻くん。また、ムギちゃんに頼んで本を買ってきてもらったでしょ」


「うぐっ」


 私にとってアロマロッテはどうでもよくて、どちらかというとムギちゃんの方が羨ましい。

 だって、辻くんの好きなものを全部把握しているのは、あの子だけなのだから。


「言ってくれれば私が買いに行くのに」


「ダメですよ。美鈴さんの身に何かあったらどうするんですか。それに美鈴さんは多分、興味がないと思うので」


「興味ないよ。でも、辻くんの好きなものには興味があるの」


 辻くんの趣味は読書。

 特に神話とか、歴史とか伝説の何々とかそういった類いのものが好きらしい。

 王都にはない書物をムギちゃんに頼んで調達していることを知ったのは、つい先日のことだ。


「黙ってて、すみません」


「最近、料理もしてくれないよね」


「それは、キッチンに入れてもらえないから仕方ないですよ」


「ふーん。早くここを出てスローライフの続きをしたいなぁ」


 私の嘆きは心地よい夜風に流された。

 辻くんは数秒黙ってから、何かを思い出したように顔を上げた。


「そういえば、コーネリアスとアロマロッテが何か言い争っていましたよ」


「全然興味ない。めんどう事には顔を突っ込まないでね。さて、ムギちゃんが買ってきた本を見せてもらおうかな」


 辻くんの顔から笑顔が消えた。


「おやおや~。私に見られて困るようなものなのかね?」


「違いますけど、美鈴さんの好みではないかと」


「それは私が決めるの。ほら、行くよ」


 後になって聞いたが、辻くんは隠れて集めた本を捨てられると思ったらしい。

 そんなことするはずがないのにね。

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