第21話 魔王襲来

「お嬢様っ! お嬢様ーっ!」


 大勢のメイドが屋敷内を慌ただしく駆け回る中、私はクローゼットの中に隠れていた。


 今日はマナーの家庭教師が来る日だ。

 私が一番苦手としている科目で、少しでも間違えば問答無用で手の甲を叩かれる。

 だから、逃げているのだ。


 もう少し人が少なければ廊下を突っ切れるのに。


 そんな愚痴をこぼしていると、わずかに魔力を感じた。

 狼の魔族とも、ムギちゃんとも違う。ましてや、国王陛下のものでもない。


 それは本質を見せないために分厚くコーティングしているような重さのある魔力だった。


「お嬢様、ようやく見つけましたよ! さぁ、お部屋へ向かいましょう」


 勢いよく私の手を取ったメイドが心配そうに覗き込んだ。


「お嬢様?」


「……気持ち悪い感じ。行かなきゃ」


 窓の外を見つめながら、メイドの手をほどく。


「今日のレッスンは中止よ。魔族が来たかもしれないわ。警戒するようにお父様に伝えて」


 早口にそれだけを言い残し、スカートを持ち上げて廊下を走る。

 玄関にいるフットマンを押し退けて、扉を開けて外に飛び出した。


 まだ遠い。


 広大な庭を走り抜け、大きな門をくぐり、更に走り続ける。

 息を切らして立ち止まると、そこには一人の男性が立っていた。


「だれ?」


「おぉ。その体を突き破らんと暴れ回る魔力の持ち主は、そなたのようなご令嬢だったか」


 一見するとただの色黒のおじさんだ。

 しかし、これも厚化粧だと直感した。


「その魔力、我が安定させてやろう。一緒に来い」


 その誘い文句には聞き覚えがあった。


「あなた、もしかして魔王?」


「いかにも」


 彼が一歩近づく度に重力が強くなったのかと錯覚してしまうほどだ。

 重々しい魔力を出し惜しみなく放出させている。


「ほう。これを食らっても立っていられるとはな」


「どうも」


「それでどうだろうか。我が軍門に降れ。そうすればわずらわしい人間界の秩序から解放してやるぞ」


「あー、大丈夫です。もう魔力コントロールはバッチリなので間に合ってます。他に用件がなければお引き取りください」


 公爵令嬢らしくお辞儀して、頭を上げた瞬間。

 目の前に魔王の手が迫っていた。


 魔力で相殺させようかと思ったが、魔王の手は何かに阻まれて私には届かなかった。


「これは光魔法。いや、精霊魔法か」


 魔王の視線を追うと、私を守るように飛び回るオレンジ色の帽子の精霊がいた。


「辻くん?」


 辺りに彼の気配はない。

 あらかじめ精霊魔法をかけられていたのか。そうなると、王宮で手を掴まれた時だろう。


「やるなぁ。さすがだよ」


「貴殿が精霊魔法の使い手か」


「正確には違うけど、めんどうだからそれでいいや。帰ってくれないなら追い返すまでだよ、おじさん」


 まさに一触即発状態。

 このまま私の魔力と魔王の魔力がぶつかれば、公爵領がどうなるか想像もつかない。

 それなのに私は鼻の穴がヒクヒクしているのを感じた。


 ――全力を出してみたい。


 せっかく、コントロールできるようになったのだ。

 魔力が空っぽになるまで放出すれば、魔王は耐えられるのだろうか。国はどうなってしまうのか。

 ゴクッと喉が鳴った。


 お父様には後で謝ろう。叱られても構うもんか。


「やめなさい! 魔王様、そいつは精霊魔法使いではありません。ミスズ、こちらは魔王様よ!」


 草陰から飛び出したムギちゃんが私たちの間に着地した。

 魔獣化を解き、魔族と人間の中間形態となる。


「ムギリーヴ」


「ムギちゃん」


 神妙な面持ちだった魔王は、突然両手を叩き始めた。


「むぎちゃぁぁぁん?」


 打って変わって間抜け顔になった魔王と、恥ずかしそうにしているムギちゃん。

 交互に彼らを見ていると、ムギちゃんは叫び声を上げた。


「ニャアァァァアァァァ。とにかく止めるニャ!」


「うるさいよ、ムギちゃん。もうやめてるじゃん」


「そうだぞ、むぎちゃん。むぎちゃん……ぶふっ」


 吹き出した魔王からはもう脅威も敵意を感じられない。


 さっきまで熱かった私の頭も冷えてしまった。

 私はムギちゃんを見て、魔王に会ったら伝えようとしていたことを思い出した。


「ごめんなさい!」


 私は素直に頭を下げた。

 じゃれあっている魔王とムギちゃんが動きを止めてこちらを向く。


「仲間のロウオウガさんを殺してしまって、すみませんでした」


 二人とも呆然として、やがて魔王は豪快に笑った。

 ムギちゃんは呆れ顔で、「こいつも面倒くさい奴だった」と愚痴っぽいことをこぼしていた。


「なんだいきなり。さっきまでの威勢はどうした。おかしな人間だな」


「だって、私と辻くんが知らずにムギちゃんのお兄さんを倒しちゃったから」


「奴は魔王軍四天王の一人だ。強者にやられたのなら本望だろう。そなたのその言葉がロウオウガを侮辱していると我は思うぞ」


 魔王からの指摘に目を丸くする。

 その発想はなかった。

 襲われた時は無我夢中だったけれど、ムギちゃんと出会って冷静になると彼らの仲間を殺してしまった罪悪感だけが私の心に残った。


「ムギリーヴ、このお嬢さんは精霊魔法使いではないと言ったな。術者はどこにいる?」


「今は王都の王宮です。この女は術者の婚約者です」


 魔王は一瞬だけ驚いた表情を見せて静かに頷いた。


「この距離でも精霊を顕現させ続けるとは、本物の精霊魔法の使い手だな。それも光魔法とは驚いた。国王軍には逸材がいるのだな」


 ん?

 今、変なことを言わなかった?


「精霊魔法って全ての魔法を超越しているとか、そういうたぐいのものではないの?」


「面白い冗談だ。ロストマジックをそんなポンポンと扱える奴がいてたまるか」


 乾いた笑いしか出てこない。

 ムギちゃんも私と同じだったようで、気まずそうに魔王を見上げた。


「実はこいつの婚約者は全ての精霊魔法を使えます。これはほんの一部で、義兄あには一撃で倒されたらしい、です」


「な、なんと……」


 やっぱり辻くんってすごい人だったんだ。いや、すごいのはフェルド王子なのかも。

 精霊魔法を使える才能があったってことだもんね。


「あー、立ち話も疲れちゃうので家に来ますか? 美味しい紅茶がありますよ」


「魔族の王である我をお茶会に誘う人間が出てくるとは、恐ろしい世の中になったものだ」


 またしても魔王は豪快に笑った。

 辻くんならその声だけで気絶しているかもしれない。


「馳走になるとしよう」


「ぜひぜひ。それでムギちゃんはどうしてここにいるの? 私は辻くんをお願いしたはずだよね?」


「あいつがお前の所へ行けっていうから」


「ふぅん。ま、いっか。来てくれてありがとうね」


 お礼を言っただけなのにムギちゃんは猫の姿に戻って、先頭を歩き始めた。

 なんだよ、素直じゃないな。


「ほう。気分屋猫カプリキャットのムギリーヴを手なずけて、照れさせるとは。ますます人間にしておくのはもったいない」


 これ、照れてるのか。分かりにくいお猫様だこと。


 それよりも魔王様、あなたについて行っていれば人間を辞めさせられていたのですか?

 そんな疑問を抱きつつ、私たちは屋敷へと戻った。

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