第32話 初夜
「フェルド王子は王都を離れ、密かに地方の開拓をなされた。貧しい者を見捨てず、新しい事業で働き口を
「リリアンヌ様が王子の背中を押して、地方視察を実現させたとか」
「アイスキャンディーもリリアンヌ様の一言で実現したらしい」
「魔族との戦いも終わって、安全に移動ができるようにしてくださって感謝しかないわ」
城下では様々な噂話が持ち上がり、私の耳に届くようになった。
「ね、言ったでしょ、お父様。人の噂は75日ですって」
「あぁ。お前が正しかった」
それだけ言って、さっさと私の部屋から出て行った父を不思議に思っていると、勢いよく扉が開き、多くの侍女が押し入ってきた。
さながら討ち入りだ。
「リリアンヌ様、すぐにご準備をなさってください。殿下がお待ちです」
あれよ、あれよと服を脱がされ、正装に着替えさせられた私は髪を整えられ、化粧まで施された。
「今日、誰か来るっけ? 何も聞いてないけど。あ、建国記念日か」
「あんたは黙って立っていればいいのよ」
ひどいよ、ムギちゃん。
確かにお父様にも「お前は黙っていればいい女だ」と言われたけどさ。
むくれていると背中を押されて、王宮のバルコニーの前に立たされた。
外からは人々の声が聞こえる。
この先には特に珍しくもない日常の風景が広がっているのだと思い、開かれた扉の先へと歩いた。
「私は帰ってきたぞ! 紹介しよう。私の婚約者、リリアンヌ・ソーサラだ」
棒読みの辻くんに肩を抱かれ、国民からよく見える位置でそのように紹介された。
手、震えすぎなんだけど。
それより、この前のアレって大々的に発表していいやつなの!?
一人、混乱する私を
思い返すと、あの婚約破棄から丸1年が経っている。
魔族との戦いを経て、フェルド王子と
これは別の意味で祝いの日になるな。
いたるところから「聖女様」だの「女神様」だの聞こえるが、私はそんな大それた人間じゃない。
魔力量が多いだけの悪役令嬢だ。
「美鈴さんがプロポーズを受けてくれて良かった。僕はあなた以外の人と結ばれるつもりはありません」
「でも、公式の婚約破棄を覆すのは大変って」
「もう十分ですよ。魔王軍を離反した魔族を退け、共存の道を拓き、他国との貿易を進めた。すでに国民も周辺諸国も美鈴さんを認めています」
まだまだ足りないと思っていた。
もっと頑張らないといけないんだって。必死に走り回る日々が続くのだと思っていた。
「ほら、美鈴さんも手を振ってくださいよ」
そう言われても、突然のことで受け入れられない。
「私、聖女でも、女神でもないよ?」
「そうですね。美鈴さんは僕のお嫁さんですもんね」
だから、ずるいって。
照れ隠しのつもりで豪快に手を振ると、眼下の国民たちは更なる大歓声で応えてくれた。
「これから僕と美鈴さんの結婚式です」
「これから?」
辻くんの言う通りでそのまま聖堂で式を終え、王都中を馬車でパレードした。
想像を超える数の国民が祝福に来てくれていて、感動のあまり言葉を失った。
村長もかけつけてくれていて、思わず抱きついてしまった。
「ねぇ、また着替えるの? 同じでいいってば」
「ダメよ。以前は私を着せ替え人形にして遊んでいたのだから黙ってなさい」
いつの間にか私の侍女になっていたムギちゃんが張り切って髪型を整えてくれている。
憎まれ口を叩きながらも、飛び出た尻尾が楽しげに揺れているものだから、何をされても許してしまう。
「もう目を開けていいわよ、ミスズ……じゃないか、リリアンヌ妃」
「うわ。背中がゾワゾワする」
「ミスズ妃の方がいいかしら?」
してやったり顔のムギちゃんに、やめてくれ、と何度も顔をしかめた。
私はそんな柄じゃない。これはスローライフを手に入れるための通過儀礼なのだ。
そう言い聞かせて、衣装もアクセサリーを全取っ替えした私は王宮内で開催される披露宴へと出向いた。
渾身の作り笑いで、次から次へと挨拶に来る客人の対応をする。
表情筋はもう限界が近かった。
隣には涼しい顔の辻くん。
さすが、王子様。時々、私の方を振り向き、「疲れていませんか?」などと気遣いも忘れないのだから大した男だ。
私なんかよりも神がかっているだろう。
ふと向こう側が騒がしくなり、人々が道を開けた。
「おめでとう、ミスズ。心から祝福するぞ」
「マオさん、来てくれたのね!」
魔王様ご一行は私たちの前で足を止め、一礼した。
「当然だ、我らは友だからな。ツジ、ミスズを泣かせるような真似をしたら喰ってやるからな」
面白い冗談を言う人だなぁ。
辻くんとがっちり握手するマオさんの手の筋がすごいことになってるけど、うちのお婿さんも負けてなかった。
ちゃっかりムギちゃんもマオさんの後ろに控えて、お辞儀している。
しかも、ドレスに着替えている。
人間も魔族もごちゃ混ぜになって騒ぎ出すものだから、披露宴というよりも宴会だった。
それから数時間後。
私と辻くんは寝室にいた。
「披露宴ではやせ我慢してたけど、すっごく疲れたね。……辻くん?」
辻くんは先にふかふかのベッドにダイブした私の隣に寝転び、そっと顔を近づけた。
吸い込まれそうな蒼い瞳の中に私が映っていた。
「このあとのことを」
そうだ。
私たちは結婚するまで、そういうことをしないと誓った。
今の私たちを縛るものはなにもない。
お互いに無言で、聞こえるのはシーツが擦れる音だけ。
決して嫌ではないけれど、恥ずかしくなって少しだけ顔を背けた。
辻くんが何を思ったのかは分からない。
だけど、私の仕草が彼に火をつけたのは間違いなかった。
辻くんが覆い被さり、唇が重なる。
細いくせに筋肉質な彼の背中に手を回し、小さな吐息が漏れたことが更に恥ずかしくなって顔を背けた。
私たちは月明かりだけが頼りの寝室で初めて肌を重ね合った。
もしも私が詩人だったなら今日のことを、「甘美な夜を過ごした」と表現するのだろう。
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